福岡県の郷土のものがたりです。

  • 福間町

読み方は「もときのばけもの」。

福津市に残る伝説の中で最も多くの人に知られたものに“本木の化け物”の話があります。

天和年間(一六八一〜一六八三)といいますから五代将軍徳川綱吉のころです。

ある夏のこと宗像郡本木村(現在の福津市本木)の庄屋案野権右衛門の屋敷で世にも不思議な出来事が続きました。

夜が更けて亥の刻(午後十時ごろ)を過ぎると、女房のお島の姿が見えなくなるのです。権右衛門は不審に思い、

“夜中、私が眠っている間に毎晩いったいどこへ出かけていくのじゃ”とお島にたずねますと、

お島は涙を流し、夫の権右衛門にことの次第を話し始めるのでした。

“あなたに知られたからには、私はもう生きているわけにはまいりません。実は近ごろ私に言い寄る人があり、

ある時は若衆姿で、ある時は山伏などに姿をかえて夜が更けると私のもとへやってくるのです。

でも私は夫のある身、二度までは断りましたが、その人は夜更けになるとやってきて、いろんな言葉をかけて

私を床下に引き込むので私は怖さのあまり気を失ってしまうのです”

権右衛門はなんだか馬鹿にされたようでこんな話は信じられません。

“私の女房ともあろうものが何者とも分からぬ者から寝取られたとあっては庄屋として、夫としての

私の顔が立たん。それに今の話は証人なしではとても信じられぬ”と強い口調で突き放したのです。すると

お島は“私も恐ろしくて死にそうです。今夜にも確かめてください”と今にも死にそうな声で言います。

外聞の悪いことですが、お島のたっての頼みでもあり、事実を確かめるため権右衛門は日ごろ親しくしている人を

呼び、女房に言い寄る男を待ち受けることにしました。

しかし、どうしたことか亥の刻近くになると二人は眠くて仕方なく、ついうとうととしてしまったのです。

しばらくして、床下で叫ぶお島の声に二人はハッと目を覚まし、畳と床板をはがしてみますと、すでに手遅れで

お島は気を失い、男の姿はどこにもありません。

朝になって調べてみると縁さきから庭にかけて妙な足跡が残っています。

“こりゃ、人間の足跡とはちがうぞ、夕べ来たやつの足跡にちがいない……”

何かの化け物が女房にとりついていると思った権右衛門は願かけや祈祷など八方手を尽したのですがいっこうに

効き目がありません。

そこで、この化け物は生き物だから殺すほかないと思いたった権右衛門は村の勇敢で屈強な若者や鉄砲を持った

猟師を集めて化け物退治をすることにしたのです。屋敷の中は言うに及ばず村全体、蟻の這い出る隙間もないように

鉄砲やヤリで守りを固めました。三日目の夜、空がだんだん白んできて、夜明けが近くなった時です。

“ズドン”“ズドン”と二発の銃声が響き渡ったのです。山に帰る二匹の獣を狙って猟師の十右兵衛と新三郎の撃った

タマはかろうじで一匹に命中したものの権右衛門が近づくと、手負いになった獣は牙をむき出して襲いかかりました。

権右衛門はとっさに脇差を抜いて首を切り落としましたが不思議なことにその獣は声も立てずに死んでしまいました。

死骸は一見、年老いた猫のようでしたが、胴体の長さは一メートル足らずの狐とも狸ともつかず、この世のものとは

思えないものでみんな背筋にゾーッとするものを感じました。

その後も化け物は姿を消さず、村人たちは毎日、身も細る思いでした。

この噂は次第に広がり、黒田の殿様の耳にも入り、殿様は化け物退治に家来の阿部与左衛門、有田伝兵衛の両名を

本木村に差し向けましたが捕まるのは猫や狐ばかりでなかなか化け物を退治することができません。

そこで殿様は山吹、山嵐という二匹のおそば犬を応援に出しました。権右衛門は二匹の犬を居間に上げて、化け物を

捕えることにしました。

雪の降る夜のことです。化け物と山嵐が激しくわたり合うのに目を覚ました権右衛門はヤリで刺し殺そうとしますが

暗くてよく見えず、しかも化け物と犬は組んずほぐれつで的がなかなか定まりません。とうとう化け物は山へ

逃げ帰ってしまいました。

そして山嵐が化け物と噛合って大怪我をした夜からは化け物はぷっつりと来なくなったのです。

元禄年間(一六八八〜一七〇三)にこの化け物が同家の床下で死んでいるのが見つかり、この化け物の骨は、代々

同家に伝えられていました。その後文久三年(一八六二)同家では、これを神力大明神として祭り、法塔を建てて

供養するようになったとのことです。

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