人形劇三国志に一言 - 第35回 風雲 南郡城

あらすじ

曹操は、曹仁に南郡城を任せ、危機の際には開くやうにと計略を記した封書を渡して行く。
周瑜は、南郡城攻略にとりかからうとするが、その前に夏口の劉琦を脅しに行く。
周瑜は、南郡城を攻めるが、曹操の計略にかかつて矢傷を負ふことになる。鏃に塗られた毒によつて一時は臥せるが、ふたたび南郡城を攻め、曹仁一行を追ひ出してしまふ。
ところが、周瑜の軍と曹仁の軍が戦つてゐるあひだに、空の南郡城を玄徳が奪つてしまふ。
周瑜に脅された劉琦は、玄徳に南郡城はじめ荊州を返してくれと云ひ、玄徳もそのことばを受け入れる。玄徳たちが南郡城を去らうとしたところ、このことを孔明に知らされた荊州の民が押し寄せて玄徳に見捨てないでくれと訴へる。
その民の姿に心を打たれた劉琦は、玄徳に荊州の大守になつてくれるやう頼み、息を引き取る。

一言

演義でいふと第五十一回から五十三回といつたところか。大史慈は死なないし、趙雲の堅物ぶりを示す話もないし、黄忠の出番はまだまだ先だが、劉琦の死まで、といつたところだらう。
今回の主題は「男の一言」と、「憂愁の貴公子・劉琦、最期の活躍」、かな。
今回の副題は、「風雲!たけし城」のパクリか、と思はれるかもしれないが、「風雲! たけし城」は人形劇三国志放映終了後、二年ほどたつてからはじまつてゐる。
もしかして、この回からその名を取つたのでは。なあんてね、ふふ。

曹操が曹仁に策を記した封書を手渡すが、はたして玄徳が嫁取りに呉に行つたときの孔明の渡したものとおなじやうに役に立つのかどうか。
曹仁に封書を手渡すときに、夏侯淵の鎧を来たままの曹操がいい。黄色いスカーフが似合つてゐるぞ。赤もいいけど黄色も似合ふのか、曹操。

玄徳のもとをおとづれる周瑜がまたいい男だ。細い冠に小さな頭、大きい肩当てのおかげで肩幅がぐつと広くなり、その分胴がぐつとくびれて見える。きつちり結ひあげられた髪の毛のおかげか、つねよりもきりりとして見えるしね。なんていい男なんだー。まさに美周郎。
馬をあやつる姿もうるはしい。

玄徳軍の帳幕に、玄徳と孔明、それに周瑜と魯粛がゐる。
玄徳に、赤壁の戦ひの勝利を寿がれて、「いえいえ、赤壁の戦ひの勝利はすべて孔明殿のお手柄でござる。よき軍師どのを貸しくだされた玄徳殿に一言御礼が云ひたくてまゐりました」と、心にもないことを答へる周瑜。こんなところからも周瑜の役者つぷりが見えるといふ寸法。
孔明の「なにも云はずに勝手に帰つてきちやつてゴメンねー」に、周瑜、「いやいや、もうそのやうなことは」とか云ひながら咳払ひ。なんだよ、気になるぢやん。
なんで魯粛は立ちつぱなしなのー。魯粛にも椅子を用意してあげやうよ。
「ものは必ず主に返せと」つて、「カエサルのものはカエサルに」つてことか。玄徳、ローマの故事にも通じてゐるのか。いや、まあ、もちろんそんなことはないのだが。
周瑜は、劉琦について、荊州をおさめるだけの「器量も力量もござらぬ」と、きつぱりと言ひ捨てる。失礼だなー。まあ、そのとほりかもしれないけど。
玄徳は、劉琦こそが曹操から荊州を守るにたる強力な主君だ、と力説するが、本気でさう思つてるかぁ? 人形劇三国志の誇る憂愁の貴公子だぜ。それはないだらう。
演義では玄徳は南郡城を取る気まんまんなんだけどね。それで孔明に「前に南郡城を取るやうすすめたときは反対したくせにー」とか云はれちやふんだよな。それに対して玄徳は、「だつてあのときは劉表殿がご存命だつたからー」とか云ひ訳するけど。
もめる玄徳と周瑜。とりなすやうに立ち上がる孔明の「奪ひ取るにしても劉琦どのにお返しするにしても」といふ言葉尻を周瑜は取る。言質を取つたやうで、取られてゐるんだぞー、周瑜。
男に二言あるべからず」とは、周瑜のセリフ。今回の主題である「男の一言」がここに出てくる。
周瑜は勢ひのままに出ていくが、魯粛はちやんと一礼してから退出。またそれを見送るやうに出入り口の方に向かふ孔明もいい感じだ。
「孔明、お主にしてはいささか失言だつたのではないか、いまのひとこと」つて、玄徳もまた失礼なやつちやなー。
しかし孔明すこしも騒がず「さて、それはどうですかな」つて軽妙な答へがいいね。
「つけいつたと思ふところにこそ、逆に隙ができるもの。どちらがつけいつたのかは、いづれわかりませう」といふ孔明のセリフを受けるかのやうに、次の場面のセリフがつづく。

「いやいや、そんななぞなぞ問答ではオレは納得できん!」と、吠える張飛。
玄徳の顔に張飛の聲をかぶせるあたりがいいな。
あひかはらず関羽・張飛は孔明の策には反対だつたりするんだな。
孔明は、「虎穴に入らずんば虎子を得ず」のたとへをもちだして説明する。
関羽も失礼なやつちやなー、「失言」だなんて。
もう前回の失態のことは忘れて切り替へることにしたのかな。
「周瑜殿にはおそらく南郡城は取れません」つて、孔明も失礼だ。
しかも、「したがつて南郡城を制するものは我々といふことになります」つて、どこがかんたんな理屈なんだよ。教へて、軍師殿!

失礼合戦はつづいてゐるぞ。
魯粛、「正直申して、今日ばかりはあの孔明殿が気の毒になりました」とか笑ひながら云ふてゐるし。「思はずもれた一言で」つて、だまされてるぞ、魯粛!
ところは呉の船の上。
「あやつもいまごろは後悔のほぞを噛んでゐやう。玄徳関羽張飛たちに責め立てられ困り果ててゐるあやつの顔を思ふと、いや、久々に溜飲の下がる思ひだぞ」うんうん、さうだね、周瑜、さうだね。そんなに鬱憤がたまつてゐたんだね。
だが、ふと考へなほして、「うかつすぎる」と、采配を口元にもつてくる周瑜が可愛い
魯粛は、そんなに心配ならいますぐ南郡城を攻めろと周瑜に云ふが、そんな、気軽に云ふことぢやないんぢやないか。
周瑜は、先に夏口へ向かふことにする。劉琦をまるめこまうといふのだな。
「あはてるな。殺すよりももつと効果的な利用の仕方があるのだ」つて、お主も悪よのう、周瑜。

夏口城。
せきこむ劉琦。聲も弱々しい。左右のシケといひ、あひかはらずの憂愁の貴公子つぷりだ。
いぢめつ子周瑜は、玄徳軍を数十万の江東軍でやつつけちやふぞ、と、病みつかれた劉琦を脅す。いやー、さすが「呉」の大将。やることがえげつないといふか、なんといふか。
こまりはてたやうな表情の劉琦さまがまたいいんだわ。そりやなんだかいぢめたくなつちやふよね。
周瑜と劉琦とで大きさが全然ちがふ。これぢやあまるで大人と子どもだよ。あれ、劉琦つてそんなに若かつたつけか?
これで、周瑜も一度は孔明を出し抜いたんだらう。出し抜かれても孔明にはまだ切り札があつたわけだけどもさ。
それはこの後明らかになる。

一方南郡城。周囲を取り囲む江東軍。
なんで紳々竜々風情が、曹操の残していつた計略を記した封書のことを知つてゐるのか。ダメぢやないか。そんなことだから南郡城を奪はれることになるんだぞ。
まさにその封書を曹仁が開けたところ。
曹操の計略は、「夜半に食事をとつて夜明けとともに城を捨てよ」といふもの。曹仁、首を傾げる。わからなかつたのか、と、チト不安になる。

「なに、こんな夜更けに食事をとつてゐるといふのか」と、周瑜は驚いてゐる。
程普の意見では曹仁の軍は奇襲を仕掛けやうとしてゐる、魯粛の意見では退却しやうとしてゐる。周瑜の意見は魯粛のとおなじ。
といふわけで、即城攻めにうつる江東軍。

逃げやうとしたところを、江東軍に囲まれて焦る紳々竜々。
「丞相閣下を信じたこのオレがばかだつた」つて、曹操の考へることが紳々風情にわかつてたまるかよ。

城内に逃げ込む曹操軍、それを追つて城に入つた周瑜は馬ごと落とし穴に落ちる。
曹操の策とは、さういふ計略だつたわけやね。
しかも、まだあるまだある。曹操はちやんと伏兵をひそませておくやう手配してゐたんやね。
逃げやうとする周瑜に、曹操軍の伏兵のはなつた矢がささる。
深手を負ひつつも、そのまま逃げる周瑜とその軍。

そんな周瑜のもとに、関羽と孔明が見舞におとづれる。
鏃には毒が塗つてあつたと、関羽のセリフからわかる。
温暖な江東に戻られてゆつくり静養なさつては、といふ孔明の勧めに、魯粛は、我々もさう申し上げてゐるのですが、と、おろおろつぷりを見せてくれるぞ。周瑜は、南郡城を奪ふまでは帰らないと云ふてゐるのだといふ。
「それはいかん。南郡城は奪つたもののものなどと、先日わたくしが申し上げたことにこだはつておいでなのではないかな。いや、あれはただの言葉のあや。水に流してもかまはないのです。」
帳幕の中で孔明のそんなセリフを聞いて、「なに!」と起き上がらうとする周瑜。
そこに関羽・孔明・魯粛が入つてくる。
「いかがですか、お怪我は」といふ関羽の聲は、真摯だなあ。ほんとに心配してる感じがする。
明日にも南郡城を落とすつもり、といふ周瑜に、笑ひながら「なるほど、これはお元気さうだ」といふ関羽がいいぞ。
関羽と孔明とが出て行くと、周瑜はゆらりと倒れ臥す。ムリしてたのかよー。ダメだよ、ムリしちやあ。

馬上の関羽と孔明。
「わたしはかなりの深手とみましたが」といふ関羽に、
「しかし、思ひのほかに恢復は早いかもしれませんな。あれだけの芝居ができるのは気力充実してゐる証拠です」といふ孔明。
なんだ、関羽も案外芝居うまいな。あ、さうだつけ、なにしろ関羽は七つの顔を持つ男だもんな。
「曹操の計略はやはりさすがといへるものでしたが、あの落とし穴をもつてしても周瑜殿を討ち取ることができなかつたのが曹仁の運の尽き。周瑜殿の勝利は動きますまい」
つて、どこで落とし穴の計略を知つたんだよ、孔明。
「曹仁が負けることと、南郡城が周瑜殿の手に落ちることとは、まつたく別のことでせう。ちがひますかな」つて謎掛けかよ、孔明。関羽は納得してないぞー。戸惑つてるぞー。

曹仁は、悪口作戦に出る。
紳々竜々のさげてる旗に描かれた周瑜の絵がひどい。
風が強くて、程普の衣装がひらひらしてるのがステキだぞ。
周瑜は馬上の姿もいいな。
もー、魯粛に心配かけちやダメぢやなーい。
そして、馬から落ちて、さらに芝居上手なところを見せる周瑜。

魯粛と程普とにかかへられて帳幕の中にもどるが、すぐに起き上がる周瑜。
周瑜のシケもいいな。しかし、眼が鋭すぎる。生き生きしてる。なるほど、恢復が早いわけだ。
周瑜は、自分が死んだと見せかけて兵たちを喪に服させよ、と命じる。

紳々竜々が先行部隊として江東軍の陣地に入る。そしてしづかな陣内のやうすにすつかりだまされ、曹仁軍本体を呼び寄せる。が、陣内に入つた曹仁は即罠にかかつたことを悟る。
江東軍にとり囲まれた曹操軍は総崩れ。
紳々竜々は、「いい人」魯粛に出会ひ、江東軍に寝返ることになる。
「さして役に立つとは思へぬが」つて、正直だなあ、魯粛。「ゐないよりはましかもしれん。一緒についてまゐれ」つて、神様のやうやな、魯粛!
紳々は、一瞬自分たちがさつきまでゐた南郡城を攻めることに疑問を抱くが、竜々がそんなものだと割り切る。

周瑜は南郡城にたどりつくと、城壁に玄徳たちが。むかつて左から張飛、関羽、孔明、玄徳、趙雲。つて、センター孔明かよ。
「周瑜将軍、約束通り南郡城はいただきましたぞー」と、孔明。
ここでも「男の一言」合戦だ。
「孔明、お主、かうなることを見抜いてわしに約束させたのだな。ええい、許せぬ」と、怒りのあまり、周瑜はまた倒れ臥す。今度は芝居ぢやないよ。ああ、もう、見てられないよ。
傷口が開き、口からも血を吐く周瑜。白目まで見せるし。
非情ぢやのう、孔明。
かくして、南郡城は玄徳軍のものになつた。
けど、画面的には、まるで孔明が城主のやうだぞ、真ん中にゐたりして、玄徳はむかつて右端にちんまりゐる感じだもんなー。

舞台変はつて許昌。
器を投げつけたりして、あひかはらずお行儀が悪い曹操。
しかし、久しぶりにぱりつとした姿の曹操を見たね。いいねいいね。
謝る曹仁に、怒りを抑へて、「それで、南郡城は周瑜の手に落ちたのか」と問ふと、曹仁が「いいえ、それが、南郡城は玄徳が落としたさうでございます」と答へる、その「玄徳」のところで、わづかにぴくりとする曹操
曹操は、玄徳と孔明とだけには南郡城をとられたくなかつた、とか云ふ。周瑜ならよかつたのかよー。
あ、よかつたのか。周瑜が手に入れてゐれば、玄徳軍と孫権軍の仲が悪化するもんね。荊州における江東の影響力が強くなつて、いづれは玄徳軍をやつつけてくれるだらう、さうしたら、曹操軍はそのあとでゆつくり江東軍を始末すればいい、と、かういふ寸法なわけだな。多分。
「わしは今一度荊州・江東を制して、天下を統一してみせる、必ず」と誓ふ曹操が、なんだか少年まんがのヒーローのやうだぞ。ちよつと上向き加減の視線がさう感じさせるのかな。お空にむかつて誓つてる、みたやうな。まあ、実のところ、玄徳と孔明とに云ひ聞かせる形なんだけどさ。

紳助竜介の説明で、曹操軍は襄陽城も捨てたことがわかる。そして、どうやらその襄陽城は玄徳軍の手に落ちたのらしい。

南郡城。
勝平が「うわーすごーい」と喜んで廊下をとびまはつてゐる。あひかはらず可愛いな、勝平ちやんは。
しかし、その後を歩く美芳は浮かぬ顔。「玄徳様は今までになんどもお城の主人になつたんだけどさ、すぐにだまし取られたり気前よくあげちやつたりするから、それが心配なのよ」と、阿斗をあやしつつも文句たらたら。わかるわかる。ほんと、すぐにだまし取られたり気前よくあげちやつたりだつたもんなあ、玄徳。
「へえ、城をあげちやふの。あはは、玄徳様らしいや」つて、勝平は明るいなあ。
「だつてさ、城がなくなつたつてかうして戦に勝つてきたぢやないか」と、勝平は云ふけど、むしろ戦には負けても城があつた方がいいのでは。
「大丈夫さ、もうこの城は誰にも渡さないよ」つて、勝平に云はれてもなあ。
そこに、慌てたやうすで駆けてくる張飛と関羽。
美芳に呼びとめられて立ちとまる張飛のオーヴァーアクションがいい。
周瑜が来たので出迎へねばならぬ、といふのだ。
「関羽さん、この、お城は取られないよね。ね?」と、問ふ勝平に、関羽は呵々と笑つて、「ああ、取られやせん。心配しなくても大丈夫だ」と答へる。
関羽さんにさう云はれると、なんだか大船に乗つたやうな心地になるが、心配さうに見送る美芳のやうすが、なあ。

まづは怪我のやうすのやりとり。頭を下げてる時間が一番長いのが関羽。さすが礼儀の人。
「ほんたうにお元気さうにおなりですな、周瑜殿」といふ孔明のことばの裏を読まずにゐられない己が身が悲しいね。
「わしも男だ。一度交はした約束をいまさら覆すやうなことはせぬ」つて、なんだか「」にこだはるなあ、周瑜。
そこに、魯粛につれられてあらはれる劉琦。
劉琦を見て一瞬孔明は、動揺する。こんな孔明のやうすはめづらしいな。
劉琦は、この城を明け渡してもらひます、と云ふ。
関羽と張飛とは、そんな劉琦にくつてかかるが、玄徳がとめる。
俯く劉琦が、ねえ。痛ましい。
「周瑜将軍、どうやらわたしの負けのやうです」つて、そこは勝ち負けぢやないだろ、玄徳。
張飛は、玄徳がまた流浪の身になることだけは許せない、と、この場を立ち去らうとしないが、孔明が叱咤する。玄徳の立場が悪くなる、と云つて。最初のうちは多少ものやはらかな物言ひだつたのが、張飛がだだをこねると強硬な聲になるところがいいぞ、孔明。
関羽も孔明に加勢するぞ。まあ、正直云つて、暴れる張飛を抑へられるのは関羽だけぢやらうしなあ。
孔明と玄徳とはきちとん礼をして去つてゆく。
皮肉なやうすで劉琦にねぎらひのことばをかける周瑜と、「長旅でお疲れでせう」といたはる魯粛に、咳き込みながらも「私のことは、どうぞもうはふつておいてください」と逃げ去る劉琦。
「病気の痛みより心が痛むと見える」とか云ひながら笑ふ周瑜が、まつたくおぬしも悪よのう。
「これでもう玄徳孔明も二度と立ち上がることはできまい」といふ周瑜に、「さうでせうか」と異論を唱へる魯粛。「わたしにはまだ信じられません。これで、こんなことで、孔明殿が、退くとは」といふ魯粛のセリフは周瑜の顔にかぶさつてゐる。なんだよ、魯粛の方が、読んでるぢやんかよ、と、ここで云つてはいけないんだらうなあ。
魯粛のことばを聞いて、ついいままでは自信満々だつた周瑜の心にはまたぞろ疑念がわきあがつてきた、そんな表情の周瑜である。

的蘆……ぢやなくて、白竜や赤兎の支度をしつつ、今にも去らうといふ玄徳・関羽・張飛・趙雲。
そこに劉琦が馳せよつて、膝をつく。
周瑜に数十万の大軍で玄徳たちを攻めると脅されて、と、謝る劉琦に、「わかつてゐます、劉琦殿」といふ玄徳。ほんとにわかつてたのかよー。「そこまで気がつかなかったわたしがおろかだつたのです。あなたのせゐではない」つて、やつぱりわかつてなかつたんぢやないかー。
そこに、荊州の民が駆け入つてくる。みな口々に、玄徳にこの城にとどまつてくれるやう嘆願する。
玄徳は、劉琦なら悪いやうにはしないから道をあけてくれ、と云ふが、民は頑是無いこどものやうに「いやだいやだ」と玄徳の云ふことを聞かうとはしない。自分たちを見捨てるなら、ここで殺してくれ、と、まで云ふ。
趙雲、関羽、張飛が次第にうなだれてゆく。
そして、民のうしろに孔明が! やはりおまへか!
それを見て、それでも荊州を守れるのは我々だけだと吠える周瑜。
張飛と関羽とが民を説得しにかかるが、そんなことで云ふ聞くやうな民だつたら、曹操軍の攻めて来たときに延々と逃げたりはしないわけでー。だいたい、この民たちは、玄徳が南郡城を手に入れたと聞いて、はるばる百里の道をやつてきたらしいぞ。「どんなに暮らしがつらくても、玄徳様がいつか助けにきてくださると思つてゐただから、だから今日まで辛抱してきただ」つて、孫権とか周瑜をどんな君主だと思つてゐるんだ。
「ええい、道を開けぃ! 歯向かふものは斬つて捨てるぞ」つて、怖いこと云ふなー、趙雲、と思つたら、程普だつた事実。すまん、趙雲。つてーか、今回セリフなしか、趙雲。
たうとう、感極まつた劉琦が、民たちに詫びる。
そこへ背後から「お待ちなさい、劉琦どの」と周瑜の容赦ない聲。
ここで劉琦、はじめて顔をあげて、きつと周瑜を見据ゑる。
「いいえ、周瑜殿にも玄徳殿の命を奪ふことはできません。国のため、領民のために戦ふ玄徳殿を、天が見捨てるはずがありません。それがやつとわかりました」と、劉琦とは思へぬ力説。
周瑜に対してさう大見得切つた刀を返し、劉琦は民に向かひ、「みんな、もういい。わかつた、玄徳殿はどこにもいかない。安心しなさい、わたしが、この劉琦がどこにも行かさない」と、これまた劉琦とは思へぬ大力説。
劉表は領民に慕はれてゐたつてことか?
劉琦、玄徳に荊州の大守になつてくれるやう訴へる。
民の後ろでうなづく孔明が、悪のやうに見えてしまふのは、ヲレの心のくもつてゐるせゐか。
「またも孔明にしてやられた。あの領民たちにことを知らせたのは孔明だ」と、周瑜が嘆くと、
「確かにさうかもしれません、が、領民の心に火をつけることは、智恵や策略だけではできないのでは」と、正論つぽいことを云ふ魯粛。
またも、魯粛はちやんと頭を下げてから去つてゆく。
それを見届けて、劉琦は倒れる。

今にも死にさうな劉琦に、「いままで立派に曹操と戦つてきたではありませんか」と力づけやうとする玄徳。ん、待てよ、劉琦が戦つてるところつてあつたつけか。夏口を守るのも立派な戦ひか。さうだな。
すごいな、劉琦のいまはのきはの頼みといふとで、玄徳に荊州の大守の座につくことをうんと云はせるつていふ。はっ、これも孔明の罠なのかっっ。
玄徳は、もちろん引き受けちやふし。
「荊州のこと、頼みます」と云つて、劉琦はこときれる。劉琦、もしかして前歯欠けてる?
孔明、拳で合掌。さういふ風俗だつたのか? ま、いいか。

今回は、「社交辞令」を学べる回だな。
周瑜が心にもなく「赤壁の戦ひの勝利はすべて孔明のおかげ」とか云ふと、孔明は孔明でそんなことちらとも思つてゐないくせに「挨拶もせずに帰つてきて申し訳ない」とか返事をするし。
そもそも周瑜はなにかしら理由をつけて、玄徳軍に釘をさしに来たかつた、それが「赤壁の手柄は孔明のもの」といふ発言になり、「そんな孔明を貸してくれたお礼を一言申し上げたい」につながるわけだ。
めんどくさいねー。

魯粛なんかだつて、あんなに丁重に頭を下げておきながら、裏では「今回ばかりは孔明のことがあはれになつた」とか云ふてるし、関羽もあんなに真摯な態度で周瑜に対して「元気さう」とか云ふておきながら、本人のゐないところでは「かなりの深手とみた」とか云ふ。

世の中つて、そんなもんだよなあ。

そこいくと、玄徳は「社交辞令」が下手すぎる。
いや、その下手なところが玄徳のいいところなのかもしれないけれど、今回はどうしてもひとつだけ看過できないことがある。
上でも書いたけど、「どうやらわたしの負けのやうです」つて、それは云つてはいけない一言。それを云つたが最後、やつぱり玄徳は劉表やその忘れ形見の劉琦のことなんかどうでもよくて、みづから荊州を手に入れやうとしてゐるつて、明言してゐるやうなものだもの。
実際の玄徳(といつて、なにをもつて「実際」とするかはむづかしいところだが)はそれでもいいかもしれないけど、人形劇の玄徳はそれではいけない。
猛省を望む。
……つていまさら?
しかも、たれに対して?

脚本

小川英
四十物光男

初回登録日

2013/03/10