最終更新: centaurus20041122 2014年05月16日(金) 11:30:43履歴
「じゃあ、私が入り込む場所はないかな」
ぽそりと理紗が言った。
それを聞いても貴樹はあまり動揺しなかった。
以前の出来事があったからだ。
いつか、こんな日が来るとは思っていた。
「明日、もしも予定がなければ、私……一緒に過ごしたいです」
理紗が言う。つまりクリスマス・イブだ。
貴樹はカツカレーの最後のライスを食べ、福神漬をかりかりと咀嚼したあと、水を飲んでから返事をする。いたずらに引き延ばしたようにも見えるが、貴樹としてはどのような返答が最も傷つけないのかを考えていたつもりだ。
「水野さん。きみはとてもきれいだし、優秀だ。俺みたいな、面倒な性格の男にひっかからなくてもいいと思うよ」
短時間で考えた言葉を言ってみる。理紗はどちらかというと奥手で、おとなしい性格だ。思慮深くもあり、微妙なニュアンスも汲み取ってくれる。
貴樹はそう思っていたが、理紗の反応は予想と違った。
「それは……お断りされているということですか。……まどろっこしいのはいやなんです。あとでもやもやするのも」
理紗の、そんな激しい言葉を聞くのは初めてだった。
そこまで言われたら、貴樹も優しさをみせないといけないと思った。
この場合の「優しさ」とは「残酷さ」ということだ。
いたずらに引っ張るよりも、厳しい言葉で突き放して、相手の気持ちを終わらせ、新しい世界へ進めてあげるのも、「優しさ」だ。
もう、花苗にしたことと同じことはしてはいけない。
それが言い訳や偽善と称されたとしても、そんなものはどうでもいい。
これは貴樹と理紗、二人の問題だから。
「じゃあ、言うよ。まず、俺には結婚を前提にして付き合っている恋人がいる。ちなみに住んでる部屋は隣同士だ。もう、先方の親にも結婚の話をしている。具体的な日程はまだだけど、30になるまでには結婚するつもり。きみのような美人に誘われてうれしくないわけはないけれど、俺にとってはその人は同級生で、友達で恋人でフィアンセで、……そして同じ時代をずっと駆け抜けてきた戦友みたいなものなんだ。離れることなんて考えられない。クリスマス・イブも毎年一緒にすごすっていう約束がある。だから、きみの望みはかなえてあげられない」
貴樹は一気に言った。
「でも……遠野さんはあの仕事でボロボロになってた。それを彼女さんはわかってたんですか? なにかしてあげられてたんですか?」
それがせめてもの理紗の反撃だった。あの苦しい期間、貴樹を支えていたのは自分だという自負があったのだろう。
「……まだ、誰にも言ってないけれど、あの仕事が終わったら、退職する」
貴樹がそういうと理紗の表情が変わる。
「あなたがあなたでなくなっている、やめたほうがいい、1年くらいは養ってあげる、彼女はそう言ってくれたよ」
貴樹の言葉を聞くと、理紗はため息を一つつき、「完敗ですね」と言った。
ふられた直後の理紗は気付かなかったが、そのとき、二人のテーブルの横に、一人の女性が立っていた。
明里だった。
指輪の話のあと、謎の女が決定的な言葉を吐いて、明里は、今出ていくべきなのか逡巡した。
校了明け、つまりは完徹明けの妙なテンションで、好戦的になっている心をなんとか説き伏せる。
謎の女は明日の予定を問うている。
今年のクリスマス・イブの、具体的な約束はまだしていない。
でも、上京したときに、「毎年イブは一緒に過ごす」という約束をしていた。
貴樹は果たして覚えていてくれるだろうか。
それともおっぱい女の魔力に負けてしまうだろうか。
やがてその心配は徒労に終わったことを知る。
貴樹は、完全に女の申し出を断っていた。
貴樹が自分のことをどう思っているのか、とてもわかりやすかった。
「同級生で友達で恋人でフィアンセで、戦友」
これ以上の肩書があるだろうか。
明里は心の底からホッとする。とどめの一撃を受けて、謎の女は「完敗ですね」と白旗を挙げた。
あとあと、貴樹とのしこりを残したくない、と思った明里は今出て行くべきだと思い、隣の席の横に立った。
「あ、明里……」
その貴樹の言葉で、理紗も伏せていた顔をあげる。
とてもきれいな女性が立っている。
誰? と理紗は思ったが、貴樹が反応していたので、本能的に、このきれいな女性が、貴樹の恋人なんだと分かった。なぜだか、デジャヴを感じる。
この場所や出来事ではなく、この女性に。
「どうしたの、なぜ、ここへ?」
平凡な問いかけしかできない貴樹だが、女性と二人でいるのはやはり気まずい。
「あの、」
理紗が言いかけるのを手で制止した明里が語り始めた。
「はじめまして、水野さん。遠野貴樹の婚約者で篠原明里と申します。徹夜明けで驚かせようと、貴樹くんの会社へ行ったら、目の前で二人が落ち合うところを見たので、尾行しました。すみません」
明里は一応頭を下げた。
「でも、恋人が知らない女の子と二人でどこかへ行くのを見て、ほおっておけないのはおわかりだと思います」
そういうと、「明里、違うんだよ」と貴樹が焦った声を出す。
「貴樹くん、大丈夫。私、あなたがカツカレーを食べ始める前から、隣の席にいたの。だから、申し訳なかったけど。話はぜんぶ聞いてた。あなたは浮気なんかしてないし、この魅力的な美人さんのお誘いも断ってくれた。だから、心配しないで」
「あの、私、帰ります」
理紗が席を立とうとするのを、明里は止めた。
「水野さん、少しだけ話をきいて」
(つづく)
ぽそりと理紗が言った。
それを聞いても貴樹はあまり動揺しなかった。
以前の出来事があったからだ。
いつか、こんな日が来るとは思っていた。
「明日、もしも予定がなければ、私……一緒に過ごしたいです」
理紗が言う。つまりクリスマス・イブだ。
貴樹はカツカレーの最後のライスを食べ、福神漬をかりかりと咀嚼したあと、水を飲んでから返事をする。いたずらに引き延ばしたようにも見えるが、貴樹としてはどのような返答が最も傷つけないのかを考えていたつもりだ。
「水野さん。きみはとてもきれいだし、優秀だ。俺みたいな、面倒な性格の男にひっかからなくてもいいと思うよ」
短時間で考えた言葉を言ってみる。理紗はどちらかというと奥手で、おとなしい性格だ。思慮深くもあり、微妙なニュアンスも汲み取ってくれる。
貴樹はそう思っていたが、理紗の反応は予想と違った。
「それは……お断りされているということですか。……まどろっこしいのはいやなんです。あとでもやもやするのも」
理紗の、そんな激しい言葉を聞くのは初めてだった。
そこまで言われたら、貴樹も優しさをみせないといけないと思った。
この場合の「優しさ」とは「残酷さ」ということだ。
いたずらに引っ張るよりも、厳しい言葉で突き放して、相手の気持ちを終わらせ、新しい世界へ進めてあげるのも、「優しさ」だ。
もう、花苗にしたことと同じことはしてはいけない。
それが言い訳や偽善と称されたとしても、そんなものはどうでもいい。
これは貴樹と理紗、二人の問題だから。
「じゃあ、言うよ。まず、俺には結婚を前提にして付き合っている恋人がいる。ちなみに住んでる部屋は隣同士だ。もう、先方の親にも結婚の話をしている。具体的な日程はまだだけど、30になるまでには結婚するつもり。きみのような美人に誘われてうれしくないわけはないけれど、俺にとってはその人は同級生で、友達で恋人でフィアンセで、……そして同じ時代をずっと駆け抜けてきた戦友みたいなものなんだ。離れることなんて考えられない。クリスマス・イブも毎年一緒にすごすっていう約束がある。だから、きみの望みはかなえてあげられない」
貴樹は一気に言った。
「でも……遠野さんはあの仕事でボロボロになってた。それを彼女さんはわかってたんですか? なにかしてあげられてたんですか?」
それがせめてもの理紗の反撃だった。あの苦しい期間、貴樹を支えていたのは自分だという自負があったのだろう。
「……まだ、誰にも言ってないけれど、あの仕事が終わったら、退職する」
貴樹がそういうと理紗の表情が変わる。
「あなたがあなたでなくなっている、やめたほうがいい、1年くらいは養ってあげる、彼女はそう言ってくれたよ」
貴樹の言葉を聞くと、理紗はため息を一つつき、「完敗ですね」と言った。
ふられた直後の理紗は気付かなかったが、そのとき、二人のテーブルの横に、一人の女性が立っていた。
明里だった。
指輪の話のあと、謎の女が決定的な言葉を吐いて、明里は、今出ていくべきなのか逡巡した。
校了明け、つまりは完徹明けの妙なテンションで、好戦的になっている心をなんとか説き伏せる。
謎の女は明日の予定を問うている。
今年のクリスマス・イブの、具体的な約束はまだしていない。
でも、上京したときに、「毎年イブは一緒に過ごす」という約束をしていた。
貴樹は果たして覚えていてくれるだろうか。
それともおっぱい女の魔力に負けてしまうだろうか。
やがてその心配は徒労に終わったことを知る。
貴樹は、完全に女の申し出を断っていた。
貴樹が自分のことをどう思っているのか、とてもわかりやすかった。
「同級生で友達で恋人でフィアンセで、戦友」
これ以上の肩書があるだろうか。
明里は心の底からホッとする。とどめの一撃を受けて、謎の女は「完敗ですね」と白旗を挙げた。
あとあと、貴樹とのしこりを残したくない、と思った明里は今出て行くべきだと思い、隣の席の横に立った。
「あ、明里……」
その貴樹の言葉で、理紗も伏せていた顔をあげる。
とてもきれいな女性が立っている。
誰? と理紗は思ったが、貴樹が反応していたので、本能的に、このきれいな女性が、貴樹の恋人なんだと分かった。なぜだか、デジャヴを感じる。
この場所や出来事ではなく、この女性に。
「どうしたの、なぜ、ここへ?」
平凡な問いかけしかできない貴樹だが、女性と二人でいるのはやはり気まずい。
「あの、」
理紗が言いかけるのを手で制止した明里が語り始めた。
「はじめまして、水野さん。遠野貴樹の婚約者で篠原明里と申します。徹夜明けで驚かせようと、貴樹くんの会社へ行ったら、目の前で二人が落ち合うところを見たので、尾行しました。すみません」
明里は一応頭を下げた。
「でも、恋人が知らない女の子と二人でどこかへ行くのを見て、ほおっておけないのはおわかりだと思います」
そういうと、「明里、違うんだよ」と貴樹が焦った声を出す。
「貴樹くん、大丈夫。私、あなたがカツカレーを食べ始める前から、隣の席にいたの。だから、申し訳なかったけど。話はぜんぶ聞いてた。あなたは浮気なんかしてないし、この魅力的な美人さんのお誘いも断ってくれた。だから、心配しないで」
「あの、私、帰ります」
理紗が席を立とうとするのを、明里は止めた。
「水野さん、少しだけ話をきいて」
(つづく)
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