人形劇三国志に一言 - 第37回 王覇の業

あらすじ

孫権の妹・貞姫を妻に迎へた玄徳は、貞姫をはなしたがらぬ母・呉国太とそれを悪用する孫権・周瑜のせゐで荊州に帰れずにゐる。趙雲は、荊州をはなれるとき孔明から受けとつた錦の袋を開け、中の書状に記された孔明の策を実行して無事玄徳と貞姫とを呉からつれだすことに成功する。
玄徳と貞姫とを奪回されて怒りのあまり周瑜は昏倒する。
玄徳と孫権とのあひだに亀裂の入つたのを見て、曹操は周瑜を南郡の大守に命じる。
これを好機と病躯を押して周瑜は荊州に攻め入るが、周瑜の思惑を察してゐた孔明の策のまへに敗れ、またも倒れる。
呉へと戻る舟の中で、己が運命を呪ひ、周瑜は息をひきとる。

一言

演義では第五十五回のほぼ最初から五十七回のほぼ最後まで、といつたところ。
前回玄徳と孫権の妹・貞姫とはめでたく、かどうかはわからぬが、華燭の典を挙げた。

孫権が、「妹を玄徳に取られつちまつたぢやあないかー」などと周瑜に愚痴ると、「これも策略のうちでございます」と周瑜は答へる。襟のあきかげんが気になるぞ、周瑜。襟元をぴしりと引き締められないほど弱つてゐるのか、とか、よけいなことを心配してしまふ。
周瑜の首の動きがまたふしぎ。ちよつとこんな首の動かし方をする踊り、あるよね。
周瑜は、呉国太の貞姫を手放したくないといふ思ひと、老人思ひの玄徳の心を利用して、玄徳を呉にとどめやうと謀る。
このあたり、演義では、これまで遊興にふけつたことのない玄徳に、美女や美酒美肴を与へて骨抜きにするんだが、まあ、人形劇ではそれはムリだよねえ。

玄徳は趙雲をかたはらに従へて、弓矢の稽古をしてゐる。
そこへ、呉国太と貞姫とがやつてくる。
孫権が、玄徳と貞姫とのためにりつぱな館を建ててくれる、といふことを知らせにくるのだが、玄徳はそれはことはりたい、といふ。いつまでも呉にゐるわけにはいかない、荊州に戻りたいから、と。
すると、呉国太が、突然嘆きはじめる。
「わたしはもうこの年です。その余命少ない日々をこの子と一緒に暮らすのが唯一の生き甲斐なのぢや」つて云ふけど、実際のところ玄徳とそんなに年が変はらないんぢやないの、呉国太。もしかしたら呉国太の方が若いよね
しかし、老人に泣かれると弱い玄徳は、それ以上は云へず、呉国太と貞姫とはよろこんで「ではお兄さまに立派な屋敷を建ててもらひませう」なんぞと云ひながら去つていく。
それまでは矢をすべて的にあててゐた玄徳が、途端にはづしはじめる。乱れてる乱れてる。

ここで、前回甘露寺で玄徳と孫権とがそれぞれ恨み石を剣で斬つたところが回想場面として入る。
玄徳は、まあ、人形劇なので、「民をしあはせにして、荊州をおさめることができるか」みたやうなことを念じてたんだが、孫権は、荊州を手にして天下人になれるかといつたことを念じてゐる、といふのは前回のとほり。
趙雲は、孫権にこちらを害する思ひがあるのではないかと疑つて、甘露寺にひとり赴き、「そんなことないよね」とか念じながら恨み石を斬らうとする。すると、趙雲の剣は折れてしまふ。
孫権の二心ありと知り、趙雲はうめく。
のだが。
しかし、そんな、恨み石で剣が折れたからつて、人を疑ふなんて……お母さん、そんな子に育てた覚えはありませんよ!
とか、母親が出て来ても文句は云へないぞ、趙雲。
とは思へども、まあ、迷信を迷信と思はぬ時代だつたんだらう、くらゐに思ふことにしたい。

一方、玄徳の留守をあづかる孔明のもとに、関羽と張飛とが南郡城からやつてくる。
関羽も張飛も口々に、「玄徳の呉での滞在が長過ぎる」と文句を云ふ。
すると、孔明は、からからと笑ひながら、「さて、それは、孫夫人との新婚生活があまりにも楽しくて、日のたつのを忘れておいでなのではないかな」と云ふ余裕のかまへ。いいな、下世話なことを云ふ孔明
さらに云ひつのらうとする関羽・張飛に、勝平の云ふことがまたいい。
「いいぢやあないか。だつて、今度の奥さんは亡くなつた淑玲さまにそつくりなんでせう。玄徳さまだつて、そりやあ楽しいよ。すこしは大目に見てあげなきや」だつて。
そんな勝平に、「周瑜将軍の策略かもしれないんだぞ」とか凄む張飛。こども相手に凄むなよ。とはいへ、そんなに怖くは見えないんだけど、思はずといつたやうすで関羽の腰のあたりにすがりつく勝平がかはいいぞ。そのまへに関羽もたしなめるやうに「勝平」つて云つてるのに、関羽さんは怖くないのね、勝平は。
張飛の「周瑜将軍の策略かも」といふせりふを受けて、孔明は「わたしも、さう思ひます」と云ふ。
そのことばに「なに!」といろめきたつ関羽と張飛。
ここの、関羽を押しのけて椅子にどつかと座る張飛の動きがいい。まるで、やくざかマフィアかギャングかといつた動きなんだよな。
「儂等もかうして南郡城からやつてきたからには、納得のいく説明をしていただきますぞ」つて、それぢやあ小姑だよ、関羽。小姑ふたりか。孔明も苦労するな。しかも小姑と云ひながら、ふたりともやたらデカい。まあ、孔明もそれなりにデカいわけだが。
孔明は、関羽と張飛とに、自分たちがあせつて動けば玄徳を窮地に追ひやることになる、いましばらく静観しなければ、と、説明をする。いつまで待てばいいのか、と、関羽に問はれて、年の暮れまで、と、答へる。

まるでそれを受けたかのやうに、南徐では、趙雲が、孔明からわたされた錦の袋をひらく。
中身を読んで、玄徳のもとに馳せ、孔明から遣ひのものがきたと云つて、玄徳に書状をわたす。
書状には、曹操軍が荊州に攻めてきたとかいふやうなことが書いてあり、「即刻荊州に戻らねば」とか云ふ趙雲に、「しかし、孫権にだまつて帰るわけには」と、玄徳は云ふ。
しかし、孫権がそのまま帰してくれるとも思へぬ、と、趙雲に云はれて、そのまま帰らうとする玄徳のまへに、貞姫があらはれる。玄徳は、貞姫にここに残れと云ふが、貞姫は、あなたについていくわ、と答へて、そのままついていくことになる。
ここで貞姫がついていかないと、あとの策がはまらないことになるんだが。
孔明は、貞姫はついてくるもの、と思つてゐたのかなあ。
玄徳の性格を考へたら、おいてくると思ふんだがなあ。
貞姫の性格だつたらついてくると思つた、といふことなんだらうなあ。

それにしても、玄徳を荊州に帰すだけだといふのに、孔明も手のこんだことをする。
三つの錦の袋のうち、二つは帰すための策略なんだぜ。いきはよいよい帰りは怖いとはこのことか(違。

玄徳一行が貞姫をつれて逃げ去つたことを知り、孫権も周瑜もいきりたつ。呉国太は、娘のゐなくなつたことを嘆きつつも、玄徳に手を出すな、といふが、だまつて出て行くなんてなにかあつたはず、それを聞き出さねば、といつて、周瑜は紳々竜々に追つ手を出すやう命じる。
ここの場面最後、宙を睨む孫権が胸に一物ありさうな感じでいい。

よそものを舟に乗せてはならぬといふ布令は出てるし、陸路にも至るところに兵がゐる。
二進も三進もいかなくなつた玄徳一行は、孔明からわたされた最後の錦の袋をあけることにする。
そこで、玄徳は、はじめて貞姫にほんたうのことを告げる。
孫権と周瑜とが謀つて、玄徳を殺すために婚儀をもちかけて呉に誘ひこんだこと、また、呉国体の気持ちを利用して玄徳を呉にとどめやうとしたことを。
最初は信じられぬといつたやうすだつた貞姫だが、自分は玄徳の妻である、兄と敵味方になつても後悔はしない、とか、潔すぎる。やうすがいい。
ここの場面、貞姫の馬車のなかなのだが、桃色の紗がかかつてゐて、なんだかちよつとアヤシい雰囲気ではある。こんな話をする場所ぢやないよなあ。
玄徳は、孫権は王覇の道を進んでるから仕方ないよー、みたやうなことを云ふが、貞姫は、呉国太は玄徳こそが王覇の道を進むものであると云つてゐた、といふ。
いやー、ここに出てくる人は多かれ少なかれ、みんな王覇の道を進んでゐるんだと思ふよ。曹操にしたつて、「仁義の兵を起こした」んだからね。

そこに、玄徳一行を押しとどめやうとする呉の一団があらはれるが、
「おまへたちは周瑜の云ふことは聞けても私の云ふことは聞けぬと申すのか!」
と、貞姫に一喝されてたぢたぢ。
イカすー、貞姫。

「貞姫、これから頭があがらなくなりさうだ」つて、久しぶりに楽しさうだぞ、玄徳。
「せいぜい恩に着てください」とか答へる貞姫も楽しさうだ。

ここで、紳助竜介による「孫夫人」の説明と、王覇の道の説明。

周瑜は、劉郎浦にゐる。
玄徳がうまいこと貞姫を娶り、逃げ出したのは孔明の策略だらう、と云ふと、わきで聞いてゐた紳々竜々が、「でも孔明は荊州にゐるのにー」みたやうなことを答へる。
「残つてはゐても、おそらく奴の指示によつて玄徳はわしの裏をかいてきたのだ」つて、まあ、そのとほりなんだけどね。でもいまごろ気づいたわけぢやないよね、と思ひたいよ、周瑜。

見かけぬ舟を追ひかけやうとして、その舟が別の舟に引かれてゐることに気づく周瑜。
引いてゐる方の舟には、張飛と孔明とが乗つてゐる。もちろん、引かれてゐる方の舟には、玄徳一行が乗つてゐるといふ寸法。
「周瑜将軍、お見送り御苦労です。確かに殿を受け取りましたぞ」、とか、ほがらかに云ふ孔明に、怒りのあまり周瑜は倒れ込む。
「孔明……またしても孔明に……あ、ああ……傷が、傷が痛む……」
と、うめきながら。
なんかもう、このあたり、だんだん周瑜を見てゐるのがつらくなつてくるなあ。
「おのれ玄徳孔明。儂はこんなことでは死なぬ。決して死なぬぞ」
とか、もういいよ、周瑜……

一方、曹操、周瑜を南郡の大守に命じることにする。
玄徳が呉から去つたことで、孫権とのあひだに亀裂が入つたと見てのこと。
玄徳と孫権とを争はせておいて、互ひに疲弊したところへ攻めよせやうといふ計略。
「労せずして天下を取る。これこそ懸命なる王覇の道ぢやよ」と、高笑ひする曹操が、いいんだなあ。

シケの多すぎる周瑜。しかも長い。まちつと短くてもいいのでは。
病床に伏せつてゐるところに、南郡の大守に命じるといふ報せが来て、周瑜は、これこそ荊州を奪ふ好機と起き上がらうとするが、魯粛にとどめられる。ドクターストップがかかつてゐるから、と。
でもそんなこと聞く周瑜ぢやないんだよね。
人形劇三国志一、病鉢巻の似合ふ男・周瑜

うはー、具合悪そー、周瑜。
魯粛にささへられてやつと立つてゐる、といつた感じで、姿勢のよくないさまや、ときおりゆらりと揺れるところとか、もう、ほんと、いいよ、周瑜…………
魯粛もさうだが、孫権だつて、そんな周瑜を見たいわけがない。
「おぬしの力があまりにも強大なので、おぬしを疎んじたこともある。だがな、周瑜、江東がここまで大きくなれたのも、おぬしといふ大黒柱がゐてくれたおかげなのだ。おぬしにもしものことがあつたら、天下統一どころか、この江東を守り切ることさへ危ういのだ。そこのところをよおく考へてくれ」
心からさう云ふ孫権に、魯粛も和する。
「殿の仰るとほりです、将軍。お身体が恢復するのを待つてからでも、遅くはありません」
しかし、それを聞き入れる周瑜ではない。
「いや、それでは遅い。遅いのだ」といふセリフの息。たまらんね。

「殿、もつたいないおことば、周瑜、うれしうございます。ですがそれゆゑにこそ、この周瑜、病躯に鞭打つてでも殿の天下統一のお役に立ちたいのです。この目でしかと天下人となつた殿のお姿を見たいのです。なにとぞ、荊州平定をこの周瑜にお命じください。なにとぞ」
いまにも死にさうな周瑜のこの長せりふ。聞いてるこつちがつらいわ。

舟の上でも、椅子に座してぐつたりとしたやうすの周瑜。
紳々に、「まるで死神にとりつかれてるやうやな」とか、「死神と疫病神にとりつかれたら、将軍も長いことないのと違ふか」とか、云はれちやふくらゐだ。
疫病神はともかく、死神にはとりつかれてるよな。
疫病神にもとりつかれてるのかもしれない。諸葛亮といふ名の疫病神に。

荊州では、玄徳が、孔明に「なんで周瑜は来るかね」みたやうなことを訊く。
孔明、答へて曰く、「焦り、としか思へません」。この「焦り」のあとにため息のやうな音のまぢるのが、ねえ。
「そもそも、周瑜将軍が南郡の大守に任じられたのは、殿と、周瑜将軍に血を流させやうといふ曹操の奸計でございます。その奸計を見抜けぬ周瑜将軍とは思へないのですが」
と、孔明が云ふと、玄徳は、なにが周瑜を焦らせてゐるのか、と、かさねてたづねる。
「死、でございます」と、いつそおごそかに答へる孔明。
おろかな、と、いふ玄徳に、「いかな名将軍も死の不安には勝てません」と云ふ孔明。玄徳は目を閉ざす。

魯粛に間もなく荊州と聞かされて、咳き込みつつ下知を与へる周瑜。
睨む周瑜の顔が、いいんだなあ。おそらく、荊州を、玄徳を、そして孔明を睨んでゐる心なんだらう。

荊州城につくといつのまにかシケのなくなつてゐる周瑜。
玄徳、趙雲、孔明らが出迎へてゐる。
きちんと挨拶し、南郡の大守に任命されたことを寿ぐ玄徳、孔明に、周瑜は、そちらに祝はれるとは皮肉なもの、といふやうなことを云ふ。
どういふことかと問ふ玄徳に、首をもらひ受けにきたからだ、と、すらりと剣を抜く姿がまたうるはしいんだなあ、周瑜は。

しかし、そんな周瑜にかける孔明のことばは容赦ない。
「早まられましたな、周瑜将軍」
ここに小姑ふたりが。
「関羽、張飛、おまへらは南郡城にゐたはず」といふ周瑜に、「さうはまゐりません。南郡の大守どのをお出迎へせよとの孔明どののお知らせがありましたのでな」と、余裕の答への関羽。
進退窮まりうめきながらも、「殺せ、こいつらを皆殺しにせい!」とわめくと、血を吐いて倒れ伏す周瑜。ここ、いつもとちがふカシラを使つてゐる。

すでに日も落ち切つた夕暮れの長江を、船団がくだつてゆくさまさへいとあはれ。
疲れたやうすで、紳々竜々輪が身を寄せあつてゐる。喋らないと紳々竜々も趣深い。

床に横はつたままといふ状況でも、もつと早く舟を走らせろ、と命じる周瑜。孫権に詫びなければ、と云ふのだ。
そのわりには、「儂とて生きてゐたい。生きて天下を制したい。だが……」と、云ふ。
演義だと孔明からの使者がやつてきて書状を渡し、それを読んで周瑜が長嘆息する、といふ展開なのだが、ここではそれはなし。
周瑜のカシラは髪をさばいたもので、最期も近いことが知れる。
そんな状態なのに、起き上がり、床から出ると、周瑜は云ふ。
「な、なぜだ。なぜ孔明等がこの世に生まれてきたのだ。わしひとりだつたら、わしひとりであつたのなら、すでに殿を、殿を天下人の座にお据ゑできたものをー」
最後はもう魂の叫びといつた趣。そのまま倒れ伏す。白い手が柱を滑り落ちるさまがまた、泣けるのう。
周瑜は目を閉じられない人形なので、かつと見開いたまま。そこもまたあはれでなあ。

これでもう、キリキリした周瑜を見ることはない。
ほつとするとともに、なんとはなし、さみしい気がすることもまた否めない。

さて、こののち、荊州はどうなるのか。
玄徳と孫権との中は悪化の一途をたどるのみか。
そして曹操の思惑やいかに。

それは次回の講釈で。

脚本

小川英
四十物光男

初回登録日

2013/02/24