福岡県の郷土のものがたりです。

  • 嘉麻市(旧嘉穂町)

嘉穂町の南部、馬見山のふもとに尾谷というところがあります。ここは干し柿の高級品として知られる尾谷柿の

ふるさと。尾谷柿といえば、タネがなく風味のよいのが特徴ですが、不思議なことに同じ尾谷柿でもこの地を離れると

なぜかタネができてしまうのだそうです。

尾谷柿には小谷柿、献上柿、天柿、厳流柿などさまざまな呼び名があります。

小谷は尾谷の古名から、また献上柿、天柿は昭和三年のご大典(ご即位式)のとき、干し柿二箱を宮中へ献納した

ことに由来するもので、白装束に身を包んだ人たちが柿の木に登り、実をひとつずつていねいにハサミで切り取った

といいます。

そして、残る厳流柿の名にはこんな話が言い伝えられています。

尾谷柿の原木は寛永年間(一六二四〜四四)、あの剣客、佐々木厳流によって播磨の国(現在の兵庫県)から

移し植えられたというのです。

当時、尾谷には円明寺という尼寺があり、小次郎はこの寺に滞在して剣の修業をしていました。

あの「つばめ返し」の秘剣もこのときに会得したものといわれています。やがて小次郎がこの地を去るとき、

姫路以来ずっとたずさえていたつえを尼寺の境内につきさしたところ、それが根づき見事な柿の木に成長したのです。

現在、円明寺跡は石本さんのナシ園となっており、原木も昭和初期までは現存していましたが、いまでは朽ち果てて

わずかに残った一片が石本さん宅の仏間に飾られています。原木のあった場所には小さな石がおかれ「元柿様」と

呼んで祭り、村人は歯が痛むとここへ来て祈願し、歯痛が治るとお礼に自分の年の数だけ楊枝を作って供えた

といいます。

献上した柿はその二代目にあたるもので、上の方の枝にはご大典のときに使ってそのまま置き忘れたというハサミが、

いまなおしっかりと食い込んでいます。

元柿様は現在、すぐ近くの太子堂に移されており、そのかたわらには小次郎が修業の際の守り本尊として削ったと

伝えられる木像仏が祭られています。

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