忘却からの帰還〜Atomic Age - 新聞・雑誌
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[Colliers, 1950/08/05 (
copy on drexe
)]
既に1945年11月には米国の週刊誌LIFEが核戦争を記事にしていた。その後も、LIFEやCollier'sが時折、核戦争の記事にしてきた。
LIFE 1945年11月19日号が描く核戦争
LOOK 1948年10月26日号が伝える耐原爆都市のアイデア
LIFE 1949年10月10日号が問うソ連の原爆輸送能力
Collier's 1950年8月5日のマンハッタン核攻撃
Collier's 1951年10月27日の米ソ核戦争
Pageant 1951年2月の米国都市への核攻撃
Popular Scienceの1961年12月号が描く核シェルター
核戦争の時代の幕開けの頃のLIFEの記事
1950年代の民間防衛(LIFE 1950/12/18)
中国の核の脅威を伝えるLIFE(1965/5/28)
各地の新聞は、ご当地の主要都市を核攻撃で粉砕する仮想報道記事を載せた。
新聞の仮想報道の始まり(1952, 1953)
1956年7月20日のBuffalo Evening News
1956年7月21日のThe Grand Rapids Herald
1953年9月25日のLong Island Newsday
より刺激を求めて、記事はエスカレートしたが、米国政府は国民が民間防衛に真剣になるのではないかと期待して、恐怖を煽る報道を放置した。
エスカレートした1960年代の仮想報道
LIFEは1961年に、ケネディ大統領の挨拶文を含む、大々的な核シェルター特集を組んだ。そこには、Fallout3のVaultを思わせるコミュニティシェルターを見学する人々の姿があった。
LIFE 1961年9月15日のボルトテック
LIFEは翌年(1962年)にもコミュニティシェルターを取り上げる、
LIFE 1962年1月12日のコミュニティシェルター
Timeも1961年8月25日に、自分のシェルターを守るために、他人を暴力で排除するという市民の声の載せている。
1961年のEthics at shelter door
Newsweekも1961年11月6日に、シェルターについての記事を掲載している。
Newsweek 1961年11月6日のシェルターは答えか
そのような記事・報道を受けて、
米国の核戦争についての世論調査
は決して、核戦争に、特に都市部では楽観的ではなかった。しかし、田舎は他人事だった。そのような田舎の人々に冷水を浴びせかけたのが、1983年のABCテレビ映画
The Day After (1983)
だった。
核実験についての報道
Operation Crossroads(1946)で生き延びたブタ(Pig311)をめぐって
Pig311をめぐる報道
(1946)
核攻撃の影響についての報道
Rand Corpによる水爆攻撃の死者推定1億6000万人
(1958/08/09)
民間防衛局による水爆攻撃による死者推定4800万人
(1959/06/26)
米国の医師たちによる医学的影響評価
(1981/08/06)
軍備管理軍縮庁の数千万人が死亡するという核戦争影響推定
(1981/08/10)
英国の核攻撃机上演習についての報道
英国内務省の
Protect and Survive
は、国民に居住地にとどまることを推奨した。しかし、地方自治体などを対象として机上演習では、ロンドンから逃れてきた人々による略奪をシナリオに入れていた。このあたりについて、Duncan Campbellが調査を行い出版している。
Inside Right (1975)
Scrum Half (1978) (
英国Scrum Halfのゾンビ
)
英国Square Leg演習
(1980)
1982年の英国内務省の核攻撃後机上演習
(Exercise Regenerate, 1982)
Hard Rock 82シナリオ
(
Hard Rock 82の放送部分
)
そして、もう一つ、Protect and Surviveにない要素がこれらの演習にはあった。それが、内なる敵。外敵は破壊工作員を潜入させて破壊工作を行うが、それに呼応する国内勢力の存在を考慮の対象としていた。
ブックレットへの反応(米国)
Survival Under Atomic Attack報道(1950)
「米国政府公式パロディ」"Meet Mr. Bomb"を紹介する地方紙記事
ポスター・チラシ
地方紙が公共シェルターと家庭用シェルターについての広報記事を載せることもあった。たとえば、1971年9月に、ノースカロライナ州Davidson郡の地方紙は16ページの紙面のうち4ページを使って、郡行政委員会の広報記事を載せた。
デビッドソン郡の公共シェルタープラン(1971)
電力会社が顧客に配布した裏表1枚ものの核戦争対応ガイド:
アイオワ電力電灯会社のSurvival Under Atomic Attack
(ca1951)
保険会社による、自社宣伝を下部に入れた公共広告(核戦争対策):
オマハ保険のHow to Survive an Atomic Bomb
(1951)
LIFE誌の片隅に掲載された、効果的に除染できる液体洗剤の広告:
除染洗剤Flobar
(1950)