全日本プロレスでの復活から今日で実に三十五年、そしてその誕生から昨年末で実に五十五年を超えた、「日本最古のタイトル」。 この有数希有のタイトルの履歴と意義を、多くの方々と共に論じていきたいと思っております。

獲得回数


  3回 (第十九・二十四・二十五代)

防衛回数


  3回  (第十九代)
  3回  (第二十四代)
  15回 (第二十五代)

戴冠日&会場


 1967年5月26日  札幌中島体育センター (第十九代) ※王座決定戦でワルドー・フォン・エリック&アイク・アーキンスを破る。 

 1969年8月9日  愛知県体育館 (第二十四代) ※王座決定戦でクラッシャー・リソワスキー&アート・マハリックを破る。 

 1969年10月30日 岐阜市民センター (第二十五代) ※王座決定戦でバディ・オースチン&ミスター・アトミックを破る。 

特徴


 ●三度の戴冠全てが「決定戦」。

 ●最初の十九代王者の全歴において、吉村はインターナショナルタッグとの「タッグ二冠王」。

 ●次の二十四代王者以降のほぼ全歴において、猪木がインターナショナルタッグとの「タッグ二冠王」。

 ●二十五代王者の途中からUNヘビーも加えて、猪木が「三冠王」。

 ●最後の二十五代王者時代において、現在にまで続く最高連続防衛記録(十五回)を達成。

 ●現役のNWA世界ヘビー級王者を挑戦者に迎えた唯一の王者。(二十五代)

 ●初のアジアへビーとの同時開催を行う。

意義


 ●日プロにおける猪木の初戴冠。

 ●最初の戴冠において、最後は「インターナショナルタッグ奪取」を理由に一度は王座返上した、猪木が最終的に吉村とのコンビで返り咲いた理由は、おそらく「NET中継の看板タイトル」の必要と、当初期待された大木とのコンビが長続きしなかったからと思われる。

 ●実際、最後の年の猪木のUNヘビー奪取までは、大木のアジアヘビーを差し置き、実質的に「NET中継の看板タイトル」の役割を果たす事となる。

このページへのコメント

今日はオースチン&アトミックとの無効試合の日。

Posted by JIN 2014年10月10日(金) 21:19:51

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