平成23年3月11日に発生した地震により、福島第一原子力発電所で発生した原子力災害において、福島県及び多くの市民・国民に不安や深刻な被害をもたらしております。皆様の署名とともに、国や市・県に要望書、署名を提出したいと思っております。宜しく御願い致します

佐藤栄佐久 外国特派員協会記者会見

冒頭発言全文







以前、福島県知事をしておりました、佐藤栄佐久と申します。
福島第一原発は、できてから今年でちょうど、40年になるところでした。
そのうち18年、約半分の期間、私は知事として、原発が次々巻き起こした問題に取り組みました。
わたくしは、今度の事件は、起こるべくして起きたものである、決して「想定外」ではなかったと、
そう思っております。

なぜ、防げなかったのかについて、本日は述べようと思います。この先、日本は原子力発電についてどんな政策をもつべきか、それについてもお話します。

簡潔に述べまして、なるべく多くの質問を頂戴します。

それから、今日は原発のことしか話しません。もっと色々、私には話すことがあるのですが、それには、ざっと3時間半かかります。
興味がある方は、ここにわたしの本を持ってきていますから、ぜひ買って帰ってお読みください。

本題に入ります。
なぜ、今度の事故は防げたと思うのか。
理由の1つは、去年、2010年の6月に起きたある事故です。実は、今度とそっくりの事故が福島第一で起きました。

6月17日のことです。
福島第一原発の2号機で、なぜか電源が止まり、原子炉へ水を入れるポンプが止まりました。冷却水が入らなくなって、原子炉の中の水が蒸発し始めました。今度と同じです。放置すると燃料棒が熱で崩れ、最悪の事態につながる恐れが生じたのです。
東京電力の説明によると、このときは非常用ディーゼル発電機が動いたそうです。それで、ポンプを手動でスタートさせ、水を戻すことができたということです。

しかし、電源を失うと何が起きるのか、東電はこのとき、意図しないかたちで予行演習をしたようなものです。
これでもし、非常用ディーゼル発電機までやられたらどうなるかということは、当然心配しておかなくてはいけない事故でした。
電源について、もっと安全を図っておくことは、この事件ひとつを教訓としただけでも、可能でした。それが、理由の第一です。

理由の2は、日本の原発政策は、地震をずっと軽視してきたということです。
詳しくは触れませんが、神戸大学名誉教授の石橋克彦さんなどが、地震研究の進歩を踏まえ、
原発の耐震基準が甘すぎると、たびたび警告しておりました。

今度の地震で、原子炉は自動停止し、当初は建屋もびくともしなかったから、むしろ耐久力が実証されたという人がいます。
しかし、石橋教授が口を酸っぱくして言っていたのは、大きな地震が起きると、同時に色々な損害が起き、それが重なり合うと手に負えなくなる、ということでした。
現に、今回も全電源喪失という事態となり、水素爆発が起きてからは、作業にも支障をきたすということになったのですから、地震に耐えたことなど、慰めにならないわけです

石橋教授は、今から5年前、国が原発の耐震基準を見直そうとしたとき、専門委員としてその作業に関わっていました。
しかし、耐震基準を厳しくするといっても、いまある原発がひっかからない程度にするだけだということがわかったとき、抗議の意味を込めて、委員を辞めています。
地震の怖さ、とくに大きな地震がいろんな損害を生むリスクを軽く見ていたこと。
そして、電源がなくなったときの恐怖は去年の6月、事故を起こしてよくわかっていたこと。
と、これだけみても、福島第一の事故は防げたのだと、こう言えると思います。

非常用電源を、津波でも大丈夫な場所に移し替えておきさえすれば、あんな事故にはならなかったわけです。


さて、それではどうして、国や、電力会社は、原発のリスクに十分備えようとしてこなかったのか。
それは、「安全でないかもしれない」という発想に立った政策には、まるでなっていないからです。
あれだけ危険なものと共存していきたいなら、リスクに最大限備えようとするのが当たり前です。
しかし、リスクがあるとにおわせることすら、タブー視する傾向がありました。

つまり、日本の原子力政策は、次のようなロジックで成り立っているのです。
・原子力発電は、絶対に必要である。
・だから、原子力発電は、絶対に安全だということにしないといけない。

よく、東電という会社には、隠蔽体質があると、みなさん言われます。
それじゃあ東電の経営者を全部入れ替えたら、直るのかということです。

それから、保安院が経産省に入っているのはいけないから、これを出せ、という意見も聞きます。
それをやるだけで直るのか、ということです。
わたしに言わせると、そんなことでは直りません。

福島第一原発、そして第二原発では故障やひび割れがたくさん見つかっていました。

ところが、その点検記録を書き換えて、なかったことにしていたのです。


それがわかったのが、2002年8月でした。


・このとき東電では、当時の社長と会長、担当副社長、それから元社長の相談役2人、合計5人がいっぺんに辞職しています。
・辞めた相談役の1人は、経団連の会長まで務めた財界の超大物でした。
・経営者を入れ替えろ、というのでしたら、一度それにちかいことを東電はしております。

それでも、今度のことが起きたのです。


日本経済に必要な電力を供給するには、絶対に原発が必要である。
燃やしてできるプルトニウムは、貯めすぎると外国から疑われるから、再利用しないといけない。
つまり、必要だから必要なんだという理屈が、延々と続いていくのです。
危ないから注意しろ、というと、私のように、国家にとっての危険人物と見なされてしまうわけです。

これは、怖い理屈です。
国会議員だろうが、だれであろうが、この理屈には立ち向かえません。

そしてこれだけ有無を言わさないロジックが出来上がると、リスクをまともに計量しようとする姿勢すら、踏みつぶされてしまうのです。

しかも、 事実を隠したり、見て見ぬふりをすることが、まるで正義であるかのような、そんな倒錯した価値観までできるのです。すべては、原発推進というお国のためなのですから。

こんな状態ですと、どれだけデータを見せられて安全だといわれても、安心できません。
なぜなら、安心とは、サイエンスではないからです。安心とは、信頼です。違いますか? 原発を動かしている人を、国民が信頼できないと、安心はないからです。

私は、いまある原発を全部止めてしまえという意見では、ありません。
しかし国民が原発に寄せる信頼がずたずたに壊れてしまった以上、いまのままの形で原発を続けていくことはできないと思います。

そこで最後に、この先の原発政策をどうすべきか、私の意見を申し上げて、終わりにします。

原子力安全委員会という、原発の安全政策の基本を決める組織があります。
権限は、紙に書かれたものを見る限り、充実しています。
しかし、実際には、ろくな審議もせず、有名無実です。
まずは、安全委員会を完全な独立組織とし、委員を国民から選ぶ制度にする必要があります。
その際には、わたしは喜んで手を挙げ、委員になろうと思います。

ドイツやフランスは、原発政策を変えるときなど、何年も何年も、議論を尽くします。
あらゆる過程に、市民の声が入る工夫をしています。

そんな悠長なことをしていると、日本経済がダメになる、と、政府や電力会社は言うでしょう。
これが、きょう私が申し上げた「絶対に必要だ、だから原発は安全だ」という原発絶対主義につながるのです。

いまは、ありとあらゆる方法を尽くして、長い長い手間と暇をかけて、データや紙切れのうえの安全性でなく、信頼に裏打ちされた安心をつくらないといけないときなのです。

日本の民主主義が、試されています。立派な仕組みをつくり、これなら安心だと、世界中の人に思ってもらう必要があります。
そうしないと、ここははっきり申し上げておきますが、外国の人もお金も、日本には入ってこなくなります。 原発を生かして、日本経済をつぶすことになります。

それが、津波で命を落とした何千、何万の人たち、家を追われた何十万という人たちの、犠牲に報いる道でしょうか。
原発に関わるすべての人たちは、この問いを、しっかり考えてほしいと思います。

以上で私の発言を終わります。

【以下英訳】
My name is Sato Eisaku, I was previously the governor of Fukushima prefecture.
This year marks the 40th anniversary since the Fukushima Daiichi nuclear power plant was built.
For about half of that time - 18 years - I dealt as governor with all manner of problems arising from the nuclear plant.

I believe that this current disaster was one waiting to happen.
It was not at all beyond expectations. This was no "black swan" event.

Today I would like to explain why such a disaster could not be prevented.
I would also like to say what policies Japan ought to have down the road, as regards nuclear power generation.

I will be brief so as to be able to field as many questions from the floor as possible.

Let me say, however, that today I will only speak about the nuclear plant issue.
There are many other things I would like to share with you, but that would probably take at least 3 hours and a half.
For those of you who are interested, I have brought copies of my book, so you are most welcome to purchase and read later.

Let us get into the heart of the matter. Why do I believe this current disaster could have been averted?
My first reason is based on an accident which occurred last year, June of 2010.
In fact this particular accident is nearly identical to that which has occurred in Fukushima Daiichi this last March.

It was on June 17, 2010 that the incident occurred.
For some reason, the electricity supply failed in the second reactor at Fukushima Daiichi, and the pumps stopped sending water into the reactor.
As the cooling system stopped, the water within the reactor began to evaporate.
As happened this time. There was a risk that, left unattended, the fuel rods would become exposed and collapse from heat,
leading to the worst possible scenario.

According to Tepco, the emergency diesel generators started and operators were able to manually restart the pumps and cooling system.

Less than a year ago, Tepco had experienced a test run, unintended though, of what would happen during an electric blackout. This was a malfunction which should have led them to naturally worry about what could happen if the emergency diesel generators had also failed.

It was possible to learn even from this single experience and plan for a more secure, safer, electricity supply.
This is my first reason to say that this current disaster could have been averted.

The second reason is that Japan's nuclear power policy has for long underestimated the risk posed by earthquakes.

I will not go into detail, but specialists such as Ishibashi Katsuhiko - professor emeritus of Kobe University - have repeatedly warned that the earthquake-resistance standards were far too lax, considering recent advances in seismology.

The nuclear reactors automatically stopped during the earthquake on March 11. The power plant buildings themselves stood intact at least at the outset - leading some to say this is proof that Japanese plants are earthquake-resistant. But professor Ishibashi had warned over and over that when large earthquakes happen, all sorts of things can go wrong. These damages accumulate and snowball into an uncontrollable situation.

As we know, in the current disaster, the nuclear plants lost their supply of electricity altogether. This resulted in hydrogen explosions which made it exceedingly difficult to contain and control the situation. To point out that the plants withstood the initial shock of the earthquake is cold comfort.

Five years ago, Professor Ishibashi acted as a member of a government committee to revise the earthquake-resistance standards of nuclear plants in Japan. He soon learned that, although the government talked of implementing "stricter standards",
they were not to be set so high as to stop the operations of existing plants. He quit the committee in an act of protest.

In other words, those responsible had brushed off the many real risks posed by earthquakes, particularly large ones.
Furthermore, Tepco had been given a chance to learn about the terror which could follow when electricity supply fails in the accident last June.

Just considering these two facts leads me to say that the Fukushima Daiichi disaster could have been prevented. Simply transferring the emergency generators to a place safe from Tsunami's way would have been enough to stop all this.

Why, then, have the government and utilities not adequately prepared against these risks?

Simply put, they had not taken measures on the premise that "things might not be safe".

If one wants to take advantage of such a horrendously dangerous thing as nuclear power, it is only natural to prepare to the fullest for every possible risk.
But even to indicate that there might be risks was made a taboo. Such was the prevailing tendency.

Japan's nuclear energy policy followed from a different set of premises. Their logic was as follows:
Nuclear power generation is absolutely necessary.
So nuclear power generation must be seen as being absolutely safe.

Everybody criticizes Tepco as having covered up many faults.
The question is whether things would improve by replacing all the company's top managers.

There are also others who say that the Nuclear and Industrial Safety Agency should not be under the control of METI
(Ministry of Economy Trade and Industry).
The agency should be made autonomous. But will the situation improve by splitting apart the agency?

In my view, those will improve nothing.

Consider this: many malfunctions and cracks had been found in the Fukushima Daiichi and Daini reactors in the past. But records of these inspections were falsified and made as if they never occurred.
That cover-up was made public in August of 2002.
At the time, Tepco's then president and chairman, vice president in charge, and two former presidents, then advisors - these 5 individuals resigned to take responsibility.

One of these advisors was former chairman of the Keidanren, a giant in Japan's business world. If you say they should replace the management, Tepco has already done something of the sort. And yet today's disaster has occurred.

"Japan absolutely needs nuclear power to supply electricity for its economy.
If Japan stores too much plutonium, generated from burning nuclear fuel, there would be concern from abroad.
Japan must therefore re-cycle its nuclear fuel."
In other words, there is this inflexible mindset of one absolute following another, carried onto its extreme consequences.
Those who say that nuclear power is dangerous, like myself, are then treated as state enemies.

This is a truly terrifying logic, is it not? Whoever it maybe, be it a Diet member or governor, no one has been able to fight such logic thus far.

When an absolute logic which brooks no criticism is created, attempts to reasonably measure and deal with risk are crushed.

Even worse, a delusion emerges where people believe it is something like a cause, a righteous thing to hide facts and pretend as if nothing is wrong. Because promoting nuclear power is for the interest of the nation as a whole.

In such a situation, however much data is provided or how often we are reassured about safety, we will not feel safe.
For the feeling of safety is not a science.
Feeling safe is all about trust - am I not right?
If the public cannot trust those responsible for the power plants, there is no sense of safety.

I am not saying that we must stop all existing power plants.
But now that public trust in nuclear power has been reduced to rubble, it is not possible to continue nuclear energy policy as before.

I would like to end by stating how I believe nuclear power policy should be changed for the future.

There is an organization called the Nuclear Safety Commission which determines the framework of how nuclear power plants operate.
Their powers, as written on paper, are considerable.
But in fact, the committee does little serious work and is essentially an empty shell.
The first step is to make the committee a completely independent organization and committee members directly elected by the public.
In that case I am happy to offer myself as a candidate for the committee.

When nuclear power plant policy is made in Germany and France, years and years of debate takes place. In every stage of the process, there are measures to reflect the public will.

The government and utilities are likely to respond by saying that Japan's economy can't wait for such a slow process.
This is precisely the kind of attitude - "nuclear energy is absolutely necessary and so nuclear plants are absolutely safe" -which leads to this nuclear absolutism which I have pointed out today.

What is needed now is to create a sense of safety based on trust. A sense of safety not based on simply data and sheets of
paper, but built up after a long and thorough process engaging all possible methods with the public.

This is a test for Japanese democracy.
We must make a flawless framework for operating Japan's nuclear power plants, one that the people of the world can feel safe about. If not - and I say this emphatically - foreigners and foreign money will no longer come to Japan. Japan will destroy
its own economy only to save its current nuclear power plants.

I ask: is this the way to show our respect to the thousands who died in the Tsunami, tens and hundreds of thousands who have lost their homes? Those engaged in nuclear power policy should keep this question close to their hearts.

That is all for my statement.

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