宮沢賢治の詩によるもの。
「山火」の読みは(やまび)。
山火
風がきれぎれ遠い列車のどよみを載せて
樹々にさびしく復誦する
……その青黒い混淆林のてっぺんで
鳥が "Zwar" と叫んでゐる……
こんどは風のけじろい外れを
蛙があちこちぼそぼそ咽び
舎生が潰れた喇叭を吹く
古びて蒼い黄昏である
……こんやも山が焼けてゐる……
野面ははげしいかげろふの波
茫と緑な麦ばたや
しまひは黝い乾田のはてに
濁って青い信号燈の浮標
……焼けてゐるのは達曾部あたり……
まあたらしい南の風が
はやしの縁で砕ければ
馬をなだめる遥かな最低音と
つめたくふるふ野薔薇の芬気
……山火がにはかに二つになる……
信号燈は赤く転ってすきとほり
いちれつ浮ぶ防雪林を
淡い客車の光廓が
音なく北へかけぬける
……火は南でも燃えてゐる
ドルメンまがひの花崗岩を載せた
千尺ばかりの準平原が
あっちもこっちも燃えてるらしい
〈古代神楽を伝へたり
古風に公事をしたりする
大償や八木巻へんの
小さな森林消防隊〉……
蛙は遠くでかすかにさやぎ
もいちどねぐらにはばたく鳥と
星のまはりの青い暈
……山火はけぶり 山火はけぶり……
半霄くらい稲光りから
わづかに風が洗はれる
風がおもてで呼んでゐる
風がおもてで呼んでゐる
「さあ起きて
赤いシャッツと
いつものぼろぼろの外套を着て
早くおもてへ出て来るんだ」と
風が交々叫んでゐる
「おれたちはみな
おまへの出るのを迎へるために
おまへのすきなみぞれの粒を
横ぞっぽうに飛ばしてゐる
おまへも早く飛びだして来て
あすこの稜ある巌の上
葉のない黒い林のなかで
うつくしいソプラノをもった
おれたちのなかのひとりと
約束通り結婚しろ」と
繰り返し繰り返し
風がおもてで呼んでゐる
薤露青
みをつくしの列をなつかしくうかべ
薤露青の聖らかな空明のなかを
たえずさびしく湧き鳴りながら
よもすがら南十字へながれる水よ
岸のまっくろなくるみばやしのなかでは
いま膨大なわかちがたい夜の呼吸から
銀の分子が析出される
……みをつくしの影はうつくしく水にうつり
プリオシンコーストに反射して崩れてくる波は
ときどきかすかな燐光をなげる……
橋板や空がいきなりいままた明るくなるのは
この旱天のどこからかくるいなびかりらしい
水よわたくしの胸いっぱいの
やり場所のないかなしさを
はるかなマヂェランの星雲へとゞけてくれ
そこには赤いいさり火がゆらぎ
蝎がうす雲の上を這ふ
……たえず企画したえずかなしみ
たえず窮乏をつゞけながら
どこまでもながれて行くもの……
この星の夜の大河の欄干はもう朽ちた
わたくしはまた西のわづかな薄明の残りや
うすい血紅瑪瑙をのぞみ
しづかな鱗の呼吸をきく
……なつかしい夢のみをつくし……
声のいゝ製糸場の工女たちが
わたくしをあざけるやうに歌って行けば
そのなかのはわたくしの亡くなった妹の声が
たしかに二つも入ってゐる
……あの力いっぱいに
細い弱いのどからうたふ女の声だ……
杉ばやしの上がいままた明るくなるのは
そこから月が出やうとしてゐるので
鳥はしきりにさはいでゐる
……みをつくしらは夢の兵隊……
南からまた電光がひらめけば
さかなはアセチレンの匂をはく
水は銀河の投影のやうに地平線までながれ
灰いろはがねのそらの環
……あゝ いとしくおもふものが
そのまゝどこへ行ってしまったかわからないことが
なんといふいゝことだらう……
かなしさは空明から降り
黒い鳥の鋭く過ぎるころ
秋の鮎のさびの模様が
そらに白く数条わたる
コメントをかく