- 穂波町
竜王山のふもとには古代から中世にかけてたくさんの寺院や僧坊が建ち並んでいたといわれます。
そのひとつが明星寺(みょうじょうじ、現飯塚市)です。
むかし、この明星寺で聖光上人という僧が修行をしていました。上人は浄土宗を開いた法然の弟子で、
浄土宗第二祖・鎮西派の祖。聖光房弁阿(べんな)と号し、明星寺で修行する一方、京の比叡山で天大を学んで
明星寺を再興するなどし、高僧としての徳を積んだ人です。穂波町には聖光上人にまつわるいくつかの物語が
伝えられています。
あるとき、上人は行のひとつとして英彦山に千日参りの願をかけました。なにしろ千日前のことですから、
日数をまちがえないようにするのがたいへんです。そこで一回参るごとに松の木を一本ずつ植えては行の日数を
数えることにしました。この松原は後に日数原と呼ばれるようになり、今日では彼岸原という地名になって
残っています。
この千日参りの際、上人はいつも白い衣に身をつつみ、夜半に明星寺を出て安恒(やすつね)から豆田(まめだ)
あたりを通って英彦山へと向かいました。そのため道筋の村では、夜な夜な白い衣の怪しいものが出るといううわさが、
たちまちのうちに広まってしまったのです。
うわさを聞いた道筋の若者たちは、そのくせ者を何とか自分たちの手で退治しようと待ち伏せすることになりました。
その夜、何も知らない上人はいつものように白い衣を着て、明星寺を出発しました。草むらでジッと待ちかまえていた
若者たちは、上人が通り過ぎるのを待って、背後から次々と弓で射かけました。
するとどうでしょう。不思議なことに勢いよく飛んでいた矢は、上人のすぐうしろで一本残らず地面に落ちてしまった
のです。
くせ者の正体が上人だったことを知った若者たちは上人の無事を喜び合いました。このあたりは後に、途中で矢が
落ちてしまったことから中矢(現在の中屋)、またあとになっていきさつを知った上人が「寿命が延びた」と
言ったことから寿命とも呼ばれるようになったということです。
もうひとつ、こんなお話もあります。
聖光上人が筑後地方の伝導教化のため善導寺に向かう途中のことです。米の山峠の手前にある大将陣山
(穂波町天道)でひと休みしていると、村人がやってきてこう訴えました。
「山の水が枯れて困っています。何とかお力をおかしください」
それを聞いた上人が、山頂に杖を立て引き抜くと、どうでしょう。杖を抜いた跡からこんとんと清水が
湧き出してくるではありませんか。村人たちは大喜びで、清水を石で囲み、池をつくりました。
この池は「聖光上人杖立の池」と呼ばれ、いまなお枯れることなく水をたたえ、皮膚病に霊験があると
いう話を耳にした人たちが各地から訪れています。
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