冷戦時代の核実験や民間防衛をめぐるカルチャー

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The Last Testament (1981) by Carol Amen


1987年、作者のCarol Amenは一年の闘病生活の後に癌で、カリフォルニア州サニーベールの自宅で死亡した。享年53歳。近くの成人向け学校や大学で作文の教師をしていた。夫は1985年に死亡しており、その当時は、両親と息子と二人の娘と兄と孫娘が健在。(LA Times 1987/07/11))

"The Last Testament"は1981年8月に"Ms. Magazine"に掲載された3ページの短編で、1983年にWilliam DevaneとJane Alexanderを主演として映画化され、1984年にPBSでも放映された。映画の撮影はロサンゼルス近郊のシエラマドレで行われた。



Last Testament by Carol Amen

この日記を書き始めたときにように落ち着いているように見えても、心穏やかではありません。ナムはもっと落ち着いているかもしれないけれど。疲れ果てていて、もう希望もないけれど、私は正気を保とうとして、これを書いています。なにかすること、そう、義務的なこと。ここで何が起きたかを書き記すことに努めます。それがたとえ、心痛むことでも。私はこの記録をできだけ正確に、起きた順に書きとめたいと思っています。

3月23日

今夜は夕食を終えて、自己憐憫と格闘していました。トムが電話で、今夜は遅くまでサンフランシスコにいると言っていたのです。東海岸は全滅しました。キッチンのテレビで、ニューヨークからのニュースを見ようとチャンネルを回しました。映像が消えて、画面が輝きました。

そして、画面が暗くなりました。いつもの「技術的問題」によるお詫びが出ると思って、チャンネルを回しました。そう思ったのですが、音声も途切れていました。静止画面も点滅画面も表示されません。突然、画面が回復して、興奮したサンフランシスコのアナウンサーが叫んでいました。「我々は攻撃を受けています」 男性の声が大きくなり、「レーダーで確認されました。多くの東部の都市が破壊されました」というアナウンスがありました。

「東部は」と考えて、パニックが沸き起こり「兄のアトランタの家は!」と言いました。

私たちの年長の子供たち、メアリー・リズとブラッドが私といっしょにテレビを見ています。トムがここにいてくれたら。たぶん、スタントか、視聴者の反応を見る、何かオーソン・ウェルズのトリックのようなものだと言ってくれたでしょう。でも、テレビクルーを見ると、いたずらではないことがわかりました。アナウンサーはヒステリックになっていました。何度も「大規模報復攻撃」という言葉が聞こえてきました。兄の家族は本当に死んでしまったのでしょうか?同じ輝きが画面に映りました。でも、今度は、私たちの身の周りにそうでした。不気味な光が射し込んできて、恐ろしいほどに明滅しました。

「トム! トム!」と私は叫びました。
「サンフランシスコがやられたの?」

メアリー・リズとブラッドと私が外へ駆け出すと、もうすぐ3歳になるスコッティーが泣き出しました。12歳で、とても論理的なブラッドが、強く光った南を見るべきか問いかけてきました。14歳のメアリー・リズは私より、ずっと大人みたいでした。彼女は1秒ほど視線を動かしませんでした。巨大なキノコの形をすると思っていたのですが、実際は、逆さまの山のようでした。夫が3時にいた場所から、人の生命を吸い出しているかのような漏斗を見て、私は立ち尽くしていました。

「トム、ああ、トム」と私はささやきました。最初の爆発の、視覚的エコーのように、さらに遠くで爆発が起きていました。6発か7発くらいだったでしょうか。スコッティーが泣き出して、私の足にしがみつきました。私は無意識に、スコッティーを抱き上げると、足元の地面が揺れ始めました。

「地震!何てこと」
「パパが、私たちのところに帰ってきます」そういって、一息ついて、「パパは帰れるなら、帰ってくるでしょう」と言いました。私たちは家に中に入りました。私はスコッティーを抱き寄せました。

「ブラッド、トランジスタラジオをとってきて、民間防衛放送局に合わせてちょうだい。誰かが何が起きたか教えてくれるでしょう。」

「本物の警報の時は」緊急指示が受けられると聞かされてきました。張り詰めた状態で、当局の担当者の声を探して、小さなラジオについているダイヤルを右に左に回してみました。何も聞こえてきません。私は母と話したくて仕方がありませんでした。母は私が悪夢を見ると、元気づけてくれました。電話をかけようとしましたが、ダイヤル音がしません。電気が切れたようです。

ブラッドが興奮して「ママ、ハリデイさんの無線機があるよ。非常電源もある。」と言いました。

トムが帰ってきたとき備えて、エイブとベティのところに行くことと、3月23日午後7時15分という日時を書いたメモを残しました。

ハリデイ家の光景は、出来の悪い映画のシーンのようでした。刻一刻、人々が引き寄せられるように、やってきました。

エイブは無線機にかじりつき、ベティが素早く出入りして、簡潔な情報を持ってきました。「シアトル全滅」「ユバシティとつながった。無傷」生き残ったハム仲間たちが、全力で上方収集にあたっていました。

私たちはコーヒーを飲み、互いに無意味な会話をし、子供たちを落ち着かせようとしました。11時ごろに、エイブが一休みして、出てきました。ベティが彼の側に急いで立ちました。私はエイブの眼が私の心をのぞき込んでいるように思えました。エイブとトムは釣り仲間でした。

「サンフランシスコは全滅。ベイエリア全体が。そこの誰ともつながらない。我々は、はずれにいる。我々よりサンフランシスコに近いのは一人だけだった。サクラメントは沈黙している。全く何も聞こえない。カリフォルニア南部も同じだ。トウェインハートの仲間は、ヨセミテに直撃したと考えている。そこには戦略的なものは何もないのに。」とエイブは、かすれた声で言った。部屋は静まり返っていた。

「我々はラッキーだ。生存者だ。皆さん、カリフォルニア北部とオレゴンともつながった。田舎や、小さな町で、工業地帯や軍事拠点に近くないところだ。我々は通信途絶になったようだが、負傷もしてないし、死んでもいない。我々はラッキーだ。」

私は子供たちを呼び集めて、家に帰りました。昔読んだことがある、女性たちが愛する夫を失った物語のことを考えました。彼女たちは金切り声を上げ、自分の服を切り裂きました。私が読んだ物語のヒロインたちと全く同じように、錯乱しました。私の夫、トム、世界で最も愛しい人。

こんなことは初めてです。麻酔なしに内臓を抉り出されたようでした。何時間も、私は窓の側でトムの椅子に座って、トムのことを思い出そうとしました。彼の眼の琥珀色の斑点まで目に浮かびました。彼の手の甲の、ちょっと伸びた短い剛毛まで感じられました。彼独特の香りまで感じたように思えました。でも、あの日の朝、午前6時に、トムが出かけるとき、「愛してる」と言ったのが、私だったのか、トムだったのか思い出せません。

3月24日

その日の記憶は不鮮明です。食事をとって、お皿を洗って、友人と連絡して、天気を怖がりました。空は黄色で暗く、気体というより液体のようでした。そして、暑く、とても北部の海岸沿いの町の3月の気候とは全然違っています。怖いです。「我々はラッキーだ」というエイブの言葉を、なかったことにしたくなりました。ブラッドと私は、トムが奇跡的に家に帰ってきたら、どこか安全な場所に車で行くために、ガソリンが必要になるだろうと判断しました。

私たちは、いつものガソリンスタンドに行きました。スリムさんが、ライフルを膝において、ポンプの傍の椅子に腰かけて、自分の息子に、使い古されたシボレーのタンクを満タンにするよう指示しているのを見て、恐怖に襲われました。そのまま、車を運転して走り去ろうとしましたが、スリムさんがやってきて、丁寧に話しました。

「奥様、おはようございます。ご主人は昨夜、帰宅されたでしょうか?」
「夫は遅くまで街にいる予定でした。」

私たちはしばらく考えました。私は車のハンドルをしっかり握りました。「夫は逃げ出せなかったようです。」スリムさんの年老いた顔に悲痛な表情が見えました。トムは、スリムさんの知恵遅れの息子テディを、よく釣りに連れて行きました。自分の子供たちが、なかなか会えないのに、トムはこの少年と貴重な時間を過ごしていることに、ときどき私は羨んでいました。そして、私は自分の憤りに、罪悪感を感じたものでした。

「ガソリンですね、奥様」
「おいくらですか?」
「お得意様はタダです。クレジットカードにチャージしないのが、今はいいのです。」とスリムさんは答えました。
「でも、私は払えます。これはあなたの事業で、慈善でないでしょう。」
「奥様、昨夜、私は考えたのです。私とテディに多くは必要ありません。食糧と家があれば十分です。ガソリンがなくなれば、庭に作物を植えます。釣りにも行くでしょう。」

ブラッドがシートから身を乗り出して、スリムさんの息子がガソリンタンクのキャップを回すのを見て言いました。「サットンさん、では、なぜ、ライフルを持っているの?」

「ガソリンをタダで配っているのは、私がバカだからではありません。ここで、ガソリンを満タンにしようと待っている人々は、誰もガソリンスタンドの中を見ませんし、テディに時間を使ってくれたわけでもありません。」

私は赤面してしまい、言葉を慎重に選んで話しました。「ガソリンはいただきますが、スリムさんとテディに食事を提供させてください。私は何らかの形で、お支払いしたいのです。」

「奥様、ガソリン代はもう、一度ならず、いただいています。このガソリンが、奥様おお役に立てればよいのですが。」

帰り道、カトリック教会に多くの人々が集まっているのが見えたので、中に入りました。市長が息を切らしていました。「薬局で薬品強奪があり、一部のガソリンスタンドでは、ガソリンの価格が1ガロンあたり100ドルになっており、これでは戒厳令発令の必要があるかもしれません。」と市長は言っていました。そして、ボトル水だけを飲み、缶詰だけを食べるようにと、助言していました。私は笑いたくなりました。150マイル彼方で、爆弾が、街を跡形もなく破壊し、破片を空へ巻き上げたとしても、それが家のアプリコットに大して影響するとは思えません。

3月27日

私たちの木。

私たちの木。

今日は何も書けません。

3月29日

心落ち着かせるために、何かをしようと思いました。私たちは昼食を詰め、スコッティーをベビーカーから引っ張り出しました。海岸まで歩いていこうと思ったのです。でも、私たちの木を見てしまいました。数年前、家族で、道路美化のために、木や低木の植樹をしたのです。私たちの木はプラムで、トムが自分で穴を掘って植えたものです。花が咲き、紫色の葉をつけ、葉が落ちるという季節の移り変わりを、誇らしく見たものでした。ほんの数週間前、花びらの舞う木を背景に、娘の写真を撮ったところでした。繊細な色合いでした。そして、別の日に、丘の上から、その木を見ました。写真を撮った後、葉をつけていました。でも、今は、その木がプラムに見えません。なんというか。

四肢にかけられた埋葬布のような薄いぼろ布のようでした。

メアリー・リズとブラッドは、最初、わけもわからずに、木を見つめました。そして、ブラッドが「ぼくたちも死ぬんだね、ママ?」私たちは灰を被った葉を見ないようにして、寄り添いました。そして、ムンプスや麻疹が流行したときに、先生が保護者に送ってくる「感染症曝露」書式のことを思いました。その書式には、さまざまな病気と潜伏期間が書かれていて、先生が該当するボックスにチェックを付けて、保護者が対応できるようにしていました。今、私たちは、プラムという自然からの「感染書曝露」書式を見ているのです。

3月31日

最初に死んだのは、私たちのベビーシッターをしてくれたことのあるキャシー・ピトキンの生後3週間の赤ちゃんでした。タウンミーティングと祈りのとき、誰かが、幼いスージーが死んだのは先天性欠損によるものかもしれないと言っていました。私は、キャシーと彼女の夫のところに急ぎました。キャシーはすすり泣いていました。

夫のジョンは「自分たちはラッキーだと思っていた。」と、つぶやきました。

「もう、爆弾は落ちそうにない。幼い可哀想なスージーは、病気になって死んだ。もちろん、キャシーには、ぼくたちはまだ若いと言おうとした。また、子供がつくれる」 私はジョンの瞼を降ろして、その粗野なイノセンスを見て取ろうと、ジョンを見つめました。ブラッドもジョンほどは純真ではありません。

「何故、キャシーが、あなたのところに話に行かないか、わかります? キャシーは尊敬してるから。あたなが自分の子供の面倒見ていたように、スージーの面倒を見ていないといけないから」
「キャシーは面倒を見ていた?」
「ああ、スージーはシリアルやベビーフードは食べてなかった。キャシーは母乳がちゃんと出てたから。ぼくらは、スージーに水は与えたけど、ちゃんと煮沸した。水は汚染されてないと思う?」
「ジョン、すべて汚染されていると思うわ。キャシーを慰めてあげて。スージーは幸せだったと伝えて。何週間かすれば、わかってくれると思うわ」

4月2日

メアリー・リズはコマドリのさえずりを確かに聞いたと言いました。でも、そうは思えません。

4月5日

二十数人が死んで、もっと多くの人々が病気になっています。症状はいろいろです。高熱、かゆみ、乾燥肌、嘔吐。髪も抜け落ちるかと思いましたが、それより早く死んでしまったようです。もう、赤ちゃんは、みんな死んでしまいました。これは前兆にすぎず、始まりでしかないのかもしれません。他の人の具合が悪くなっても、偶然の一致だと思おうとしました。知っていることをすべて納得するのに、海外まで往復するだけの時間がかかりました。子供たちには、私が見たものも、私が考え直したことも話していません。

4月8日

スコッティーが熱を出しました。スコッティーは、なんどもピーターパンの話をしてくれるよう、せがみました。メアリー・リズが「あたしは飛べる。あたしは飛べる。あたしは飛べる。」と歌いました。私はとても、その歌声を聞けませんでした。でも、スコッティーから離れることもできません。

4月9日

交代で、メアリー・リズと私はスコッティーの体を洗いました。でも、体温は下がりません。スコッティー。スコッティー。町の多くの人々が死にました。多くの店が閉店し、学校も休みです。新聞は週刊で、生存者情報を載せた1ページしかありません。ガソリン不足で、ごみ収集は不定期になっています。ガソリンや電気が必要なサービスはもうやっていません。2つのスーパーマーケットと3つのグロッサリーストアが店を開いています。店の経営者たちは、缶詰製品の在庫を確認して、公平に配っています。すべてが元通りになってから、払ってくれればいいと言っています。幼い子供と老人だけが死んでいくという説があります。少数の人々が、自分は強く頑丈だと感じています。エイブ・ハリデイが出てきました。ハリデイ夫婦は4人の子供のうち、2人を亡くしていました。でも、エイブはまったく諦めていません。

エイブは、一日18時間は無線機にかじりついています。人伝えで、東はネブラスカまで生存者がいることを知りました。エイブによれば、どこでも人が死んでいて、遠隔地でもそうです。でも、エイブはすべてが失われたわけではないと判断しています。私はエイブの空想が羨ましい。

4月11日

昨日午後1時30分に、スコッティーが死にました。裏庭の褐色化した薔薇の茂み近くに、3人で深い穴を掘りました。墓地は口では言えない状況です。ジャンセンさんが来てくれて、祈ってくれました。多くの場合、ジャンセンさんやカトリックの聖職者たちは、大量埋葬をしていて、これまでに700人近くの埋葬をしています。皮肉なことに、ジャンセンさんは、私たちが彼から得たのと同じくらいの慰めを、私たちから得たと思います。私たちが親しくなったのでは、トムの両親が交通事故で死んだ時で、それから、スコッティーが生まれる前に、私が鬱になったときでした。彼は善人です。

4月12日

少なくとも1300人が死にました。町の人口の半分以上です。ビールズコントラクティングが大きなダンプ1台で死体を回収して、街の東の端の共同墓地にブルドーザーで埋めています。もう、墓地ではどうにもならないからです。ブラッドとメアリー・リズはときどき些細な口論を始めてしまいます。そんなとき私は「もう、すぐ死ぬのに、神のために、残りの時間を愛し合えないの」と言いたくなります。

そして、私が何か言う前に、二人は仲直りし、いっしょに静かに、平和に座ります。スコッティーが死んでから、ブラッドはプロジェクト、ゲーム、頭の体操を提案し続けました。でも、それでは気はまぎれません。庭にも心の安らぎを見出せません。私が植えた草花は枯れてしまい、空気中を漂う香りは悪臭だけ。サンフランシスコから、カナダから、中国から、私の知っているどこからも漂ってくる、死の香りだけです。

また、ブラッドが別のアイデアを思いつきました。ラリーの両親が死んで、私たちのところに移ってきたときでした。たぶん、友達に何かさせておきたかったのでしょうか、ブラッドは近所を調べるという作業に当たることを提案しました。ブラッドは、ブラッドとラリーとメアリー・リズと私の4人でチームを組んで、近所の家を回って、朝のチェックをするというものでした。数年前に口論したことのある女性を、私たちが最初に訪れたとき、家に入れてくれないと思いました。子供たちが互いに盗まれたと主張するボールについて、彼女と私は喧嘩をしたのです。それ以来、彼女と私は10年間、話したことがありませんでした。ラリーと私は、スープの瓶を持って、彼女の家のポーチに出かけ、彼女の敵対的な視線を待ち、そして、彼女の後をついて、家の中に入りました。

かつてはメアリー・リズの遊び友達だった、彼女の娘が昏睡状態で横たわっている寝室へと、彼女は私を招き入れました。時を超えた瞬間、私たちが愚かだった過去と、私たちが死んでいる未来を忘れました。そこには現在だけがありました。具合の悪くなった子供の前に、無力な二人の母親。彼女と私は腕を探り合い、長い間、抱き合い、泣き、彼女の娘の感傷的な息を吸っていました。私はラリーに一人で、残りの見回りをするように言いました。道のりの終わりに、私は空き地の乾燥した草の上に倒れおみました。私は土をかきむしり、吐き気がし、叫びました。どれだけ時間がたったか覚えていません。私は気がくるっていました。それでも、このような姿を子供に見せてはいけないことは、わかっていました。

4月14日

私たち3人は近くにいる必要があります。ラリーがいることは、その妨げにはなりません。ときどき、私たちは一休みし、一人が家族のことを話し、旅行のことや、楽しいことを振り返りました。

「おばあちゃんのゲストルームのキルトのこと覚えてる?」
「モノポリーを覚えてる?」
「パパを覚えてる?」

私たちは何をするにも時間がかかるようになっていて、見回りをやめようかと思いました。メアリー・リズが「私たちが行くと、あの人たちの目が明るくなるの」と指摘しました。私たちは見回りを続けることにしました。多くの人々が死んで、もう見回るべき家が少なくなっていたのです。それでも、見回りに時間がかかるようになっていました。私たちは、二人の幼い子供たちを、スコッティーの部屋に連れてきました。でも、二人とも長くないかもしれません。

4月15日

今日は、以前なら確定申告の期限日だった日です。ビールズコントラクティングは、死体をブルドーザーで埋めるのをやめて、燃やすことに切り替えました。墓所を開くために大きなキャタビラー車を動かすよりも、死体を燃やす方が、労力が少なくなったからです。

4月24日

昨日か一昨日、ラリーが突然、死にました。朝、見回りに出かけて、午後に、ベッドにもぐりこんで、死にました。私は、ラリーが静かになったのに気づけなかったことを悔やみました。ラリーの母親は私の友人で、ラリーとブラッドはここ数年、仲が良かったのです。

私は彼女に、ラリーの面倒を見てあげると言ってあげられれば、と思いました。でも
彼女はあまりに早く死んでしまいました。私たちは、抱き上げるために、この愛おしい我慢強い男の子の体を隅まで引っ張り出しました。そして、私はミレイの一節を思い出しました。

下へ下へと下ってゆく、墓所の闇へと
優しくゆく、美しき者も、優しき者も、親切な者も
静かにゆく、知恵ある者も、機智に富む者も、勇敢な者も
私はわかっている、でも認めない、あきらめない

奇妙なことに、いまほど、文章を発表しようとした詩人や職人や労働者たちに、親近感を覚えたことはありません。誰かが生き残って、ミケランジェロの作品や、ナアホの敷物や、私のメモを見ることがあるでしょうか?

5月1日

メアリー・リズが今日、倒れました。私は彼女の傍らに座って、これを書いています。彼女は、そんなに苦しまずに終わると思います。安心させてほしいと、彼女は叫びました。でも私は元気づけることができません。スコッティーのときは、まだ気丈に振る舞えたのですが。彼女にはそうはできません。トムの腕の中で、憂鬱になったり、癇癪を起したり、相談したり、慰めてもらったりできるのを、待ち焦がれています。この子は、私の最初の子供、美しい娘です。彼女は熱い指で、シーツをこすっています。

メアリー・リズが死んだら、誰が私を慰めてくれるのでしょうか?彼女は飲み物がほしいと言います。それなら私は用意できます。でも、パパを連れて来てほしいと言われても、私にはどうすることもできません。

メアリー・リズはまだ生きていますか? まだ生きています。「トム」と私は心の中で叫びました。トム、あなたは、子供たちが死んでいくのを見ることがなくて、ラッキーです。私は自分が嫌になります。集中できません。たぶん、意味のないことを書いているのでしょう。ときおり、書いたものを読み返すと、言葉がふらついています。私は何が言いたいのでしょうか? 私はなぜ体力を温存しないのでしょうか? 記録を付けることが重要だと言い続けています。私が正気でありつづけるために、そして文明とつながり続けるために。

ブラッドは一人で、今日の見回りをして、一人の男を家に連れてきました。この病人は哀れな人間の抜け殻です。ときおり、この男はベッドから這い出して、キッチンで食べ物をつかんで、自分の部屋にため込んでいます。私たちが面倒をみること信じられないのでしょうか。私には同情する余裕がありません。ブラッドは、1ブロック半ほど離れた場所を日に数回見回るより、ここに置いておいた方がいいと言います。

そのあと、一休みして、ブラッドはニュースがないかハリデイの家に出かけました。ビールズコントラクティングの運転できる人は、もう誰もいません。ベティ・ハリディと子供たちは、みんな死んでいました。私たちがこちらに引っ越してくるようにという、伝言を、エイブはブラッドに託しました。エイブは無線機を離れたくないのです。バカなことを。無線機はもうどこともつながっていません。でも、エイブは、奇跡か何かが起きて、私たちが助かるのだと考えているようです。

メアリー・リズはまだ生きていますか? まだ生きています。「トム」と私は心の中で叫びました。トム、あなたは、子供たちが死んでいくのを見ることがなくて、ラッキーです。

私は自分が嫌になります。集中できません。たぶん、意味のないことを書いているのでしょう。ときおり、書いたものを読み返すと、言葉がふらついています。私は何が言いたいのでしょうか? 私はなぜ体力を温存しないのでしょうか? 記録を付けることが重要だと言い続けています。私が正気でありつづけるために、そして文明とつながり続けるために。

たぶん5月3日

メアリー・リズが死にました。私は埋葬布を用意し、ブラッドと私で彼女を、裏庭の、スコッティーの墓の上の地面のところまで、引きずっていきました。私たちは傍に座って、彼女を見て、痛みが和らぐのを待ちました。長い時間が流れて、ブラッドがしゃべり始めました。「天にまします我らの父よ・・・」それを言い終わるのに、長い時間がかかりました。私たちは途中で忘れてしまって、何度も、やり直しました。私は具合が悪くなってきました。でもブラッドは弱ってはいないようです。もう少しだけ、持ちこたえようと思います。なんとかなると思う。

ブラッドは頑張って大人になろうとしています。いいえ、もうブラッドは大人。トム、彼はもうあなたみたい。彼は昨日も出かけて行きました。メアリー・リズが・・・すぐあとに。私には私たちの娘の終わりを意味する言葉を口にできなません。でも、ブラッドは出かけて行きました。ジャンセンさんが数日前に死んだと言っていました。ブラッドはジャンセン司祭が、ぐったりしているのを見つけました。ブラッドとジャンセンさんは、すべての住宅を回って、病気が良くなるようにお祈りをしようと約束していたのです。しばらくの間、ブラッドはジャンセンさんを手伝っていました。彼らは3人の生存者を見つけました。

5月5日だと思う

今日、ブラッドがテディをガソリンスタンドから連れてきました。その姿に、混乱状態のスコッティーを思い出しました。スリムさんは数日前には死んでいたようです。ブラッドによると、彼らの家がひどい状態でした。

数日後

昨日、ブラッドが散歩で、エイブがゾンビみたいに無線機に張り付いていたのを見たと言っていました。エイブは、ブラッドがひっぱたかないと反応しなかったそうです。エイブは丸四日間、無線機を離れていなくて、無線機はずっと沈黙していました。トム、それでエイブも力尽きたようです。エイブは私たちのなかで、もっとも希望を持ち続けていました。ブラッドはエイブに、うちに来るよう誘いました。エイブは椅子から立ち上がろうとして、床に倒れ込みました。もう脈がありませんでした。それで、ブラッドは家に帰ってきました。そして私にエイブのことを、エイブが病気だったことを話してくれました。もう、私たちも長くはないのでしょう。最期は3人いっしょに、ガレージで終わろうと思いました。スリムは、排気ガスが使えるのではないかと考えていました。

そうすれば、誰一人、最期の時を孤独に迎えることはありません。私は外へ出て、自動車を調べました。バッテリーはまだ生きていました。無生物がそんなに調子がいいのが、皮肉に思えました。自動車を動かすのに、そんな手間がかかりました。ひとつひとつが、大変でした。そして、私は家に戻り、テディとブラッドを連れてきました。テディはトムのお気に入りの釣り竿を見つけていました。それを、安心毛布みたいに、頬につけていました。ブラッドは近くに座って、眼を閉じていました。もう驚くことはないと思っていたのです。でも、私はできないと気付きました。私にどんな権利があるの?私たちは、まもなく逝くというのに。私は神に私を目覚めさせ、テディとブラッドが先に天に召されるよう祈りました。

最後の記録

もし、生き残った人がここに来たら、知ってほしいことがあります。私たちは動物のように振る舞ったりはしませんでした。ほとんどの人は善良でした。彼らは助けてくれました。彼らは試みました。できることなら、死後と同じように、生きていられたら。












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