読み方は「あやのつづみ」。
三連水車で知られる朝倉市は、県の南東部に位置し、むかし福岡と日田を自由に結ぶ宿場町として栄えていました。
この朝倉市入地(いりじ)の夏草の茂みの中に「桂の池跡」という石碑がひっそりと残っており、この池にまつわる
悲しい物語が語り継がれています。
今から約千三百年前、大和朝廷から斉明天皇が新羅との戦いのために朝倉の地に行幸された時のことです。
橘の広庭の宮に、源太という庭掃除の老人がいました。ある日、彼は女御呂木(にょごろぎ)の館に使いに行き、
そこの美しい女官に年甲斐もなく恋心を抱いてしまったのです。彼女は斉明天皇に仕える橘姫と呼ばれる
身分の高い人で、とうてい源太老人の思いがかなうはずがありません。
しかし、恋は盲目とか、思いつめた源太老人は、毎日のように自分の胸の内を手紙に託して橘姫に書き送ったのです。
そのうちに、あこがれの橘姫から変事が来ました。源太老人がおどる心で手にした手紙には
次のように書かれていました。
「あなたのお気持はよく分かりました。今夜、桂の池のほとりにある桂の木の枝に鼓を掛けておきますので、
それを鳴らしてください。そうすれば、もう一度あなたの前に姿をあらわしましょう」
やがて夜がきました。手紙に書かれていたとおり桂の木の枝には鼓が確かに掛っています。
源太老人は胸をときめかせてその鼓を打ちました。しかし、どうしたことか、いくら打っても鼓は鳴りません。
というのも橘姫が「この恋は成らぬ(鳴らぬ)」との謎をかけて、鼓に綾織の布を張っていたのです。
でも、橘姫に夢中になっている源太老人にはこの謎がわかりません。彼は鳴らぬ鼓にすがって一晩中、必死に
鼓を打ち続けたのでした。橘姫の遠回しな断りもあだとなり、姫に見離されてなげき悲しんだ源太老人は、
とうとう桂の池に身を投げてしまいました。
その後源太老人の亡霊が、毎夜、橘姫の枕元にあらわれ、「綾の鼓が鳴るものなら、お前が打ってみよ」と
のろい続けたので、やがて橘姫も気が狂って桂の池に身を投げてしまったということです。
注
橘の広庭の宮…朝倉における斉明天皇の住まい(現在の朝倉市長安寺跡)
女御呂木の館…斉明天皇に仕える女官たちの住まい(現在の朝倉市入地)
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