第1次アフリカ大戦(コンゴ内戦) 〜平和以外何でもある国 コンゴ

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 1965年のクーデターでコンゴの大統領になったモブツは国名をザイールと変え、
恐怖政治と東西冷戦構造を巧みに利用して、30年あまりの長きに渡って独裁を続けていった。
しかし冷戦が終結した90年代になると、経済政策の失敗による不況から国民の不満が高まり、
民主化に対する要求と相まって、モブツの政権基盤が危うくなってくる。
 そんな中、1994年に隣国ルワンダで大虐殺(ジェノサイド)が起こる。
多数派で政権を握るフツ族が、少数派のツチ族と穏健派のフツ族を次々と殺害。
わずか3か月の間に50万〜100万人もの人々が殺されるという凄惨なものだった。
しかしツチ族の反政府組織である「ルワンダ愛国戦線(RPF)」が、
同じツチ族政権の隣国ウガンダの支援を受けてルワンダへ侵攻。
するとフツ族政権はあっけなく敗北してしまう。
RPFはリーダーのポール・カガメを実質的なトップとした新政権を樹立させた。

 フツ族政権が倒れると、報復を恐れたフツ系住民は隣国ザイール東部へ逃げ出し難民となる。
その数は少なくとも85万人にものぼったという。
難民の中には虐殺を首謀した旧政権側の人間が多数混じっていた。
彼らはゲリラ組織「ルワンダ解放軍(ALiR)」を結成してルワンダ領内への反攻を開始。
ルワンダ政府軍はこれを撃退するのだが、追撃をするとゲリラはザイール領内に逃げ込んでしまう。
手を焼いたルワンダ政府は、ザイールのモブツ大統領へ国内に潜伏しているフツ族ゲリラを
掃討するように依頼するが、モブツはこれを無視して逆にALiRを支援してしまう。
これに怒ったルワンダ政府は、ザイール国内の反モブツ派やツチ系住民を纏め上げて、
コンゴ人ローラン・カビラを議長とした「コンゴ・ザイール解放民主勢力連合(ADFL)」を結成させる。
この時ADFLとルワンダ・ウガンダとの間で、ザイールをルワンダ・ウガンダとで分割併合して
国を消滅させる密約(レメラ合意)が交わされていたと言われている。
 ADFLはザイール東部のフツ族ゲリラを攻撃して、瞬く間に彼らを壊滅させる。
さらにルワンダ軍やウガンダ軍までもが、ツチ族保護を名目にザイール領内に進攻。
ザイール東部の鉱山地帯を占領して豊富な資源収入を得ることに成功する。
その金でルワンダ・ウガンダ政府はADFLに武器等を売り支援。
 戦力を増強したADFLは、1997年にザイール全土へ侵攻を開始した。
士気の低いモブツ率いるザイール政府軍は敗北を重ねる。
瞬く間にADFLが支配地域を拡げ、首都キンシャサに迫る事態にいたって、
ついにモブツはトーゴへ脱出し、32年にも及んだモブツ政権は崩壊した。
(第1次コンゴ内戦)

 ADFLのL.カビラは新政権を樹立。国名をザイールからコンゴ民主共和国に変更した。
だが実態は国防大臣にルワンダ人を据える等、傀儡色の強いものだった。
しかし傀儡に対してコンゴ国民から不満が高まると、L.カビラはルワンダを裏切り、
フツ族への融和策を取り始める。
怒ったルワンダはADFL内のツチ族を担ぎ出して「コンゴ民主連合(RCD)」を結成し、
1998年、コンゴ東部のゴマを占領。さらに首都キンシャサを包囲するまで侵攻した。
またウガンダも「コンゴ解放運動(MLC)」を組織して北東部を占領。
 対するL.カビラは国内の豊富な資源に対する権益を見返りに、
チャド・ナミビア・ジンバブエ・アンゴラに援助を求めた。
各国はコンゴ軍に協力してRCDやMLC(ルワンダ・ウガンダ側)と戦闘を開始する(第2次コンゴ内戦)。
こうしてコンゴ国内で、アフリカ大陸の複数の国家が参加する泥沼の戦争が勃発した。
その関連国の多さから、この戦争は“第1次アフリカ大戦”とも呼ばれている。

◎第1次アフリカ大戦参戦国図  ※アフリカ大陸の国家



 
国連の仲介で停戦合意がなされた後も戦闘は続いた。
だが2001年1月にL.カビラがボディーガードに殺害されて、
長男で参謀総長のジョセフ・カビラが29歳の若さで大統領に就任すると、
彼は内戦終結を目指して各派と交渉し、ついにプレトリア包括的和平合意を結ぶことに成功する。
2003年、RCDやMLCも参加した暫定政権が樹立したことで、
アフリカの多くの国が参戦した“第1次アフリカ大戦”は終結する。

 しかしコンゴ国内の政情は極めて不安定で、和平合意後RCDから
コンゴ軍に合流したローラン・ンクンダはすぐさま軍を離脱し、
反政府組織「人民防衛国民会議(CNDP)」を結成し政府軍と戦闘が繰り広げる。
2008年に停戦し、2009年にルワンダでンクンダが逮捕された後も、
ゲリラの活動は散発的に続いている。
 反政府組織が支配する東部は、村への襲撃・略奪や、
女性や子供に対する誘拐・レイプ、そして虐殺が横行している。
その数は国連人口基金によると1998年の紛争勃発以来、推定20万人にも及び、
75%が北キブ州で起こっている。65%は子供たちが被害者である。
また多くの子どもが兵士として反政府組織に徴用され、戦闘に参加させられている。
 紛争による死者は1998年から2008年までで推定540万人とされ、
第2次世界大戦以降最大の被害である。。

 コンゴは人道支援機関のスタッフから
「アフリカサハラ以南のどこの国々を見ても、コンゴほど天災、
人災の問題を全部抱えている国はない。虐殺からエボラ出血熱まで。
火山噴火から飛行機の墜落まで。唯一ないのは津波だけだ」と言われていた。
 しかし2008年2月にキブ湖で地震が起き、湖でありながら津波が発生して、
少なくとも子供4名が犠牲になったという。
これでコンゴは“何もかもある国”になってしまった。
「平和以外」は。。
(『世界最悪の紛争「コンゴ」』米川正子)

★地図は「CraftMAP」の白地図を加工させていただきました。

◎参考図書

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