忘却からの帰還〜Atomic Age - 新聞・雑誌
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[Colliers, 1950/08/05 (copy on drexe)]

既に1945年11月には米国の週刊誌LIFEが核戦争を記事にしていた。その後も、LIFEやCollier'sが時折、核戦争の記事にしてきた。
各地の新聞は、ご当地の主要都市を核攻撃で粉砕する仮想報道記事を載せた。
より刺激を求めて、記事はエスカレートしたが、米国政府は国民が民間防衛に真剣になるのではないかと期待して、恐怖を煽る報道を放置した。
LIFEは1961年に、ケネディ大統領の挨拶文を含む、大々的な核シェルター特集を組んだ。そこには、Fallout3のVaultを思わせるコミュニティシェルターを見学する人々の姿があった。 LIFEは翌年(1962年)にもコミュニティシェルターを取り上げる、
Timeも1961年8月25日に、自分のシェルターを守るために、他人を暴力で排除するという市民の声の載せている。
Newsweekも1961年11月6日に、シェルターについての記事を掲載している。
そのような記事・報道を受けて、米国の核戦争についての世論調査は決して、核戦争に、特に都市部では楽観的ではなかった。しかし、田舎は他人事だった。そのような田舎の人々に冷水を浴びせかけたのが、1983年のABCテレビ映画The Day After (1983)だった。

核実験についての報道

Operation Crossroads(1946)で生き延びたブタ(Pig311)をめぐって
核攻撃の影響についての報道
英国の核攻撃机上演習についての報道

英国内務省のProtect and Surviveは、国民に居住地にとどまることを推奨した。しかし、地方自治体などを対象として机上演習では、ロンドンから逃れてきた人々による略奪をシナリオに入れていた。このあたりについて、Duncan Campbellが調査を行い出版している。 そして、もう一つ、Protect and Surviveにない要素がこれらの演習にはあった。それが、内なる敵。外敵は破壊工作員を潜入させて破壊工作を行うが、それに呼応する国内勢力の存在を考慮の対象としていた。


ブックレットへの反応(米国)
ポスター・チラシ

地方紙が公共シェルターと家庭用シェルターについての広報記事を載せることもあった。たとえば、1971年9月に、ノースカロライナ州Davidson郡の地方紙は16ページの紙面のうち4ページを使って、郡行政委員会の広報記事を載せた。

電力会社が顧客に配布した裏表1枚ものの核戦争対応ガイド:
保険会社による、自社宣伝を下部に入れた公共広告(核戦争対策):
LIFE誌の片隅に掲載された、効果的に除染できる液体洗剤の広告: