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ほぼ実話 5/30(日) 01:30:18 No.20100530013018 削除

しかし、そんな決意も数日も持たなかったと言います。
濃厚な麻薬のようなセックスに慣らされた体は、ひとりでに西脇に抱かれることを強く求めていました。
どんなに激しく、性器を痛めつけるようなオナニーをしてもたどり着けない快感を肉体と脳が覚えていたのです。


逡巡したあげく、やはり今はまだ別れられないと思ったそうです。
飛び出た日の夜にはすでに、西脇のマンションのそばまで行ったそうです。
しかし思い直して自宅に帰ってオナニーに耽りました。
2日目の夜も同じことを繰り返しました。
肉体の奥でくすぶり続ける、生の巨根への飢えや渇きを焼き尽くす事が出来ればと、与えられていたバイブを必死で駆使しました。
しかし3日目にはもうだめでした。


どうしても、あれを入れられたい・・


それは、肉体だけの問題ではありませんでした。
あれを入れられるとは、生意気で高飛車な女子部員という仮面をはぎ取られ、マゾとして嬲られ、辱められ、いじめられながら、される事なのです。
高い身長や細く長い脚、そして怜悧な美貌が、彼女に与えていた優越感の高みから引きずり下ろされる事なのです。
プライドを奪われ涙を流しながら犯される事であり、何より、強制的に私という恋人を裏切らされることだったのです。
それをされながら、いかされたかったのです。

少なくとも今は、まだ今は、その快感の魔力には逆らえない、それをはっきり認識しました。

3日目の昼前、シャワーを浴びて再び西脇のマンションに行きました。
一切のプライドを捨て去り、謝罪までしたと言います。
完全な陥落であり、二人の上下関係が決定しました。

しかし、本当の地獄はそこから始まりました。


謝罪とともに再びピアスと錠を付けられた彼女は2日に及ぶ放置プレイを受けました。

自分でピアスを切ったことへの罰です。
「この2日間の罰の辛さは本当に私という人間を変えた、人間が調教されるという事の意味を知った」とは妻の言葉です。

同じベッドの上で裸にされ、後ろ手に縛られ、乳首にはローターを貼り付けられたまま、西脇と沙季ちゃんのセックスを見せつけられ続けました。
目をそらすことすら許されませんでした。
西脇が沙季ちゃんに与える激しい快感をベッドの軋みを通じて感じさせられるのです。
ベッドを通して伝わってくるその振動が女性器にどのような衝撃や快感を与えているのかをよく思い知らされていたからです。
腰を打ち付けられる度に、恥骨でクリトリスがひしゃげ、太い全長が膣壁をえぐりあげ、最奥の子宮口を押しつぶすように亀頭がなすりつけられているのです。
しかし悲鳴を上げながらその感覚を享受しているのは彼女ではなく隣で西脇に組み敷かれている沙季ちゃんなのです。
妻の肉体は、舌なめずりをしながら、愛液をあふれさせ、膣が空虚な収縮をすることしかできませんでした。
今度は、フェラチオはおろか、二人の体に触れる事も許されない、放置プレイでした。

二人が寝るときになるとトイレを済ませた後、暖房をつけた別の部屋の椅子に縛り付けられ、ヘッドホンをつけ、アダルトビデオを見させられたそうです。
充たされない欲情と、肉体の疼きで一睡も出来ませんでした。

同時に、肉体に触れる事もない放置の孤独は、絶望的な焦燥感をもたらしました。
フェラチオでもいい・・沙季ちゃんのあそこをなめるのでもいい・・
体温への飢えは妻の思考を焼いてゆきました。

翌朝には不安とストレスで気が狂いそうになり縛られたまま大声で助けを求め叫んだそうです。
寝室から起きてきた西脇に一度だけ縛られたままの姿勢で抱きしめられました。
何時間ぶりかに感じた体温によって、身体が溶けだすような、感覚に包まれたと言います。
涙があふれ、ここぞとばかりに謝罪を繰り返しました。
しかし西脇はまだまだ終わりにするつもりはありませんでした。
水分補給とトイレを済ますと「もっとお仕置きがいるね」と言われプレイは続きました。
ボールギャグを咬まされ、新しいビデオを見せられたと言います。

今度のビデオは妻自身が西脇とセックスするところを、写したものでした。
初めて見るものの、身に覚えのあるものでした。
以前に、西脇が沙季ちゃんに撮らせたものでした。
延々と西脇にフェラチオし、挿入され、いかされ続け、中出しされ、叫び声を上げる自分がいました。
挿入部分のアップでは、白濁した粘液が、西脇の勢いよく出入りする巨根にまとわりついていました。
自らの性器が圧倒的な太さで変形しながら、肉をくわえ込んでいる様子は、見たことのない情景でした。
自分のあられもないよがり声は、映像と共に、その時の快感を、容易に思い出させました。
この瞬間は、膣の狭いところを亀頭が貫いたとき・・・
この声は、今、奥に当たってるんだ・・・
ヘッドホンを付けられ、四肢を固定された椅子の上で、腰がひとりでに、痙攣するようにひくつき続けるのを押さえられませんでした。

耐えられない・・・
本当にあれが欲しい・・・
触るだけでも・・・フェラチオだっていい・・・


昼過ぎに、再び寝室に連れて行かれ、再び沙季ちゃんと西脇のセックスを見せつけられました。
その間、繰り返し何度も何度も、ピアスを切ったことへの反省と謝罪の言葉を言わされ続け、2度と切らないことを誓ったと言います。

少なくともその時は、自分でも、ピアスを切ったことを本当に後悔したと言います。
ピアスを切って自分でオナニーしていた間、絶対に別れたいと思っても、結局は西脇から離れられない自分の身体を思い知っていました。
もしも再び、切ったとしたら、こんな罰を受けるのです。

再度、切ったことが西脇に分かってしまうと、写真を私にばらして、すべておしまいにすると脅しをかけられていました。
しかし実際は、写真がばらされることよりも、凄まじい快感を与えてくれる爛れたセックスを失うことを怖れる気持ちが強かったのです。
何より妻の方がその悪魔的なセックスの中毒になっていたのです。

その罰として焦らされ続ける時間の辛さが、完全に脳に染みこんだ感じだったと言います。
もう二度と決して自分で切ろうとは思わなかったと言います。

それでも、罰は終わりませんでした。
夕方には、再びビデオの前で椅子に大股開きで両手両足を固定され、ギャグを咬まされ、二人で外出したそうです。
部屋がビデオの映像の光以外真っ暗になる頃には、あまりの疲労で、意識が薄れるようにして眠りが訪れました。
しかし眠りは浅く、卑猥な夢や、ビデオの中の自分自身の嬌声に目を覚ましました。

ビデオの自動リピートが何回繰り返されたかも分からない深夜に帰宅した西脇は、再度沙季ちゃんとのセックスを見せつけた後で、すべての縛めを解き、妻にイラマチオを行いました。
30分だったかも知れないし、1時間だったかも知れないと言います。
妻の顔と口、そして咽を性器のように扱い、地獄のような嘔吐反射を繰り返させました。

それをされながら何の抵抗もしないでいること、物理的に拘束されていないのに挿入が欲しいがために拒絶することが出来ないでいることを、言葉にして告白させられました。
苦痛と屈辱を受け入れているのが妻の自らの意志である事を、言わされました。
事実、西脇の身体に触れて良いのは口だけと言われたとおりに、縛られているわけでもない両腕を背中の後ろで互いにきつく握りしめて、必死で耐えていました。

西脇のセックスから逃げられない心と体であることを思い知らせ、閉じ込めました。
完全な洗脳です。

限度を超えたストレスでトランス状態のようになった妻はイラマチオを受けながらも、肉、それも生の男根の暖かみを感じるだけで、体中で快感を感じていたと言います。
いつの間にか失神し、横たわった妻ののど深くに西脇は射精し、妻は精液を気管に誤嚥しながら、激しく咳き込み、嘔吐し、意識を取り戻したと言います。
呼吸が落ち着くと、ようやく、南京錠も外してもらい・・許されました。

西脇のマンションに通い始めてから初めての本格的な抵抗は、西脇のセックスのエネルギーの前にいとも容易く封じ込められ、その代償の重さを妻の肉体がまざまざと感じさせられる事になったのです。


そして・・・
激しい鞭打ちの後の飴は至上の甘美さをもって与えられました。
沙季ちゃんを帰したのち、二人だけになりました。
求めていた巨根を優しく激しく膣に味わわせてもらい、全身を愛撫され、全身にキスマークと歯形を刻み込まれました。
数え切れないほど上り詰め、絶頂から降りて来られぬうちに、きつく締まった膣壁をえぐりあげられ、より高い絶頂に押し上げられました。
射精を性器の奥深くで受けながら本当にそのまま死んでしまう事を夢見たと言います。

西脇にお持ち帰りをされてから3ヶ月、私たちが大学3年生の12月のことです。
気が強く高飛車で、怜悧だった彼女が、その高いプライドを完全に西脇に打ち砕かれた夜でした。
この出来事を境に、西脇のサディズムはより激しいものになり、妻の服従は逃げ場のない本格的なものになっていきました。
その頃の私は、その前の週に妻と行った沖縄旅行でかなりのお金を遣ってしまっていて、バイトに明け暮れていました。



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