最終更新: centaurus20041122 2014年05月13日(火) 12:17:42履歴
退職を決意した貴樹は、むろん会社ではそんなことはおくびにも出さずに、仕事にまい進していた。その頃には貴樹のリーダーシップで比較的年の若いエンジニアたちがその技量に感心し、手伝ってくれるようになっていた。
それだけでかなり心が楽になった。
一方で、それとは別にここ半年の習慣が引き続き続いている。
理紗とのランチだ。
出向が終わったあと、理紗からの提案で週に二回から三回ほど、昼食を共にしていた。
理紗の勤める会社は新宿だが、このころは別の仕事で荻窪の会社に出向していた。
そこで昼食の時間を合わせて、三鷹で食事をするようになっていた。
あいかわらず近況報告と趣味の話しかしない貴樹だが、理紗はそれでもうれしく微笑んでいた。
明里にしか女性への関心がない貴樹だが、それでも美しい女性がにこにこしている顔を見ていると、楽しいものだ。まして、自分が楽しんで組み上げた案件をともに仕上げたという連帯感に近いものも感じていた。
ただし、それはあくまでも、仕事をともに仕上げた相手、いわば「同じ釜の飯を食べた間柄」のような感覚であって、恋愛感情はほぼない。
理紗のほうはどうなのかはわからない。
あの日の出来事--理紗が貴樹にキスした--も、本当は白昼夢だったのではないかと、貴樹は疑っている。
11月が過ぎ、12月に入った。
木枯らしが吹き、街はクリスマス一色になった。
12月第1週の金曜日は『Vivo』編集部の大忘年会だ。これは毎年恒例となっていて、編集部員はもとより、広告部員や関係する編集プロダクション、日ごろ世話になっているカメラマンやアシスタント、ヘアメイクにスタイリスト、スポンサーの方々を招いて、ホテルの宴会場を押さえ、立食パーティー方式で大々的に行う。
当然、モデルたちも勢ぞろいなので華やかだ。
なぜ、このタイミングかというと、このあと怒涛の年末進行が待っているからだ。それがクリスマス前まで続く。その前に忘年会をやってしまおうということなのだった。
諌山が出入り禁止になったので、今年は加賀が来場していた。
田村によると「こういう場所に来るのは珍しい」のだそうだが、本人は最初のイメージとはかなり違って、ひょうきんな言動をすることもあった。
「あれは、かっこつけてたのかな」
初めて会ったときのことを思い出して明里は思った。
「篠原」
加賀のアシスタントをやっている、同級生の青葉がやってきた。
『Vivo』の巻頭を加賀が撮り始めて半年、加賀の担当である明里も田村のサポートつきとはいえ、入社2年めでの表紙巻頭の担当は破格だった。その打ち合わせでこの半年、青葉とはかなり頻繁に顔を合わせるようになっていた。
「すごいね、こんなの初めて」
周りをきょろきょろしながら青葉が言う。明里のほうはモデル時代を含めて6回目のパーティだった。
「加賀さんは、あまりこういうところに来ないって聞いてたけど」
「うん、いつもはね。諌山さんを追い出したことを誇示したいのかも」
あはははと笑う。
「篠原は本当にかわいくなったね」
いきなり青葉が言ったので明里が驚いた。
「どうしたの、青葉くん。そ、そんなのキャラにないよ?」
思わずどもりながら明里が言うと。少し怒ったような表情で青葉が言った。
「俺だって、遠野くらい、お前のことを思ってるつもりだよ」
「え……」
それはいきなりの愛の告白だった。
「遠野とはうまくいってるの?」
「うん、まあ……」
嘘ではない。喧嘩してるわけでもないし。ただ、最近会えていないだけで。
「結婚、するの?」
「うん。そのつもり」
そう断言して青葉の攻勢を削ごうとしたけれど、それは徒労だった。
「もし、なにかつらいことがあったら、俺を頼ってほしい。俺だって一人前のフォトグラファーを目指してる。加賀さんのツテで最近は一人でも撮り始めたんだ。クレジットに「撮影●青葉譲」って出る日も近い。俺は絶対、成功する。そう決めてるんだ。俺にだって、篠原、お前を」
つっかかりそうな勢いで青葉が言うものだから。
「青葉くん、酔っ払いすぎだよ」
そう言っていなそうとした明里だったけど。
「あ、俺、素面なんだよ」
「え」
「俺、下戸なんだよね。だから、この赤ワインに見えるのは実はプラムジュース」
そう言われると、もう明里にも逃げ場がなくなってしまう。あまりぞんざいに拒絶するのも今後に差し支えそうだし。
寄りかかっていた丸テーブルにグラスを置いた青葉は、まっすぐに明里を見据えて、「俺は、篠原、お前のことが好きだ。愛してる」
荒っぽい告白は、だからこそ明里の胸に響いて、ドキンと心の奥底が共鳴した。
ダメ。私には……。
「今すぐっていうんじゃない。これからもちゃんと仕事はしていく。篠原の仕切りや、モデルへの気配りを見て、さらに惚れた。俺、お前が好きだよ」
まっすぐに見られながら、そう言われて明里は金縛りに遭ったようになる。
彼は、青葉は私の仕事ぶりを見て、それで私を評価してくれているんだ。
それは、貴樹には下せない判断だった。
「青葉くん……」
もしかしたら、明里はその時、ちょっと泣きそうな顔をしていたかもしれない。
こんなにストレートな愛の告白をされるとは思っていなかった。
「どうだ、青葉。勝算は」
気付くと、青葉の背後に加賀が立っていた。
「お嬢さんの彼氏って、3年前の卒業号で一緒に出てたイケメンかい?」
「……はい」
そんなところまで加賀がチェックしているとは思わなかった。
「弟子が燃え上がってるようだからな。師匠としても応援したい」
こちらは赤い顔をして出来あがっている。白ワインをぐびり。
青葉は加賀に自分の思いを伝えていたのか。
「でもまあ、色恋沙汰は理屈じゃないからな。振られてもちゃんと仕事しろよ、青葉」
パシンと青葉の肩を叩いて、ふらりふらりと加賀は去っていった。
(つづく)
それだけでかなり心が楽になった。
一方で、それとは別にここ半年の習慣が引き続き続いている。
理紗とのランチだ。
出向が終わったあと、理紗からの提案で週に二回から三回ほど、昼食を共にしていた。
理紗の勤める会社は新宿だが、このころは別の仕事で荻窪の会社に出向していた。
そこで昼食の時間を合わせて、三鷹で食事をするようになっていた。
あいかわらず近況報告と趣味の話しかしない貴樹だが、理紗はそれでもうれしく微笑んでいた。
明里にしか女性への関心がない貴樹だが、それでも美しい女性がにこにこしている顔を見ていると、楽しいものだ。まして、自分が楽しんで組み上げた案件をともに仕上げたという連帯感に近いものも感じていた。
ただし、それはあくまでも、仕事をともに仕上げた相手、いわば「同じ釜の飯を食べた間柄」のような感覚であって、恋愛感情はほぼない。
理紗のほうはどうなのかはわからない。
あの日の出来事--理紗が貴樹にキスした--も、本当は白昼夢だったのではないかと、貴樹は疑っている。
11月が過ぎ、12月に入った。
木枯らしが吹き、街はクリスマス一色になった。
12月第1週の金曜日は『Vivo』編集部の大忘年会だ。これは毎年恒例となっていて、編集部員はもとより、広告部員や関係する編集プロダクション、日ごろ世話になっているカメラマンやアシスタント、ヘアメイクにスタイリスト、スポンサーの方々を招いて、ホテルの宴会場を押さえ、立食パーティー方式で大々的に行う。
当然、モデルたちも勢ぞろいなので華やかだ。
なぜ、このタイミングかというと、このあと怒涛の年末進行が待っているからだ。それがクリスマス前まで続く。その前に忘年会をやってしまおうということなのだった。
諌山が出入り禁止になったので、今年は加賀が来場していた。
田村によると「こういう場所に来るのは珍しい」のだそうだが、本人は最初のイメージとはかなり違って、ひょうきんな言動をすることもあった。
「あれは、かっこつけてたのかな」
初めて会ったときのことを思い出して明里は思った。
「篠原」
加賀のアシスタントをやっている、同級生の青葉がやってきた。
『Vivo』の巻頭を加賀が撮り始めて半年、加賀の担当である明里も田村のサポートつきとはいえ、入社2年めでの表紙巻頭の担当は破格だった。その打ち合わせでこの半年、青葉とはかなり頻繁に顔を合わせるようになっていた。
「すごいね、こんなの初めて」
周りをきょろきょろしながら青葉が言う。明里のほうはモデル時代を含めて6回目のパーティだった。
「加賀さんは、あまりこういうところに来ないって聞いてたけど」
「うん、いつもはね。諌山さんを追い出したことを誇示したいのかも」
あはははと笑う。
「篠原は本当にかわいくなったね」
いきなり青葉が言ったので明里が驚いた。
「どうしたの、青葉くん。そ、そんなのキャラにないよ?」
思わずどもりながら明里が言うと。少し怒ったような表情で青葉が言った。
「俺だって、遠野くらい、お前のことを思ってるつもりだよ」
「え……」
それはいきなりの愛の告白だった。
「遠野とはうまくいってるの?」
「うん、まあ……」
嘘ではない。喧嘩してるわけでもないし。ただ、最近会えていないだけで。
「結婚、するの?」
「うん。そのつもり」
そう断言して青葉の攻勢を削ごうとしたけれど、それは徒労だった。
「もし、なにかつらいことがあったら、俺を頼ってほしい。俺だって一人前のフォトグラファーを目指してる。加賀さんのツテで最近は一人でも撮り始めたんだ。クレジットに「撮影●青葉譲」って出る日も近い。俺は絶対、成功する。そう決めてるんだ。俺にだって、篠原、お前を」
つっかかりそうな勢いで青葉が言うものだから。
「青葉くん、酔っ払いすぎだよ」
そう言っていなそうとした明里だったけど。
「あ、俺、素面なんだよ」
「え」
「俺、下戸なんだよね。だから、この赤ワインに見えるのは実はプラムジュース」
そう言われると、もう明里にも逃げ場がなくなってしまう。あまりぞんざいに拒絶するのも今後に差し支えそうだし。
寄りかかっていた丸テーブルにグラスを置いた青葉は、まっすぐに明里を見据えて、「俺は、篠原、お前のことが好きだ。愛してる」
荒っぽい告白は、だからこそ明里の胸に響いて、ドキンと心の奥底が共鳴した。
ダメ。私には……。
「今すぐっていうんじゃない。これからもちゃんと仕事はしていく。篠原の仕切りや、モデルへの気配りを見て、さらに惚れた。俺、お前が好きだよ」
まっすぐに見られながら、そう言われて明里は金縛りに遭ったようになる。
彼は、青葉は私の仕事ぶりを見て、それで私を評価してくれているんだ。
それは、貴樹には下せない判断だった。
「青葉くん……」
もしかしたら、明里はその時、ちょっと泣きそうな顔をしていたかもしれない。
こんなにストレートな愛の告白をされるとは思っていなかった。
「どうだ、青葉。勝算は」
気付くと、青葉の背後に加賀が立っていた。
「お嬢さんの彼氏って、3年前の卒業号で一緒に出てたイケメンかい?」
「……はい」
そんなところまで加賀がチェックしているとは思わなかった。
「弟子が燃え上がってるようだからな。師匠としても応援したい」
こちらは赤い顔をして出来あがっている。白ワインをぐびり。
青葉は加賀に自分の思いを伝えていたのか。
「でもまあ、色恋沙汰は理屈じゃないからな。振られてもちゃんと仕事しろよ、青葉」
パシンと青葉の肩を叩いて、ふらりふらりと加賀は去っていった。
(つづく)
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