戴冠日&会場
1955年11月16日 蔵前国技館 (初代)
※初代王者決定リーグ戦の決勝において、力道山&ハロルド坂田を破り、初代王者となる。(ちなみに他の三チームはダラ・シン&サイド・サイプシャー、東富士&遠藤幸吉、駿河海&羅生門綱五郎)
特徴
●リーグ戦終了後、チームは自然解散状態となり、防衛戦も無し。
●それでも四年半後の復活王座決定戦まで王者認定はされていたらしく、数年後の第一回ワールド大リーグ戦に参加した時点の、コングの肩書も「アジアタッグ王者」だった模様。
意義
●いまだ輝ける「アジアタッグ」の歴史に残る「初代王者」。
●ただしおそらくこの時点で「タイトル」としての継続はあまり考えられておらず、むしろ六日後に行われる、シングルのヘビー王座決定戦を盛り上げるための布石といった感じも強い。 (近いニュアンスを感じるのは、十八年後の新日本における猪木の北米タッグとNWF世界ヘビーへの連続挑戦か。)
●それでいて「タイトル」として最終的に生き延びたのはどちらだったというのも面白いというか。