福岡県の郷土のものがたりです。

  • 苅田町

苅田町与原(よばる)の御所山古墳(ごしょやまこふん、国指定史跡)の丘に建つ白庭神社(しろにわじんじゃ)では、

毎年二月十二日“福焼き”の名で親しまれるどんど焼きの神事が盛大に行われます。正月に飾った門松やしめなわ、

古いお札などを焼いて、その年の豊作と無病息災を祈るもので、その起源はいまから百七十年ほど前に

さかのぼります。

言い伝えによると、文化十三年(一八一六)この地方はひどい台風に襲われ、あちこちの村で家屋が壊されましたが、

ここ御所山古墳のそばの十二軒だけは、大きな丘が盾になってくれたおかげで、納屋ひとつ壊れることなく難を逃れた

のです。

台風が過ぎ去り、人々が神社へ上がってみると、境内を包み込むように生い茂っていた松の大木のほとんどが

横倒しになり、見る影もありません。村人たちは

「きっと神さまが松の木を身代わりにしてわれわれを助けてくれたに違いない」

といい「おかげ祭」として、倒れた松の枝や幹を焼いて、感謝の意を表しました。二月十二日(旧暦)のことで、

これが福焼きの始まりになったそうです。

夕方五時半を過ぎると、境内の中央に小高く積んだ木片にご神火が移され、福焼きが始まります。詰めかけた参拝者は

それぞれにしめなわやお札を炎の中へ投げ入れます。パチパチと火花が散れば散るほどその年は豊作とか。集まった

人たちは氏子から板状の二枚重ねにしたモチを買いますが、このモチを長い竹に刺し、福焼きの火であぶって食べると

無病息災で一年を過ごせるといわれています。また二枚のモチの間には鏡モチが当たるくじが入っていて、これも

楽しみのひとつになっています。当たるたびに威勢よく手締めが行われ、境内に奇声が響きわたります。

このような形で福焼きが行われるようになったのは明治三十年前後からといわれています。

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