福岡県の郷土のものがたりです。

  • 若宮町

若宮町と福間町の境、見坂峠への若宮側の昇り口に「猫塚」というバス停があります。そのバス停のすぐ横に

小さな塚がありますが、それが地名の由来となっている猫塚で、こんなお話が伝えられています。

今から四百年ほど前のことです。ここに、西福寺というお寺がありました。

ある晩春の夕暮れ、一人の旅の僧が一夜の宿を求めてやってきました。破れた僧衣を肩までめくり、眼光するどく、

見るからに異様な風体です。それでも同じ仏門にある者として、温かく迎えいれられました。ところが、旅の僧は

翌日になっても寺を出ていかず、三月すぎてもまだいすわったままです。近ごろは、時折り出かけては酒気を帯びて

戻り、乱暴を働くようになりました。住職も困り果てていましたが、旅の僧は決して出発しようとはしません。

やがて冬がやってきました。住職が風邪をこじらせ寝こんでいると、旅の僧が枕辺に座り何やら呪文を

となえだしました。すると、住職は顔面そう白となり、いまにも息絶えそうな状態に陥りました。死期が迫ったことを

知った住職は、長年、飼っていた愛猫のタキを呼び「あの僧はただ者ではない。私の死後はお前が寺を守ってくれ」

と語りかけました。タキは一声鳴くと、いずこともなく去っていき、翌日も、翌々日も姿を見せませんでした。

タキが姿を消してから三日目の夜のことです。本堂の方でものすごい音がします。おびただしい猫たちの鳴き声、

物の倒れる音、屋根瓦の落ちて砕ける音、本堂を揺るがすほどのごう音です。熱にうなされる住職の脳裏に、

タキの血ぬられた姿が浮かんでは消えました。

翌朝、ぬぐったように病いが軽くなった住職が起き出してみると、本堂の周りはおろか、

一帯は猫の死体でいっぱいです。ふと見ると、愛猫のタキが、数百年を経たかと思われる老ねずみとかみあって

死んでいます。以来、あの僧の姿も、ぷっつり見えなくなったと伝えられます。

この戦いには、宗像、鞍手、遠賀の三郡の猫たちが総動員され、一匹の老ねずみのために約千匹が死んだと

いうことです。住職と村人はそれらの猫の死体を集め、一緒に埋めて塚を建てました。それが猫塚です。

その後、西福寺は宗像市の野坂に移転しましたが、今でも猫塚はその檀家の手によって守り伝えられ、

春秋二回、西福寺で行われている村ごもりの日には必ずタキの話が語られるということです。

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