ようこそ!これは初学者向けのロジバン講座です.

それじゃあ冠詞(gadri)で少し触れた分配性・集団性についてやっていこう。

ほーい。えっと、一言でいえば「それぞれ」なのか「一丸となって」なのかだったよね。

だったね。そこらへんをもう少し丁寧に見ていこう。



まず、そもそも分配性・集団性なんて話が出てくるのか。なぜでしょう?

小難しい話好きがロジバニストに多いから?

ちがいます。分配性・集団性は項が複数の対象を指し示すことがあるから生じてくるんだよ。

そりゃそうだよね。「机たち」「犬たち」「学生たち」「私とあなた」…みたいに2つ以上のものが絡まないと「それぞれ」も「一緒」も無いもんね。

そゆこと。こういう、「複数のものたち」のことを個たち(individuals)と呼ぶよ。ロジバンの項は基本的に個たちを表していると思っていいね。

個たちって要は「複数」のことだよね。

うん。ちなみに特に、「1個の個たち」のことを個(individual)と言うよ。無論、個は個たちの特別な状態であって、独立したものではないよ。

基本、複数(個たち)。ってことで…!



さて、少しカッコよく言い直すと、分配性・集団性ってのは個たちにまつわる話なわけです。ちょっと例を出してみようか。
  • 人が集まって料理して食べた。

これは、複数の文からなってるね。少し崩すと…
  • 人が
    • 集まって
    • 料理して
    • 食べた

そうだね。で、「集まる」ってのは複数人いないとできないから、この「人」ってのは2人以上を指してるよね?

ご名答。「x1は集まる」のx1というのは個たちのそれぞれが満たせるような場所ではないね。だから、「集まる」のx1は非分配的という。

非分配的 :: 個たちのそれぞれでは述語を満たせないこと。

もちろん、「集まる」のx1は個たちが集団として満たすことのできる場所だから、集団的でもあるね。

集団的 :: 個たちが複数のものの集団として述語を満たせること。

ん、ちょっとまって。分配性と集団性って独立したものなの? つまり、非分配的=集団的、じゃないの?

それが違うんだな。まあでもその直観は間違ってはないよ。基本的に、非分配的なら集団的なことがほとんどだからね。

なるほどね。分配的と非集団的は、さっきの否定バージョンだよね?

分配的 :: 個たちのそれぞれでも述語を満たせること。

非集団的 :: 個たちが複数のものの集団として述語を満たせないこと。

ま、そういうことになるね。分配性と集団性は独立したものだから、全部で3つの場合が考えられるよね(非集団的かつ非分配的は除く)。
  • 分配的かつ集団的
  • 分配的だが非集団的
  • 集団的だが非分配的

さっきの例に戻ると、「料理する」ってのは分配的でも集団的でもありえるよね。それぞれが具材を切って、みんなで鍋をかき混ぜる、とか。

そだね。「食べる」はどうなの?これって個人的な活動じゃん?でも「ぼっち飯」があるってことは「集団飯」があるってことだよね。

分配性・集団性というのは述語の意味に大きく左右されるから、どんな意味合いで使うかによって分配性集団性の許容範囲も変わってくるよ。たとえば、「食べる」という述語が、「食べ物を口から入れて咀嚼し喉を通して胃へ送る」という行為を表すとすれば、これは集団的には満たせないだろうけど、「体外にある食べ物を体内へ片付ける」という行為を表すとすれば、目の前にある料理を皆が食べて減らしていくことを、「集団的に食べる」と言えそうでしょ。

あー確かに。「走る」も「自分の手と足を周期的に運動させる」くらいの意味ととらえると、分配的かつ非集団的だね。で、「道を比較的速いスピードで移動する」くらいの意味でとらえたら、「マラソン」とか、集団的でもあるし分配的でもありそうだ。

考えてみるとわかるように、どれが集団的でどれが分配的でそうでないかっていうのはすぐには分からないこともよくあるんだよね。

たしかに…。こんなんいちいち考えてたら頭パンクするよ。

実際、日本語だと「人たち」みたいに分配性・集団性について明示しない形で言えるもんね。実は、ロジバンにもそのやり方はあるんです。

分配性・集団性について何も言わなくていい形?素晴らしい!どんなの?

まあもう学んでるんだけど、冠詞(gadri)の基本系(lo,le,la)だよ。これらは、分配性・集団性について何ら規定しないから、日本語と同じ感覚で使えるね。

よかった。助かった。



まあでも、明示したいときもあるよね。んーっとね、たとえば、
  • 私とあなたは90kgだ。

とかどう?「私とあなたの体重の合計が90kg」なのか「私とあなたそれぞれの体重が90kg」なのか。あ、明示したくなってきた…。

よし、じゃあ明示するやり方を学ぼう。やり方は2つ。ひとつは塊(mass,集団的個たち)の冠詞を使う方法。もうひとつはLAhEを使う方法。

塊の冠詞はもうやったよね。そうか、loi/lei/laiを使えば、集団的な個たちを表せるのか!…あれ、塊の分配性は?

今のところ、塊の分配性は不定ってことになってる。でも、ほとんどすべての用例が非分配的な使い方だから、基本「集団的・非分配的な個たちを表す」と思っていいよ。

厳密には「少なくとも集団的」ってことなのね。まあどっちでもいいやっ。それより、LAhEが気になる。それ何?

LAhEは限定詞とも言われるんだけど、項の直前にくっついて、新しい意味合いの項をつくる語のことです。

冠詞のすごい版、みたいな。

…うーん、似て非なるものかな…。また今度章を改めてやるけど、{lu'a}{lu'o}が今回とっても大事。
lu'aその項が分配的・非集団的であることを示す。また、塊や集合からその要素を抽出することもできる。
lu'oその項が非分配的・集団的であることを示す。

{lu'o}は大体{loi}と似た感じだよね。{lu'o lo broda} = {loi broda} かな?

大体そんな感じ。{lu'a}は基本系と対になっていないから注意ね。分配的・非集団的を明示するには{lu'a}を使おう。



そういえば、「私とあなた」ってどういうの?

ああ、えっと、2つの項それぞれが表す個たちを1つにまとめた集まりの作り方ってことでいいかな?

…多分っ。

まあ要は接続詞だよね。「と」"and"みたいなさ。接続詞の中でも今回やるのは非論理接続詞。基本的に項と項を繋いで、2つの項を合わせたような項をつくる。*1

ふむふむ。どんなのよ?

{jo'u}と{joi}。とは言っても、{joi}は{jo'u}のloi版みたいに考えてて。
jo'u2つの項を繋いで、それらをまとめた個たちを作る。集団性・分配性については不定。
joi2つの項を繋いで、それらをまとめた個たちを作る。集団的かつ非分配的な個たちになる。

{A joi B} ≒ {lu'o A jo'u B}みたいな。

みたいな感じです。ちなみに、{A joi B}は{lo gunma be A jo'u B}と言い換えられるよ。「AとBからなる塊」。

jo'uはこう透明だね。汚されてない感じがする。

あ、そうそう。非論理接続詞は原理的にはどんな語同士もつなぐことができる。述なれ語と述なれ語とか、文と文とか。で、何をつないでいるのかは、接続詞の直前の語によって判定されるんだ。

ってことは、{lo nanmu jo'u lo ninmu}は{nanmu}を認識して…あ、述なれ語の接続詞とみなされるのか。

そ。だからその句は構文エラーになるね。{lo nanmu ku jo'u lo ninmu [ku]}ときちんと終止詞を打つことに注意してね。

ほーい。あ、そういえば「私とあなた」って{mi jo'u do}でいいけど、代詞で{mi'o}ってやったの今さら思い出したや。



ふーむ。なかなか濃い一章だった。

だね。…あー、一応、集合用のLAhEと非論理接続詞もここで説明しとこうかな。対称性のために。まとめがてら、まとめて載せるね。
lu'aその項が分配的・非集団的であることを示す。また、塊や集合からその要素を抽出することもできる。
lu'oその項が非分配的・集団的であることを示す。その項から塊を作る。
lu'iその項を要素とする集合をつくる。
jo'u2つの項を繋いで、それらをまとめた個たちを作る。集団性・分配性については不定。
joi2つの項を繋いで、それらをまとめた個たちを作る。集団的かつ非分配的な個たちになる。
ce2つの項を繋いで、それらをまとめた集合を作る。

ま、さもありなんって感じ。

ですよね。

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