ゴーダマ・シッダールタがブッダとなり仏教が誕生した当時のインドはバラモン(雄弁な哲学僧)、クチャトリヤ(武者)、ヴェシャ(一般人、商人など)、シュードラ(奴隷、差別されて酷い扱いを受けていた人)の4差別がありました。現代のように平和ではなく、戦争をはじめ、物盗りや人殺しが当たり前の日常でした。最上階級のバラモンは成人になると出家して、人の道、人の生き方を追求し、哲学論争を楽しんでいました。クチャトリヤは他国との戦争に明け暮れていました。ヴェシャはシュードラのような扱いを受けないようおびえて暮らしていました。シュードラは毎日が悲惨そのものでした。その苦しみは想像を絶するものでした。
クチャトリヤのカピラという小国の城の王子であったゴーダマは、いつ他国が攻め入ってくるかわからないという不安と恐怖におびえる日々を送るカピラの人々のなかで育ち、生きることに疑問を感じました。戦いに明けくれ、死への恐怖をまぎらわせるために、頻繁に宴をひらき、享楽にひたる父親のシュット王や人々のありさまに嫌気がさし、外の世界に救いを求める気持ちが強くなって、城の使用人に馬を用意させ、無断で城を出て馬を走らせ強引に出家しました。
ゴーダマ出城を知ったシュット王は5人の家来に、ゴーダマの行方をさがして城へつれもどすよう命令しました。ゴーダマは使用人に自分の服をぬいでわたし、「どこへなりと好きなところへ行け。」と言うと、森へ入っていきました。当時、数多くの出家僧侶がいろいろな修行をしていました。火をつかった修行など、肉体的に過酷な修行が数多くありましたが、ゴーダマは座禅修行をえらびました。はじめは目を閉じて何も考えないようにしていました。時がたつにつれ、城のことが思い出されてきましたが、すぐに嫌気がさし、目を閉じて考えないようにしていました。
夜になってもじっとすわっていました。すこしだけ横になって眠りましたが夜明け前にはまた起きて座禅の修行をはじめました。夜が明けると、行方を追ってさがしに来た5人の家来に会いました。家来たちは「あとを追って来ました。」とゴーダマに言いました。座禅をつづけていたゴーダマは「ふ〜ん」と、そっけない返事をし、目を閉じて座禅をつづけました。家来たちはどうしたらよいか考えた末、おのおの地面にすわって座禅をはじめました。ゴーダマが帰ると言い出すまで、ともに座禅修行をしながら待つことにしたのでした。
2日たっても3日たっても家来たちが帰らないので、ゴーダマは「早くかえれ!」と怒鳴りました。「いいえ。私たちは帰りません。」と、弟子たちもしんぼう強く待ちつづけました。しかし、家来たちはいつしかゴーダマの座禅修行をする姿を見て笑うようになっていました。家来たちはおそらく、城の王子がその城をすてて飛び出し僧侶のまねごとをするのが理解できなかったのでしょう。5日ほど待ちつづけたのですが、とうとう家来たちは帰っていきました。家来をうっとうしく感じていたゴーダマはホッと安心しました。
その後ゴーダマは修行に適した場所をさがして移動しました。歩いていると、戦場となった場所に行き当たり、たくさんのクチャトリヤやシュードラたちの、死体を目にしました。何とも表現のしようがないほどの、とても悲惨な光景でした。「なぜこんな悲惨なことがおこるのか。」と疑問を感じました。
森のなかを歩いて移動するなかで、戦争で殺された死体を数えきれないほどたくさん見たゴーダマは、「なぜ人は生きるのか」という根本的な疑問をいだくようになり、座禅をしてその疑問をはじめ、さまざまな疑問を探求するようになっていきました。
時がたつにつれてゴーダマは寝食を忘れるほど疑問探求に没頭するようになっていきました。当時バラモンや出家僧侶たちは朝と昼に布施(ふせ)の食事を人々からいただいて生活していました。昼も夜も関係なく疑問探求をしていたゴーダマは、食事の布施をもらうことができないときもしばしばでした。いつも決まった時間に布施をもらいに出かけて行くのが面倒に感じていました。2〜3日に布施の食事を1食食べるだけで、ほとんどの時間を座禅についやし、疑問探求をしていました。いつしか身体はやせ細り、骨と皮だけになってしまいました。