- 直方市
直方市感田(がんだ)の王子団地のすぐそばに王子宮という神社があります。
うっそうとした木々におおわれた長い石段をのぼりつめると小さな社殿があり、
境内は近所の子どもたちの格好の遊び場となっています。
天文十一年(一五四二)といいますから、室町時代末期のことです。
当時は日本のあちこちで群雄が競い合い、戦乱が続いていました。
このあたりでも豊後の守護大名大友氏が、大内氏の勢力下にある北九州市を手中に収めようと旗を掲げました。
鷹取城・香月の畑城と次々に落城させた大友氏は、その勢いで北九州の豪族宗像氏の諸城へと攻め進みました。
この戦いは付近の村々を一瞬のうちに焼け野原にしてしまったのです。
王子宮もこの戦火を逃れることはできませんでした。
社殿が燃え出し、ご神体を収めてあるみこしに危うく火がつきそうになったそのとき不思議なことに、
突然大ぜいのさるが現れ、火の中に飛び込むとみこしをかつぎ出してどこかへ持ち去ってしまったのです。
激しかった戦いもようやく終わり、村へ帰ってきた人たちは、神社があとかたもなくなっているのを見て、
深く悲しみました。
そんなある日のこと。山へ薪を取りに行った村人のひとりが、林の中にさるの群れを見つけました。
「どうしたことだろう」とこっそり近づいた村人はあまりの驚きに思わず「アッ」と声を上げそうになりました。
焼けたと思っていたみこしがそこにあったからです。
大喜びした村人は転げるようにして山を降りると、さっそくこのことを村の人たちに告げ、みんなでみこしを迎えに
行きました。しかし、林の中にはもうさるの姿はなく、みこしだけがポツンと残されていました。
村人たちは「これは山王さまのお使いであるさるが、ご神体のみこしを守ってくれたに違いない」と話し、
その場所に小さな塚を作りました。以来、この塚を掘った者はかならず腹痛で苦しむと信じられていたそうです。
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