差別・偏見やヘイトスピーチを助長する「嫌韓」デマ・中傷に対抗・反論するウィキです。

「嫌韓」の主張

創氏改名が行われる前から日本名を名乗っていた朝鮮人は大勢いたのだから、創氏改名を「日本名の押しつけ」ととらえるのはおかしい。

反論

日本名を使用していたのは差別や弾圧から逃れるためだった

創氏改名以前の日本名使用には大きく分けて二種類あります。朝鮮人を雇用した日本人が「本名は呼びにくいから」と日本名をつけて呼ぶケースと、朝鮮人が自ら日本名を名乗るケースです。ここでは後者について見ていきます。

結論から先に言うと、創氏改名以前に朝鮮人が日本名を用いたのは差別から逃れるためでした。たとえば現在でも在日コリアン・在日外国人に対する入居差別は根強く残っており、多くの在日コリアンが通称名を使い続ける一因となっていますが、当時は今よりもっと露骨で「貸家あり/ただし朝鮮人、台湾人、沖縄人お断り」などという貼り紙が普通にあった時代でした。

就職差別も今以上に深刻でした。早稲田の学生だった高峻石は就職が決まらなかったため、やむを得ず「高石俊夫」という偽名で新聞社に就職しました(余談ですが、入社後に内閣担当記者となった高峻石は1941年、当時司法大臣だった柳川平助が会見で「不逞鮮人はどこかの島に隔離して去勢してしまえばいい」と語るのを聞いて戦慄したといいます)。

また、当時は朝鮮人の民族運動や独立運動が官憲によって監視・弾圧された時代で、そうした運動に関わった者、あるいは関わりがあると疑われた者は「不逞鮮人」とレッテルを貼られ、命すら脅かされるような状況でした。そうした中でことさら民族名を名乗ることはそれだけで民族心(日本に対する反抗心・敵対心)を抱いていると見なされる恐れもありました。多くの朝鮮人が虐殺された関東大震災以降、日本名を使う人が増えたという話もあります。つまり、日本名の使用は、単に日本人のふりをする(朝鮮人であることを隠す)ためだけではなく「従順」で「善良」な朝鮮人である、と示すものでもあったのです。

つまり、「創氏改名以前に日本名を名乗る朝鮮人がいた」といっても、それは朝鮮人が自発的に日本名を名乗っていた、日本名を欲しがったということではなく、ほとんどが生活や生命を守るためだったと言って良いでしょう。あるいは『「創氏改名」が法的に施行されたのは1939年だが、それ以前から不文律として、無言の圧力として「創氏改名」的な「空気」が存在していた』、とも言えるかもしれません。

いずれにせよ、創氏改名が行われる前から日本名を名乗っていた朝鮮人がいたことをもって創氏改名を正当化することはできません。やむを得ず日本名を使うことと、日本名使用を強要することは別です。女性が痴漢被害を避けるために女性専用車両を利用するのと、女性専用車両に乗ることを強要するのが別、というのと同じことです。

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