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動画・音声


映画・テレビ番組

ドキュドラマ形式で、核戦争で何が起きるかを描いたBBC作品。当時は大都市からの疎開地域に指定されていたケント方面を舞台に、疎開、避難場所作成、軍事拠点をそれたミサイルの直撃の影響、トリアージ、死体処理、食料不足、暴動、処刑、放射線障害、精神障害などを描いている。試写を見たBBC幹部は衝撃を受け、テレビ放映を取りやめた(ただし、翌年に劇場公開されている)。BBCは政府の検閲はなかったと言い張っているが、定かではない。
ソ連原潜による核奇襲攻撃の可能性を論じたドキュメンタリー。有名なのはドラマ部分で、後にThe Day Afterで7シーン流用された。空軍施設内で撮影され、登場人物はすべて空軍将兵で、空中司令機に乗り組む将軍も、本物の空軍准将。専門家からは極端に非現実なシナリオと見なされた。
核戦争は他人事だと思っていた田舎者たちにも、無関係な出来事ではないことを印象付けるべく、舞台をミズーリ州カンザスシティ及びカンザス州ローレンスに設定されたドラマ。核の冬は意図的に無視されている。
BBCが作成・放映した核攻撃の影響を描いたドキュメンタリー。英国内務省が発行した民間防衛ブックレット"Protect and Survive"及び"Domestic Nuclear Shelters"を"検証"する形で、核戦争に事実上対処不可能であることを提示している。
BBCが作成した、主として核戦争後の英国を描いたドキュドラマ。"A Guide to Armageddon"で生存できた人々のストーリーとでもいうべきもの。部隊はロンドンからも、主要な軍事拠点からも離れたシェフィールド。死傷者や食料不足や家屋確保などとともに、、核の冬や紫外線の夏など新たな知見が盛り込まれている。また、1982年の英国内務省による地方対策本部の机上演習や、1980年の英国内務省及び国防省が実施した核攻撃机上及び野外演習Square Legの想定も参考としている。
ソ連時代最後の核戦争映画。モノトーンな映像で、途中、核攻撃のときの回想をはさんで、絶望的な光景が延々と続く。DVDも品切れ、Youtubeにあるのもロシア語版のみ。
ドイツZDFのテレビ映画で、各国のコンティンジェンシープランと、東西両側の軍事専門家の助言と、機密解除された作戦計画に基づいて、危機の始まりから、核の応酬までの長い道のりを描いたドキュドラマ。
レーガン大統領の「悪の帝国」発言、戦略防衛構想の推進、ソビエトによる大韓航空007便撃墜、ソビエト早期警戒システムの誤動作、米国のグレナダ侵攻などが無関係な出来事が、核戦争の危機をもたらした1983年。ソビエト首脳部はNATOの机上演習Able Archer 83を核奇襲攻撃の偽装だと確信して、核攻撃準備に入った。この出来事を取り上げた、2008年のChannel 4のドキュメンタリー(Transcript)。
1962年10月のキューバ危機で、ケネディとフルシチョフが対決していたとき、ソ連はキューバに向けて4隻のディーゼル潜水艦を派遣した。この4隻には各1発の核魚雷が搭載されていた。4隻の潜水艦が、サルガッソ海付近まで到達すると、で待機命令が出て、それ以降、モスクワからの通信は途絶えた。極地仕様の潜水艦の劣悪環境下で、米国大西洋艦隊に追い回された一隻B-59では、艦長と政治将校が核魚雷を使って、大西洋艦隊を撃滅しようとした。しかし、これを第3の承認権限者ヴァシリ・アルキポフが同意せず、発射を阻止た。このインシデントを取り上げた2012年のPBSのドキュメンタリー(Transcript)
Discoery Channelは、1995年までに、核戦争が起きかけた事件を取り上げた番組を制作している。これは、1961年10月のキューバ危機、1973年10月の中東戦争における米軍警戒レベルDefcon3、1979年11月の米軍NORADの訓練テープインシデント、1983年9月のソ連軍の早期警戒システムの誤検知、1983年11月のエイブルアーチャー83演習、1995年1月のノルウェーロケットインシデントを取り上げている。
ラジオドラマ

舞台劇"The Bomb: A Partial History"(2012)の一部をBBC4がラジオドラマ化した36分の会話劇。新首相が就任当日、執務室に行くと、そこには、政権移行を担当する"Head of Arrangements"が待っていて、"Letter of Last Resort"を書くことを求められる...
報道

Unarmed状態の原爆をジョージア州に投下した事故を報道するニュース映画。田舎だったため、被害は家1軒と負傷者6名のみ。
大統領ステートメントとして文書では発表されたが、収録されながら、使われなかったと思われるHarry Truman大統領の演説映像。 実際には、別の声明がラジオ放送などで発表された。
1957年の核実験について、米国内外から原子力委員会へ、放射性降下物の危険性について批判が集まっていることを報道するニュース動画。
1952年のOperation Teapot 及び、Apple2 shot (1955/05/05, 29kt, 塔上爆発)を使ったと思われるDesert Rock VIを報道するニュース動画。

太平洋ビキニ環礁・エニウェトク環礁の核実験の報道では、麗しい住民との対話(実際はさておき)や、初の艦隊攻撃実験などが取り上げられている。

1946年のオペレーションクロスロードの華々しい報道の背後で、故郷に帰還できなくなったビキニの人々、放射線被曝について何も知らされずに被曝した兵士たちがいた。放射線の危険性を確認し、安全が確認されるまで立ち入らせないという宣伝映像と、それとは無関係な現実が示される。 しかし、当時の報道は調子のよいものだった。

米国は1954〜1961年に市民も参加する民間防衛演習オペレーションアラートを実施した。一般市民が警報発令中に地下などに避難するといった全員参加。大統領が緊急招集センターに移動して執務を継続する。役所がまるごとテントに移動するなど、かなりの大規模。これについて、多くのニュース動画が作られた。
旧ソ連セミパラチンスク核実験場は、ロシア語の実験場を意味するポリゴンと呼ばれた。ここは現在はカザフスタン領内であり、核実験の惨状がオープンになりつつある。
中国ロプノール核実験場のもたらした被害については情報はあまりない。20年近く前の潜入っぽい報道番組のみ
緊急放送の失敗・ジョーク

米国緊急放送第1世代Conelradは実際に発動されることはなかった。第2世代EBSが全米で起動されたのは、この1971年2月20日のミスオペレーションのみ。それは、EBSがまともに機能しないことを顕わにした。その後も、抜き打ち訓練に失敗するなど、実際に核戦争が起きたときに役に立つのか疑わしいものだった。
第3世代EASは、第2世代EBSの問題点を解決し、全放送局に強制的に緊急放送を流せるように作られた。しかし、ミスオペレーションで発動されてしまったEASの緊急メッセージ(EAN)を放送局はキャンセルできず、ミスオペレーションとわかりながら放置することになった。
第2世代EBSでは、週末に定期的にテストを実施していた。このときの放送内容は、文字としては規定されていたが、それ以外に規則もなかったため、コーラスで歌ってみたり、ラップしてみたりするラジオ局もあった。
核シェルター広告

連邦住宅局と民間防衛室に承認されたと称する地下室用組立シェルターのラジオ広告。
その他

核爆発のシーンを使った、1964年の大統領選挙のリンドン・ジョンソン陣営によるゴールドウォーターに対するネガティブキャンペーン

IBMは空軍迎撃システムSAGEの空軍とともに共同開発した。このとき、紙への出力から画面への出力に移行。さらに、モジュラ構造によるメンテナンス性の向上も実現している。まさに、現在のコンピュータの基礎。

豚の鳴き声を後から追加した、核実験動画も出回っている




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