●通称「和製ハイフライヤーズ」。
●史上初の「認定団体以外での日本人王者」。
●同時に「認定団体以外の興行での初の王座移動」。
●当時は復活以降の防衛回数の記録を更新。
●「蔵前国技館」で防衛戦を行った最後の王者。
●当時の浜口は、グレート草津とのコンビでIWA世界タッグも保持の、タッグ二冠王。(ただし同時期の世界オープンタッグ選手権には不参加)
●そのためかコールの順は、元シングル王者の井上よりも、浜口の方が後。
●王座転落の翌年にIWA世界タッグ王座を奪取。
●「同一チームの上位王座獲得」としては、ジャイアント馬場 吉村道明に続く二度目だが、時期を置いての「現役王者のままの獲得ではない」例としては最初。
●ただし残念ながら、時期が国際の末期で、挑戦者が草津時代に比べてランクダウンになっていたため、むしろIWA世界タッグの「アジアタッグ化」を印象付けてしまったともいえる。
●ちなみに、逆のパターンが後の阿修羅・原 マイティ井上。
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今日は奪取から三十九年目。