冷戦時代の核実験や民間防衛をめぐるカルチャー

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BBC 1965年 "The War Game"


ドキュドラマ形式で核戦争の影響を描いた最初の作品である"The War Game"は、BBCのためにPeter Watkinsが制作した。その内容に衝撃を受けたBBCはおそらく政府の指示のもと、放映を断念した(BBCは公式に否定しているが)。しかし、1966年に劇場公開され、 Academy Award for Best Documentary Featureを受賞した。
監督Peter Watkins
脚本Peter Watkins
主演Michael Aspel, Peter Graham
配信BBC
リリース日1965/11/01
放映時間48分
言語英語







The War Game (PWatkins.mnsi.net)

背景

1964年遅くに新たに選出された、Harold Wilsonの労働党政権は既に、英国の一方的軍縮という選挙公約を破り、国民の幅広い抗議にもかかわらず、本格的な核武装計画を推進していた。当時の英国のテレビ局は、軍拡競争を論じることを明らかに嫌がり、特に、国民の大半はまったく情報を持っていなかった核兵器の影響については沈黙していた。したがって、私はBBCに対して、イングランド南東部のKentの片隅を使って、英国の部分を表現しようと提案した。私は、NATOとUSSRの開戦時における、英国への核攻撃の考えられる影響を描いた映画を制作した。

まさにこのときBBCは"night of the long knices"という権力闘争が進行中だった。最上層部の誰かが解任され、誰かが支持を中止し、そしてHuw WheldonはBBCの階級を2つ昇って、BBC 2をコントロールする立場となった。彼はもはやドキュメンタリー番組部門の責任者ではなくなり、最悪の時に、彼の個人的支援が突如失われた。BBCは"The War Game"の脚本を読んで、しぶしぶ予算を私に与えることに同意したが、映画は完成しないかもしれないと警告した。この警告は英国内務省(民間防衛を管轄し、政府は大量の予算をつぎ込み、プロパガンダを行っていた)から、BBCに私がこの話題についての映画を制作している理由を尋ねる電話があったことによる。

撮影

撮影は1965早くに、Kent州のTonbridgeとGravesendとChathamとDoverで行われた。キャストはほぼ全員がアマチュアで、Kent州内で撮影の数か月前に行われた市民集会で募集された人々だった。ファイアーストームのシーンを含む撮影の大半は、Doverの使用されていない軍の兵舎で行われた。撮影クルーには、撮影監督Peter Bartlett, 録音Derek Williams, メイクアップアーティストLilian Munro, アクションコーディネータDerek Ware, セットデザインTony CornellとAnne Davey, 衣装Vanessa Clarke, 編集Michael Bradsellがいた。私は繰り返し、ニュース映画の即時性たる「そこにいる」スタイルをとった。私の前作"Culloden"での目的は、普通の人々自身の履歴の深い探求を行うことに合った。そして、本作では主題が、潜在的に差し迫った出来事である、当時としては非常に現実的だった全面核戦争の脅威だった。しかし、重要なスタイルの違いがこの映画に合った。リアリティのシーンの間に、一連の様式化された著名な人物たち、英国国教会の主教や、核戦略家などの様式化されたインタビューを挿入されていた。核兵器に賛成、さらには核戦争に賛成な、聖職者を含むこれらの人々のとんでもない発言は、本物のインタビューに基づいていた。医師や精神科医など他のインタビューはより真剣であり、人間の体や心に対する核兵器の影響についての詳細を語っていた。この映画で、私はメディアが創り上げた「現実」を壊すことに関心があった。私の疑問は「どこに『現実』があるのか?今日の公式ドクトリンを引用した、人為的に注目した著名人の発言の狂気の中にあるのか? あるいは彼らの狂気の発現の結果たる、私の映画のその他の作られた架空のシーンの狂気の中にあるのか? そしてそのために、私は一貫してインタビューをカットの間に入れた。この種の問いかけを明らかに超えて、私の関心事は、核軍拡競争について人々がメディアでの沈黙を破るのを助けることに合った。

放映中止

私の映画を最初に見て、BBCはパニックに陥り、それを見せて政府の助言を求めようとした、後にBBCはこれを否定したが、BBCが自ら定めた独立性条項に違反したという悲しい事実が残った。そして、1965年9月24日に、秘密裏に、内務省と国防省と郵政省(通信を管轄)の幹部職と、軍参謀本部の代表者たちと、Harold Wilson内閣のSir Burke Trend大臣に"The War Game"の試写が行われた。約6週間後にBBCはこの映画をテレビ放映しないと発表し、その決定と政府に対する秘密試写会との関連性を否定した。今日に至るも、BBCは公式には"The War Game"の放映中止決定が政府の圧力であることを否定している。しかし、現在は閲覧可能な文書によれば、公式に認めていることよりもはるかに多くのことがあった。



字幕

BBC 1965年制作 "The War Game"

現在の英国の核抑止政策は、侵略者たりうるものを熱核爆弾の破壊力によって脅かしているこれらを英国V爆撃隊VictorとVulkan MkIIが運ぶ。

国際危機にあっては、現在の計画に従い、V爆撃隊の一部は英国全土の空軍基地と民間空港に分散する。これらがおおよその位置である。ソ連はこれらに複数のIRBMを割り当てているだろう。それらはこの瞬間も西欧の軍事目標を狙っている。

そして、これらが25の主要都市で、英国の人口の約1/3が居住している。これらにもソ連は個数不明な熱核ミサイルを割り当てている。これらの都市と空港があわさって、英国は、核の標的の世界最大の密集地帯となっている。

ロンドン、9月16日金曜日、ただいま確認されたところによると、昨夜遅く、南ベトナムに侵攻する中国への共産圏の支援が、明かになり、ソ連と東独当局はベルリンを封鎖し、西ベルリンを占領する以下の意図を表明した。

「ベトナムに侵攻する中国軍に対して、昨日なされた米国の戦術熱核兵器使用の決定を48時間以内に撤回することを求める」と。

ここ英国では、政府は国家緊急事態を宣言した。これは現在の危機状態の終息まで継続する。「本日正午12時より、中央政府は機能を停止し、英国の統治は15の地方行政長官に委ねられる」地方議員による緊急委員会のネットワークが、主要都市及び郡で組織される

現下の国際情勢の深刻さに鑑みて、英国政府はこれらの委員会の最初の仕事として、所定比率の民間人の安全地域への疎開を命じた。それらは、ウェールズ、レイク地方、ノーザンバーランドの一部、ミッドランド、南西イングランド、ドーセット、イーストサセックス及びケントである

1962年の政府の疎開計画にしたがって、疎開は特定階層の民間人にのみ実施される。
「明日09:00より我々は6万人の疎開者を受け入れる。疎開者は次の5つの優先階層である。第1階層は15歳未満の子供と、その母親である。第2階層は18歳未満の学童、第3階層は18歳未満の青年、第4階層は妊婦、第5階層は障害者、老人、病弱者である」

父親はどうなるのか?父親は疎開対象ではない。

この女性はケントからバーモンジーに到着した。この疎開バスに乗る彼女や他の女性たちは、夫や18歳以上の息子たちをロンドンに残してこなければならなかった。

直近に公表された政府計画によれば、18歳以上の健常男子には疎開措置はとられない。したがって、早期でも疎開は失敗するかもしれない。どれだけの女性が夫や家を残してくることを拒否するかわからないからである。持ち物を制限されて、見知らぬ街に旅して、見知らぬ家族と強制的に居住しなければならない。

「5部屋に10人の疎開者の受入れを準備してください。明日、ロンドン地域から到着します」
「彼らの食事を用意しなければならないのですか?」
「そうです。」
「有色人種ですか?」

推定1000万人の疎開を実現するには、多くの対策がほぼ確実に必要となる。この女性は疎開者8人への住居と食事の供与を義務付けられる。

「急いで、急いで」

この家に逃れてきた家族たちのために、部屋が即時に徴発される。この男は同居を拒否すれば収監されるだろう。

「8人です」
「8人は無理だ」
「8人を受け入れていただきます」
「無理だ。食糧が十分にない」
「反論は認めません。現在は非常時体制です。4部屋とキッチンで8名を受け入れてもらいます」
「なんてことだ」

英国は全人口の20%を疎開させねばならない。このような光景は避けられないだろう。

「この地区の市民・居住者は全員、ただちに役場で、非常時身分証明書と配給カードを受け取ってください」
「名前は?」
「スー・ウィルキンソン。ソートン街159番地。未亡人で、子供は19歳と21歳」
「補助配給カードはありません。この配給カードで基本食料の配給が受けられます。週2オンスのバターと1/2ポンドのマーガリンと2オンスの紅茶と、1/4ポンドの砂糖と卵2個です。配給可能なら、1/2パイントの牛乳と1/4ポンドの肉と、パン2斤と、可能なら1ポンドのジャガイモ、2オンスのベーコン」

フルスケールの疎開を実施した場合、戦争が起きなくても、その影響から経済的に回復するのに1.5〜4年かかると推定されている。戦争が起きれば、疎開先の少なくとも20%が放射性降下物で居住不可能になる。

「炭素14は放射性降下物で最も危険な要素です。これの人体への影響をご存知ですか?」
「いいえ、すいません、聞いたことがありません」
「原子についてはあまり知りません、放射線は全然」
「いいえ、知りません」
「いいえ、すいません、知りません」

1959年の内務省マニュアルは書いている。放射能についての公衆教育が今後数年、進展する。
「Sr90が何で、どんな影響があるか知っていますか?」
「いいえ、知りません」
「いいえ、知りません」
「全然わかりません。爆発する炸薬か何かですか」

ベルリンでは、暴動を起こす西独市民と東独武装警察が必然的引火点に至るだろう。
「ベルリン、前にもあった事です」
「いずれ収まると思いますよ」
「別に心配することはないと思います」
「戦争は起きません。私は確信しています」

9月17日、英国民間防衛局は初めて国民に放射性降下物の予期される被害についての詳細を広報した。
「おはようございます。このブックレットを読んで指示に従ってください」
「でも、これは何ですか?」
「民間防衛ブックレット:核攻撃からの防護です」
「でも、私は、私は。」
「おはようございます」
「あ、すいません、ここで何をしているのでしょうか?」
「できるだけ多くの世帯に、ブックレットを配っています。これには爆風と放射性降下物対策が書かれています」
「これまで公表されたことはなかったのでしょうか?」
「数年前に出版されましたが、売れていません」
「それは無料だったのですか?」
「いいえ、9ペンスでした」

「警報システムのテスト中です。15分後に終わります」

ミサイル攻撃を全英警報システムが確認してから、着弾までの残された警報時間は推定2.5〜3分である。ミサイルが英国沿岸の潜水艦から発射された場合、警報時間は30秒以下になる。

「並んでください」
「民間防衛は手に入れるべきものを言いましたが、窓を強化や、我々が隠れるバリケードなど用に、どこで手に入れるのか、教えてくれません」
「3か所まわりましたが、品切れでした」

価格も
「うちの価格は現時点で、次の通りです。土嚢用ヘシアン袋10個で1ポンド、これに入れる砂1立方ヤードあたり24シリング、土5立方ヤードあたり7ポンド10シリング、厚板1フィートあたり8ペンスから1シリング」

「シェルター作りに幾らかけられますか?」
「余裕がありません。17シリングか1ポンド6シリング」
それでは土嚢8つと厚板6枚しか買えないでしょう。

「友人が建築業者で、部材を少し私に確保してくれた。それがこれです。少しは役に立つでしょう。そして中にもシェルターを言われたように作りました。けっこう頑丈だと思いますよ。うまく支えています。もう少し土嚢があったので、庭にも作りました。」

おそらく英国の多くの家庭はシェルター1個分のコストも支払いきれないだろう。政府の全英国人のためのシェルター計画は20億ポンドかかると推定されている。

「私はこれを、ここに置いています。私のシェルターに侵入してきたら、迷わず使います」

最近の米国の宗教雑誌はキリスト教徒の読者に、隣人や通行人を家族用シェルターに招き入れる前に、2度考え直すように言っています。

9月18日、1時間前、ソ連軍と東独軍の西ベルリン侵入に続き、NATO軍装甲2個師団が市への進入をはかったが、数で上回る共産軍に蹂躙された。この期に及んでは、米国大統領はNATO軍の戦術核の使用を以って恫喝する他なくなり、それでソ連攻撃時の集団意志を表明することになる。

この期に及んでは、ソ連指導部はこれをブラフとみなして、攻撃を続行する以外に選択肢がない。各地域司令官は戦術核弾頭使用を英仏独連合軍に許可する権限が与えられた。

「15人を高速発射シーケンスに回せ!」

これは戦術核ミサイルでヒロシマ型原爆1発分の核弾頭を搭載している。これはオネスト・ジョンと呼ばれる。

「オネストジョン, メイス, コーポラル、パーシング、サージェント。うまくいかなければ、すべてが核弾頭を搭載して発射だ。あとは神が助けてくれる」

NATOの核弾頭依存を高める計画がなされている。たとえソ連が通常兵器で攻撃してきたとしても。従って、連合軍が核を先制使用する可能性がある。
「このことを知っていましたか?」
「いいえ、知りませんでした」
「なんとなく知っていました」
「知っていました。それは恥ずべきことです」
「いいえ、まったく知りませんでした」
「いいえ。これを良いことだと考えるべきでしょう」

限定的関与と呼ばれる、戦術核のみによる戦闘についての最近のNATOの模擬戦では、200万以上の非戦闘員が死亡か重体と推定された。

デビッド・エドワード・ソーン 37歳 一般医、今や非常時医療ユニットのひとつの、スタッフである。このユニットは核攻撃に備えて組織された。

9月18日、時刻は午前9時11分、ソーン医師は緊急電話のあった場所に車を止めた。カンタベリー州ベリックストリート、ケント海岸沿いのマンストンの空港から12マイル地点。

「ドクター、おはようございます」
「おはよう」
「入ってください」
「どうしましたか?」
「一晩中、熱が下がらないんです」

ソ連が保有する750発の中距離核弾道ミサイルがNATO同盟軍の欧州諸国を狙っている。相当数が液体燃料であり、地上配備されている。したがって、そのようなミサイルは脆弱であり、報復攻撃で失われてしまうだろう。ソ連は危機の最初期に全弾発射するしかない。

時刻は午前9時13分
「早く、こっちへ! 時間がない!」
「早く、家の中へ、早く!」
「こっちへ、急げ! 急げ!」
この家族はシェルターを作る余裕はなかった。英国の平和の最後の2分で見られるだろう光景だ。
「窓から離れて! 子供たちを集めて!」
「ピーター! トニー! トニー! トニーはどこ? トニーはどこ? トニーはどこ?」
「子供がひとり外にいる。連れて来てくれ!」

午前9時16分
1メガトン核ミサイルがケントのマンストン空港をそれ、ここから6マイルの地点で空中爆発した。この距離では、熱線は、上を向いた眼球を溶かし、皮膚に第3度の火傷を起こし、家具に火をつける。12秒後に衝撃波が到達する。

最近のバチカン公会議である英国と米国の司教が、次のような見方を表明した。
「核爆弾をクリーンで良き家族として、愛する必要はないが、ともに生きていくことを学ぶべきだと教会は忠実に伝えなければならない」

爆発後7/10ミリ秒後、60マイルの距離では、1メガトン熱核兵器の火球からの光は昼間の太陽よりも30倍明るい。この子は27マイルの距離で重度の網膜火傷を負った。
「この子を私に!」
「どうしたの?」
この家はマンストン空軍基地から29マイル地点、そしてサセックスのガトウィック空港から41マイル。
「テーブルの下に! テーブルの下に!」
熱核爆発の爆風は地獄の底の扉に例えられる。これは40マイル離れた一つの空軍基地からの結合衝撃波である。英国には少なくとも、そのような標的が60ある。

ケント州ロチェスター。熱核ミサイルの熱で2平方マイルが火災になっている。ロンドン空港をそれたミサイルの爆発によるものだ。これが我々の都市への核攻撃で起きることである。これはハンブルク、ドレスデン、東京、そして広島の空爆後にも起きた。

これがファイアーストームと呼ばれる現象である。中心では熱線と、爆風によるストーブやオーブンの出火による熱の上昇が起き、これが時速100マイル以上で風を吸い込む。これがファイアーストームの風である。
「私は男性が物凄い風に巻き込まれるのを見ました」
「ジャケットを引っ張られて、頭の上に」

最近のバチカン公会議で一人の司教がプレスに、我々の核兵器が知恵を以って使われると信していると述べた。
「私は我々が法と秩序の世界に生きていると信じている。そして、私は正戦があると信じている」

この車の中では家族が生きながら焼かれている。
「早く脱出させろ!」

チャタムの消防隊長チャールズ・ブルックスは、3台の消防車を潰れたり、焼けたり、転覆して失った。60名の隊員うち17名が圧死、焼死、飛散瓦礫で殉職。これがファイアーストームである。

これの中心部の地階と1階の酸素は消費し尽くされ、一酸化炭素、二酸化炭素、メタンに置き換わる。中心部の温度は800℃にまで上昇する。これらの男たちは熱中症とガス中毒で死んでいく。
「次の世界大戦では両陣営は、都市の完全破壊に至る前に戦争をやめると、私は考えている。10年程度、被害回復のために一線を去り、第4次から第8次世界大戦の準備をするだろう」

吸入空気の二酸化炭素比濃度が30%以上になると、呼吸数減少・血圧低下・昏睡・反射低下・麻酔状態になる。吸入空気の一酸化炭素濃度が1.28%を越えると、3分以内に死亡する。これが核戦争である。

現行バージョンの民間防衛パンフレットは、シェルターに持ち込むべき物品を列挙していて、それらは核攻撃後の英国での生活に必要で、そのあとに、次のものが列挙されている。
出生証明・結婚証明・預金通帳・健康保健証を入れた箱

10時47分、ソ連国境線近くには英国V爆撃隊。目的は報復。標的はこのような人々。
「ソ連などが英国を核攻撃したら、同数のソ連の都市を破壊して報復してほしいですか?」
「はい、そうしてほしいです」
「まったくの悪循環です。でも、私は報復すべきだと思います」
「人々は英国人が赦しと忘却の国民だと考えています。私は、報復しなければならないと考えています」
「私は、立ち尽くして何もしないのは嫌です。はい、私はそう思います。たぶんそうです」
「はい、もちろん報復です」
「はい、たぶん私は報復を求めるでしょう」

「技術的にも知的にも我々は核の時代に生きています。感情的には未だに石器時代に生きています。アステカ人は祝祭日に神に2万人の生贄を捧げました。そうすることで宇宙の正しき姿に保てると信じて。我々は彼らより優れていると思っています。」


ケント州ロチェスター近郊住宅地の住人だった人々である。1つの郡で、3発の1メガトンミサイルの爆発があり、生存している医師は最低350人の負傷者に直面する。多くのが重度の第2度、第3度の火傷を負っている。
「私は小さな男の子といっしょにいました。彼の足は焼け落ちていました。幾人かは... 幾人かは...幾人かは、ばらばらになっていました」

現在知られている限りでは、民間防衛計画では、前線医療支援ユニットで働く医師は、全負傷者を注意深く定義された3つのカテゴリの1つに分類し、その負傷者に治療を受ける意味があるか判定する。
「最悪の第3カテゴリです。彼らは絶望的です。だから我々は彼らを保管部と呼ばれる所に送ります。彼らは体の50%以上に火傷を負っています」

この医師は知っている。保管部に送られた患者が薬も与えられずに、苦しみながら死んでいくことを。
「これから数日で起きることはわかっています。彼らは... 彼らは殺してくれと頼むでしょう」
今見ているのは、核戦争で起きうる別の一面である。武装警官隊が、過負荷な医師たちを支援して、カテゴリ3の人々を苦しみから解放する。

「誰かを射殺すると決断し、自らの手で殺したなら、道義的責任を受け入れなければなりません。私に代って、政府に他国の人々を殺す権利や手段を与えたのと、状況は違いません。私は道義的責任を受け入れなければなりません」

約160発の1メガトンミサイルで英国が核攻撃を受けると...人口の1/3〜1/2が即死あるい重傷を負うと推定されている。50〜80%の食糧生産・貯蔵施設が破壊される。それらを動かす発電所の50〜80%が破壊される。1メガトンによる攻撃の被害は、予測最下限である。というのは、現在、核弾頭や自由落下爆弾は、その5〜10倍だからである

「もっと多くの人がいても、結果は違わないと思います。民間防衛隊員が15〜20倍いても、最初の攻撃の死者や重傷者の数は変わらないでしょう。名前からして、間違っていたのです。これが防衛でしょうか?」

これらもまた核戦争の犠牲者である。身体的には傷ついていないが、ほぼ確実に幾万の人々が恐怖と衝撃に苦しむ。目撃したこと、体験したことの恐怖と衝撃に。これらの人々の多くは恒久的に神経症になるだろう。その数が、治療可能な数を大きく上回るからである。これもまた熱核戦争の一面である。

「私の部下が何十人も、倒れていった。緊張や、そして過労で。人々は忘れがちだ。警察官が、民間防衛隊員が、このような人々誰もが普通の人だということを。そして普通の人間の反応と感情を持っていること。」
この警官は行方不明の家族をさがし続けている

「ここから先は立入禁止です。立ち去ってください」
被害の小さなケント州の郡でも、ただちに5万の死体の処理が必要だと推定されている。
「ここで何が行わるか、教えてください」
「ここは撮影禁止です」
「わかっていますが、少しだけ、これから何をしようとしているのか、教えてください」
「死体を焼却するだけです。建物は死体でいっぱいで、埋葬するには多すぎます。建物は死体でいっぱいなので、我々にできるのは、鉄の梁に死体を置いて、下から焼くだけです。グリルを作るようなものですよ」

攻撃の2日後、軍当局は想定される伝染病拡大を防ぐため、かつてロチェスターだった被害地域2平方マイルの封鎖し、生き残っている警官を武装させて、死者の親族が、焼却前の死体を持ち出すのを実力で阻止することにした。

「我々は任務を遂行していました... 死体焼却です。二人の兵士が、もう続けられないと言いました。一方の上官がやってきて、続けるように言いました。彼らは再び、ノーとは言いませんでした。上官がその場で二人を射殺したのです」

ここで今、見ている光景は、すべて先の大戦で空襲された後のドイツで起きたことだ。核戦争後に、英国でもほぼ確実に起きるだろう。
「ドレスデン空襲後にドイツ人がやったことは死体から結婚指輪をはずすことでした。指輪の裏の刻印から身元を特定しようとしたのです。我々も同じことをしています。我々は指輪をこのバケツに入れています」
これもまた、核戦争の起きうる一面である

続く48時間、推定で英国全土の1/3では屋外にいれば致死量の10倍の放射性被曝する。この領域の多くでは、屋内シェルターにとどまっても5週間以内に死亡するだろう。
「私は白血病などについて、少しは知っている。ここ数日、妻には、その話をしていない。わかるだろう... 私は怖いんだ。子供に大きくなってほしいだけなんだ。何が残されるのかわからないが、今それを私は変えられない。私は.... 私は利己的になっているんだと思う。子供たちが立派になってほしいんだ。家で彼らが、この毒に蝕まれてほしくないんだ」


「重度放射線被曝の主たる影響は腸内細胞の再生停止であり、それによる腸内からの体液の流出であり、文字通り、体は干上がってしまう」


兵よ、痩せこけた兵よ、どこから来たのか?
私が思いもつかない兵器を持って
世界が成長せばならないほど、強い兵器を持って
親切にならないと、その場で死ぬ

これが民間防衛隊福祉部の用意した食事メニューだ。熱核攻撃後を想定した演習で作成されたものだ。煮込みステーキ、ニンジン、もやし、ロースト、マッシュポテト、蒸しプリン、アップルパイとカスタード

「核攻撃後の米国で、慣れ親しんだ米国人の生活は、自動車、ランチハウス、テレビ、冷蔵庫などは?誰にもわからない」

「バスタブの水を5日間交換していません。手に入った水はそれで全部です。それを飲み、調理し、洗わなければなりません」

広島と長崎では、人々は3か月後に、無関心と深い無気力に陥っていて、人々は自身の汚物の中で暮らし、完全に落胆し、惰性で生きていた。

この男の子はネズミに腕を噛まれた。この後に起きる病気を予防する薬物は手に入らない

「私はパン一斤を家に持ち帰るところでした。母から貰ったものです。男がやってきて、それに1ポンド払うと言いました。どう言えばいいでしょうか。1ポンド紙幣は食べられませんからね」

拡大する飢餓暴動に直面して、先細り行く食糧供給は、最終的には不安定な法と秩序の維持を遂行する人々への報償として維持されるようになるだろう。そのような部分配給の結果そのものが不可避である。ケント州の警察が、暴動参加者を初めて射殺した。

「もどるように伝えろ!」
「空に向けて威嚇射撃!」

二日後、この事件の直接の結果として、警察の弾薬トラックと積荷が奪われ、ボランティアの運転手が殺された。

「ドイツでは先の大戦で家族の死などに苦しんだ人々が、まともな中流階級であっても法律を無視するようになり、略奪や闇市や窃盗にふけるようになった」


これは反権力武装分子の手に落ちた食糧統制センターである。グレーブゼンドから来たミセス・ジョイス・フィッシャー、彼女は主婦だった。彼女から3ヤードのところに軍警備兵の死体がある。士気が下がれば、理想も堕ちていく。行動は、より原始的になり、本能的なものになっていく。

3日後、ケント州で初めて警官が殺された。

15年以内に、さらに12か国が熱核兵器を保有するだろう

この理由により、事故でも、人の衝動でもなく。

「止まれ!」

この映画で見た光景が1980年までに起きることは可能性以上のものである。

「地域行政長官の権限により、17条、民間擾乱罪及び公務執行妨害罪によりジョン・エドワード・ジャレット、ウィリアム・マイケル・イーズを、ここで銃殺刑に処す。彼らの魂に神のご慈悲があらん事を。」

「跪き、ともに神に祈ろう
「天におられるわたしたちの父よ、
「み名が聖とされますように、
「み国が来ますように、
「み心が天に行われるとおり地にも行われますように。
「わたしたちの日ごとの糧を今日もお与え下さい。
「わたしたちの罪をおゆるしください。
「わたしたちも人をゆるします。
「わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救い下さい。アーメン。
「彼らの魂に神のご慈悲があらん事を。
「彼らは何をしたのか知らないのです。」

「狙え!」
「撃て!」

生者は死者をうらやむだろうか?

「オレンジジュースや新鮮な野菜やビタミンCを摂取できない人々、おそらく大半の人々はそうだろう。4か月目の段階で、歯茎から出血する。壊血病の初期段階になる。足首が腫れ、関節から出血する」

きよしこの夜♪

12月25日。ケント州ドーバーの難民収容所。核攻撃から4か月後、放射線被曝のために、この少年の赤血球数は必要数の半分しかない。今後7年寝たきりになり、そして死亡するだろう。これは広島で起きたことだ。
この少女は妊娠している。これまで恒常的に放射線被曝してきたので、赤ちゃんが生きて生まれてくるのかわからない。

「私が最も怖れていることは子供たちのことです。彼らが恐ろしい光景と破壊を見たことで、ひどく苦しんできたのなら、その結果として、恐ろしい人格障害に、苦しむ者がいても、不思議ではありません。単に知らないだけで。」

「私はこの収容所で昨日、小さな男の子を見かけました。思うに、彼は石蹴り遊びで跳ね回っていました。そして、突然、座り込みました。疲れ果てたかのように。彼の顔は物憂げで、老人のようでした」

この子たちは、攻撃による孤児である。大きくなったら、何になりたいか聞いてみた
「何にもなりたくない」
「ぼくも何にもなりたくない」
「何にもなりたくないよ」

熱核兵器の問題のほぼすべてについて、熱核兵器保有の問題について、熱核兵器使用の影響について、ほぼすべてが沈黙を守っている。新聞報道も、政府広報も、テレビも。

未解決な問題にも、予測不能な状況にも希望がある。しかし、この沈黙の中に、真の希望は見出せるだろうか?

過去5年で世界の熱核兵器保有量は2倍になった。今では、地球上の男と女と子供ひとりあたり高性能爆薬20トン分に相当する量となっている。この核兵器保有量は着実に増加している。

映像は以下の情報に基づいている。
ドレスデン・ダルムシュタット・ハンブルク・広島・長崎の空爆...
1954年のネヴァダ核実験...
民間防衛助言委員会の3名の委員と戦略家2名と医師1名と生物物理学者1名と精神科医1名の提供情報

BBCはケント州市民に感謝する。特にグレーブゼンド、トンブリッジ、ドーバーの皆さんに。皆さんの協力なしには、このドキュメンタリーは制作できなかった








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