- 田川市
読み方は「ふうじはちまんぐうのいわれ」。
田川市の伊田(いた)や手永地区の氏神さまとして広く親しまれている風治八幡宮は、
その昔、伊田大神と呼ばれていました。
それが風治八幡宮と名を変えたのにはこんなお話が伝えられています。
朝鮮半島への出兵を終えられた神功皇后は、いよいよ九州を後にしようとしていました。
筑紫の国から穴門(あなと)の豊浦(山口県下関)に向かう途中、伊田にさしかかった時のことです。
それまでは順調な旅日和でしたが、突然、激しい風雨に見舞われたのです。
厚い黒雲が空をおおい、激しい雨が一行の行手をさえぎります。すぐ前を行く人に呼びかけても声は風にかきけされ、
列は乱れるばかり…。ついに一歩も進めなくなり、行列はとまってしまいました。
ふとみると、そこは伊田大神の宮の前です。神功皇后は宮の前にあった大石に腰かけ、一振りの太刀を献上して、
いっしんに天候が回復するようにと祈願しました。するとどうでしょう。たちまち雨があがり、風も治まって、
一行は無事に旅を続けることができたということです。
そして時がたち、九世紀初めごろのことです。伊田地方を大かんばつが襲いました。
日照り続きで草木も枯れるほどでした。その時、たまたまこの地を通りかかった伝教大師が
神功皇后の伝説にちなんで、伊田大神に祈念されると、たちまち雨が降り、豊かな実りをえることができた
とも伝えられます。
この二つの故事を聞いた小笠原公が「風治八幡宮」と改称され今日に至っています。
いまも神社境内に「神功皇后腰掛け石」が伝えられています。
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