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Heer und Haus


"Heer und Haus"(軍隊と家庭)は、精神的国土防衛を担う組織として第2次世界大戦中及び、冷戦時代(1948〜1978)に存在していたスイス政府・軍の組織である。

以下は、Heer und Haus(wikipedia ドイツ語版)(2018/4時点の記述。


Heer und Haus


Heer und Haus (軍と家庭)は、スイス軍の一部門であり、第2次世界大戦中に、軍人とスイス市民の軍事力と抵抗の意志を強めるための、精神的国土防衛運動の、最も重要な手段だった。
前史

1935年6月、社民党のバーゼル選出の国民会議議員Friz Hauserは、「ドイツのファシズム体制の脅威の観点から、ドイツ語でのスイスの精神的独立性維持を検証する」ことを連邦参事会に求める要請を提案した。これに応じて、連邦参事会は、民間で組織し、連邦政府が助成する、文化団体Pro Helvetia(スイス・アーツ・カウンシル)を設立した。当初は、ドイツ国家社会主義労働者党とそのファシズムのプロパガンダの脅威に直面して、スイスの文化の精神的独立性を守るためのワーキンググループとして組織された。[1] 連邦参事会は、武力による国防を国家の仕事とみなす一方、精神的防衛を民間主導とすることを求めた。[2]
起源と目的

軍隊の精神強化のために、"Gruppe Armee"のHenri Guisan将軍は、参謀本部指揮下の、ある種の心理部門であるSektion Heer und Hausの設立をPro Helvetiaに命じた。レクチャーやエンターテインメントにより長期の軍務であっても軍隊の士気を保つことが、この部門に任務であった。1939年11月3日の軍命令で、将軍は「長期にわたる軍務にあり、家族と会えなくても、軍隊が高い士気を保つことが必須事項である。兵士は、疑念や士気喪失に悩まされることなく、冷静さと自信を保たなければならない」と書いた。[3]

1938年の連邦参事会の声明について、民間側は何もなかったため、Guisan将軍は1941年8月1日に、「考えるスイスと行動するスイス」という命令を出した。参謀本部はHeer und Hausに対して、民間啓発を拡大し、民間人を教育するキャンペーンの開始を命じた。この目的で、Hans Hausamannの報道機関とレジスタンス組織(Offiziersbund, Aktion nationaler Widerstand)から、人員を募集した。
第2次世界大戦中の活動

"Heer und Haus"は国民の抵抗力を高め、戦時検閲報道の役割を補完しようとした。まず、市民自身が自らの意見を形成するための"Vermittlung von Tatsachen"(事実の醸成)と、次に、全体主義国家が国民を従わせる方法たるプロパガンダ・アジテーション・恐怖に対抗して、民主主義において意見を形成する手段としての"ermittlung von Grundlagen für die Diskussion"(議論基盤の醸成)である。

"Heer und Haus"は約3000の2日間啓発コース及び講義、公演、スポーツイベント、映画やラジオ番組を組織した。すべての政治陣営・県・職業か、約200名の有志が講演者として参加した。指揮官たちの講義のため、"Heer und Haus"は、全体主義の脅威への抵抗だけでなく、亡命を受け入れる古い習慣(1942年12月)や、反ユダヤ主義への対抗(1943年5月)を求めるWehrbriefe(国防書簡)を発行している。講義に招かれた7000名以上の労組代議員たちが、"Heer und Haus"の発行する文書の配布を行い、各職場の雰囲気を定期的に報告した。

1939年11月の軍命令で、Guisan将軍は"Heer und Haus"の士官及び軍隊指揮官に対して、訓示的な指示を与えた。
Ich erachte es als unumgänglich, dass zwischen ernsthaften Vorträgen, die eine dauernde Aufmerksamkeit erfordern, und den rein unterhaltenden Veranstaltungen eine saubere Trennung erfolgt. Die ersteren gehören in die Arbeitszeit hinein, die andern in die Freizeit. Beide haben Wichtigkeit, bald handelt es sich darum, zu belehren, bald zu vergnügen. Belehren heisst nicht, irgendwelche Theorien aufdrängen, wohl aber die Gedanken anregen und die Überlegungen herausfordern. Es handelt sich darum, der Mannschaft vor allem anhand konkreter Beispiele die greifbare und geistige Wirklichkeit Schweiz, ihre ehrenvolle Vergangenheit, die militärischen Traditionen zu schildern, unsere Helden, Künstler, Wissenschafter zu ehren, den hohen Kulturstand, den sie erreicht hat, aufzuzeigen und auf ihre Bestimmung in dieser Welt hinzuweisen. Auf diese Weise wird sich die Truppe des Wertes der Güter bewusst, die sich mit den Waffen zu verteidigen berufen sein kann, und dergestalt erhält unser Aktivdienst seine volle und wahre geistige Bedeutung.

ちゃんと聞かなければならない真面目な講義と、まったくのエンターテインメントイベントは明確に区別しなければならないと私は考える。前者は労働時間に、後者は余暇時間に属する活動だ。いずれも重要で、前者はほぼ教育に関することであり、後者はほぼ楽しみに関することだ。教育では、いかなる理論も押し付けてはならず、考えることを刺激し、考えに挑戦すること。ポイントは、具体的かつ精神的なスイスの現実とその輝かしい過去と軍の伝統を提示し、英雄や芸術家や科学者たちを称え、彼らが達成した高い水準の文化を示し、世界におけるスイスの目的を示唆することだ。このようにすることで、軍隊は、兵器で自分自身を守るにあたり、使われる物の価値を知ることになり、我々の戦時動員は完全かつ真の精神的意義を獲得する。[4]


歴史学者Peter Dürrenmattやその他の観察者たちにとって、"Heer und Haus"が1941〜1945年に、抵抗の精神力の維持向上に明確に寄与したことは明らかだった。
So darf man sagen, dass es nie zuvor in der Geschichte der Eidgenossenschaft eine Bewegung von nur annähernd gleicher schöpferischer Eintracht gegeben hat, wie jene, die sich um den Aufklärungsdienst der Armee, um die Idee von ‹Heer und Haus› herum gebildet hatte.

したがって、スイス連邦の歴史の中で、これまでになかったことであり、軍隊の偵察任務について形成されたのと同様の創造的合意が、"Heer und Haus"の考えにあった。[5]


スイス軍士官Oscar FreyとRobert Frickは、"Heer und Haus"での精神的国土防衛に関する公開講座で、ドイツ体制の不興を買い、正当化することを求められ、警告を受け、Oscar Freyは講演禁止命令を受けた。彼らの講座のコンテンツは、検閲を大きく逸脱するものだった。[6]
第2次世界大戦後の活動

1945年に動員が終わると、"Heer und Haus"は解散した。彼らのタスクは戦争関連であると考えられていたからだ。東側共産主義という新たな脅威に直面し、"Heer und Haus"に所属していた人々は、1947-1948年に、民間人のための民間情報提供機関を立ち上げた。それが、Schweizerische Aufklärungsdienst(スイス情報提供機関; SAD)とRencontres Suisses(スイス会議; RS)とCoscienza Svizzera(スイス人の意識)である。1947年末、Neuen Helvetischen Gesellschaft (新スイス社会)の支援を受けて、SADは精神的国土防衛の精神のもと、共済主義全体主義と戦うことに専心することになった。1956年のハンガリー動乱の後、"Heer und Haus"の軍隊側は、議会決議により再起動されたが、民間側はSADとRSという既存組織が残された。"Heer und Haus"は精力的に民間報機関(Aufklärungsdiens)と連携した。

1961年の軍の改革により、"Heer und Haus"は軍隊に統合され、軍の指揮下に入った。1962-1963年の、軍隊及びEMD(現在の連邦防衛・国民保護・スポーツ省; VBS)における、精神的国土防衛をめぐる支持者と反対者の対立の結果、EMDの直属機関から軍隊に移管され、その目的も精神的国土防衛から軍隊への情報提供に変った。1970年代には、"Heer und Haus"を社会統制及び軍隊イデオロギーの格差の手段だと見ていた左翼からの批判を受けた。1978年には、連邦参事会が"Heer und Haus"を廃止して、軍指揮官を支援する軍情報提供機関を設置した。民兵組織にとって、これは敗北だった。というのは、民主的で多様な意見の講演者が重要な情報手段となったからだ。"Heer und Haus"に代って設立された軍情報提供機関は、軍の情報士官としてジャーナリストやメディア専門家を雇用した。

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[1] Botschaft zum Bundesgesetz über die Stiftung Pro Helvetia vom 8. Juni 2007
[2] Botschaft des Bundesrates über die Organisation und die Aufgabe der schweizerischen Kulturwahrung und Kulturwerbung vom 9. Dezember 1938.
[3] Armeebefehl «Betrifft Geist der Truppe» von General Guisan, 3. November 1939, BAR E27/9049.
[4] Edgar Bonjour: Geschichte der schweizerischen Neutralität – Vier Jahrhunderte eidgenössischer Aussenpolitik. Band 7, Basel, Stuttgart 1974, S. 33.
[5] Philipp Wanner, Oberst Oscar Frey, Stadtarchiv Schaffhausen, Schaffhauser Biographien Band III 46 (1969) S. 73–82.
[6] Yves-Alain Morel: Aufklärung oder Indoktrination? Truppeninformation in der Schweizer Armee 1914–1945. Thesis Verlag, Zürich 1996, S. 120.






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