当wikiはアニメ、覇穹封神演義を検証するwikiです。

◆脚本:高橋ナツコ ◆絵コンテ:小川治人 ◆演出:山口頼房 ◆作画監督:塚越修平・山中いづみ・井本美穂・江森真理子

バリアを解除するため、金鰲島に潜入した楊戩。
十天君の一人、張天君の空間宝貝「紅砂陣」に手こずりながらも、
禍々しいオーラと共に”ある変化”をし始めるーー。
一方、崑崙山内で、楊戩によるバリア解除を信じて待つ太公望たち。
しかし、金鰲島の『通天砲』発射時刻まで4分を切り、崑崙山側には焦りが見え始めていた。バリア解除と共に崑崙山ごと通天砲にぶつける作戦は、果たして間に合うのか!?
(アニメ公式サイトから引用)


そもそも「十絶陣の戦い」という題名で良いのか?


サブタイトルをつけるなら、その話の内容を端的に示す表現を、その話を見れば分かるような言葉を使ってつけるべきである。

今回楊戩と戦った張天君の宝貝の名前は紅砂陣であり、「十絶陣」とは金鰲十天君が使う「空間宝貝」の総称。張天君のセリフにある通り「空間自体が私の宝貝」というもので、彼ら金鰲十天君は鞭や刀のような武器ではなく独自の亜空間を宝貝として操る。十天君は名前の通り十名いるので、彼らの空間宝貝の総称も十絶陣となるわけである。
いつものように説明不足なこのアニメでは今回の八話本編中に「十絶陣」という設定用語が登場することは無く、原作でもこの語が漫画の中に現れるのは、覇穹なら次回九話に予定されている化血陣の回になる。

また、今回のサブタイトル「十絶陣の戦い」は原作からの借用だが、この言葉は原作14巻からの章題と言うべき使われ方をしている。
例えば、上述した次回九話で描かれるであろう場面の原作での副題は「十絶陣の戦い・『化血陣』・神経衰弱」であり、次に王天君と戦う場面なら「十絶陣の戦い・『紅水陣』・血の雨」という具合に、それぞれ対戦する相手の陣の名前が小題として後に続く。
先鋒となった紅砂陣の回については、話の焦点がバリア解除を巡る仙界大戦の前哨戦と楊戩の正体の暴露になっているため、この「十絶陣の戦い」という章題がついていない(「第112回 仙界大戦四ー天才道士ー」など)。

今回楊戩が破った張天君の紅砂陣も十絶陣のひとつではあるので「誤りではない」が、あくまで十個のうちの紅砂陣しか登場しない内容にも関わらず、総称や中題めいた語を1話分の副題として使ってしまうのは如何なものか。それでも使うなら一般的でない創作設定の用語なのだから本編を視れば意味が分かるようにすべきである。
仮に「十絶陣の戦い」の題名通り、これまでこのアニメが見せてきた冒頭ネタバレを十天君複数名あるいは全員について行ってしまうような内容だったならまだ理解できるのだが。

妲己の過去

この身体も相当ガタがきてるわ

妲己の過去からさらに回想シーンを重ねた二重回想。
この二重回想を極めた結果、意味のわからない回想と場面転換の嵐の二十話ができてしまった。

原作

唐突に出演する王貴人


第八話冒頭の回想で突如出てきた王貴人。原作では1巻の4話で登場するキャラクターである。

原作での王貴人の登場シーンでは、申公豹に「フフフ…お久しぶりですね、妲己の妹君…王貴人」と人物紹介のセリフを言わせている。原作では申公豹のこの一言で妲己の妹の王貴人と言うキャラクターである事が最初にはっきりと示されている。

しかし、アニメでは原作の王貴人戦を全てカットした影響で彼女がまともに話している姿を見せるのは今回が初めてとなっている。なのでアニメ視聴者には彼女が王貴人と言う名前で、妲己の妹だという事もわからない状態なのだが、例によってどのような人物なのかを補足説明するような描写も一切入れていないので、会話の中から彼女が何者なのかを推測しなければならない。

アニメで彼女が妲己の妹の王貴人である事を判断できるセリフとしては

1.聞仲との回想シーンで喜媚と貴人が倒されているシーンでの「喜媚、貴人…」という妲己のセリフ。

この時点で彼女が喜媚か貴人のどちらかである事は推測できる。ちなみに、喜媚は第四話のハンバーグ作成時に自分の名前を言っているので、この時点で貴人だと言う事も推測できなくはない。

しかし喜媚も貴人と同様に登場時の人物紹介もされず、これまでほとんど活躍もしていないために、この時点で初見の視聴者が喜媚の名前をどれだけ覚えているのかは謎である。

2.貴人が「では姉さま、身体を取り換えればいいわ」と妲己に向かって言ったセリフ。

この時点で貴人が妲己の妹だと言う事が推測できる。

3.妲己の「簡単に言うけどねん、貴人…(以下略)」というセリフ。

この時点で彼女が妲己の妹で貴人という名前だという事が推測できる。


このように王貴人の名前や、彼女が妲己の妹であることを紹介されないまま話が進んでいくので、複数のセリフの中から記憶を辿りながら彼女の人物像を推測しなければならないため、ただでさえ継ぎ接ぎで分かりにくいストーリーが余計に分かりづらくなってしまっている。

なお本wiki六話の項目でも説明している通り、覇穹の物語が焦点を当てる仙界大戦編では妲己は基本的に姿をくらましているので、妲己のそばにいる王貴人も仙界大戦編中はほとんど出番が無い。今回冒頭で見られたような過去場面の挿入などがない限りは、いまさら登場させても今後に画面に映る時間は5分間もないのではなかろうか。

他にもこのアニメでは胡喜媚、周公旦、雲霄三姉妹など、登場時の人物説明をカットされたキャラクターが複数存在し、いずれも補足説明もされずに唐突に出てきているので、ストーリーが分かりづらくなっている。

妲己姉妹の会話の流れが分かりにくい


冒頭の回想シーンにて妲己が
この身体も相当ガタがきてるわ
と言い、身体を取り換える必要性を示す場面が出てくる。

しかし、その直後に聞仲と戦った回想が入り、その回想明けに
妾並みの頭脳を持っていてその上忠実な手足となって動いてくれる駒がいれば良いのだけれど
という覇穹オリジナルの妲己の独白が入る。

その後、妲己の妹である王貴人が
では姉さま、身体を取り換えればいいわ
と言うが、この王貴人のセリフは冒頭の妲己のセリフに対する提案である。

つまり、妲己の
この身体も相当ガタがきてるわ
に対しての
では姉さま、身体を取り換えればいいわ
なのである。

アニメスタッフとしては妲己が王貴人に直接話しかけているのは冒頭のセリフだけなので、その間に回想や妲己の心の声を入れようが会話の流れには矛盾は無いという事なのだろう。しかし「身体が老朽化している」という話の後に「自分の手駒が欲しい」という全く別の思考を入れてしまうとそこで会話の流れが途切れてしまい、その後何の説明も無しに最初の身体の老朽化の話に戻されると視聴者の感覚としては話が飛んでいる印象を受けてしまうのは当然だろう。

以前から原作の時系列をめちゃくちゃに継ぎ接ぎして視聴者を混乱させてきたが、今回もセリフの継ぎ接ぎにより会話の流れをブツ切りにしたことで視聴者の混乱を招いてしまっている。また前述の通り、聞仲との回想シーンを入れて二重回想にしてしまっていることも会話の流れが途切れて分かりにくくなった要因となっている。

謎の雄叫び「おーん!」


半妖態へと変貌を遂げた楊戩は、張天君が操る砂の巨人の群れを聞き慣れない気合と共に三尖刀で一網打尽にして粉砕する。

この原作の表記で「瘟!!!」は前回七話でも聞けたとおり、人間の姿の楊戩が宝貝で戦う際の気合は「疾!(ちっ)」という太公望らと同じものだったが、半妖態になったことでこの妖怪仙人流のものに変わった。

原作ではこの時点までに瘟!の掛け声と共に攻撃を仕掛けてくる妖怪仙人の魔家四将や趙公明の召使たちとの戦いを踏まえて、気合の違いで人間か妖怪を判断できるよう見せられてきたからこそ、この叫びの変化が楊戩は妖怪であるという印になり、読者は張天君と同時に驚愕することができたのである。
ところが覇穹ではこの八話までに瘟!と叫ぶ者が一名も現れず、それどころかこの半妖態楊戩が発する場面が初めての使用となったので、差が全く描かれておらず、驚きも何もあったものではない。


余談だが

楊戩、お主は出会った時から一度たりとも変わらず信頼できる友だ


金鰲島のバリアが張られている状態にも関わらず、楊戩がバリアを解除することを信じて崑崙山を前進させている時に太公望が言ったアニメオリジナルのセリフ。

原作での楊戩は仙界大戦突入までに四聖&聞仲戦、魔家四将戦、趙公明戦などの様々な戦いの中で、太公望と長い間の共闘を経て強い信頼関係を築いてきた。

しかしアニメでは第三話で楊戩が太公望の仲間になるかをテストした以降は第五話の王魔、聞仲戦でしか共に闘っておらず、実戦経験で言えば太公望と楊戩が共に闘うのは仙界大戦が2回目である。

この状態で、さも長い時間をかけて互いの信頼関係を深めてきたようなセリフだけを追加しても、そもそも楊戩と出会ってから今までに1回しか共闘していないので、どうしても違和感が出てしまう。

案の定、このセリフを言うシーンでの楊戩との回想も第三話と第五話の場面しか使われておらず視聴者には共感を得にくいセリフになってしまった。

なぜか正体を伏せられる太上老君




通天教主は元始天尊との会見中「妲己を単独で止められるだろう実力者」として申公豹と太上老君の名を挙げるのだが、なぜか画面の二人は共に上の画像のようにシルエットである。
左の影の申公豹がこれまで何度も登場しているのは勿論、右の太上老君でさえもアニメ第一話で登場済みなのだが、何故いまさら隠すのか?


第一話前半、元始天尊が太公望に封神計画を説明する場面でもう画面に現れる太上老君(中央)


直後にズームして顔まで見せる

太上老君がこれまでの本編ストーリーに関係してこないのは、原作での彼の登場が覇穹アニメで主題となっている仙界大戦編の後(原作18巻)だからである。
その「老君」という名に反した非常に若々しい姿も初登場時に読者へ衝撃を与える要素だったが、原作19巻の、重大なストーリーのネタバレが行われる場面のコマをそのまま上記アニメ画像の絵コンテ元として第一話に使ってしまったので衝撃も台無しである。一応、第一話時点では中央のキャラクターの名が太上老君だと正式に紹介されているわけではないものの、本当に隠す気があるなら最初から映さなければ良いに決まっている。これがスタッフ間の連携ミスでなかったとしたら、何が目的で先に見せて後から隠したのだろうか

覇穹では太上老君が本筋に登場するところまで物語を進行させない様子なので、扱いが適当なのかもしれないが。

直されなかった2つの原作ミス


  • 1,「幼体の頃に」崑崙山に預けられた楊戩?



上の画像が金鰲島の通天教主に連れられて王奕とトレードされた幼い頃の楊戩だが、この後の楊戩の回想では下の画像の通り「幼体の頃に崑崙山に預けられた」と言っている。



2つの画像を比べると、1枚目の崑崙に預けられた当時の楊戩は自立して歩ける程度に成長していたのに対して、2枚目は赤ん坊も同然の幼体に戻ってしまっている。崑崙での養父となった玉鼎真人も映る2枚目の描写の方が時系列的に後でないとおかしいのだが、これは幼かったが故の楊戩本人の記憶違いのせいなのか、そうでないなら実父に見捨てられたショックで肉体ごと幼児退行を起こしたのか。さすが妖怪。

実はこのシーンはおそらく原作者のミスだと思われ、漫画版発表時の1999年以来、熱心なファンの間ではツッコミの対象となっていた場面のひとつである。
原作では画像1枚目は15巻の132話、2枚目は13巻の114話の場面。幸いなことにこれらはやや間が空いているので一見して分かるミスではなかった。しかし、アニメでは1話の中にこの2つのシーンを登場させているので、より間違いが目立つようになってしまった。

  • 2,「妲己」は200年前から妲己だったのか?

不可侵条約を提案するため、通天教主は「妲己」によって200年前の仙人界が置かれた状況について意見を述べるが、その際のセリフを抜き出してみると、
妲己の力が急速に強大化している。」 「三日前、妲己はその誘惑能力で(略」 「妲己は不気味なほど日増しに強くなっている。」

となっている。
だが今回八話の冒頭で描かれるように、妲己の正体は狐の妖怪であり、妲己という名も実は冀州候の娘・蘇妲己の肉体を仙術によって十数年前に乗っ取ったからそう呼ばれているだけに過ぎず、よって「妲己」は妖怪本体の真の名前ではないことが明かされたばかりだ。
では不可侵条約の話し合いをしている200年前の時点でも通天教主から「妲己」と呼ばれているのはどういうことなのか?

これも覇穹だけのミスではなく原作発表時からツッコまれていた点。通天教主と元始天尊の会話も原作通りのセリフである。
原作でも最後までこの狐妖怪の真の名は明かされなかったものの、今回冒頭にて聞仲が「妲己」を殷から追い出した60年前の場面で彼が「女狐め!!」と呼んでいたように、通天教主からの呼び方についても誤魔化しようはあるはずだった。
だが覇穹でも通天教主の台詞は直ることなく使われてしまい、しかも上記の幼体楊戩の矛盾と同様に正解と不正解を同じ話に詰め込んでしまったおかげで余計に粗が目立っている。

従ってこれらの不整合はアニメスタッフだけの責任とは言えないのだが、アニメ化時に手直しされるだろうという期待を、自分でカットしたシーンの整合性すら取れないようなアニメの制作陣に求めるのは酷だったようだ。
漫画版へのファンの評価を入念に下調べしていれば気づけた可能性もあったのだが、覇穹封神演義の広告が謳う「原作を愛するスタッフが結集」が口先だけの宣伝文句だったことなどは既にこれまでの出来を見てきた者なら百も承知であろう。

下から2行目「原作を愛するスタッフが結集して贈る最新アニメーション。」

妲己が王天君を従えたのはいつなのか?


楊戩と王奕の人質交換によって崑崙と金鰲の間に不可侵条約が結ばれたのは、回想シーンに入る際の王天君のセリフによれば、「約200年前」である。
そこから王奕は成長するまで”安全”のため檻の中に幽閉され、その間に精神を病んでしまい、妲己に付け込まれることになった…

だが前述の通り、今回八話冒頭の妲己は、仙界大戦が起きている劇中の現在から数えて十数年前時点の回想の中で、
妾並みの頭脳を持っていてその上忠実な手足となって動いてくれる駒がいれば良いのだけれど
覇穹オリジナルのモノローグで内心を語っている。つまり「十数年前」の時点では求めるような「駒」を手に入れていなかった、ということになる。これが矛盾でないなら、王天君は駒として失格だったのか?
上記の独白が無い原作では無論こんな不整合は起きていない。

これを解消するため、例えば『200年前から牢屋の中でずっと未熟なままだった王奕が直近の十数年間で一気に急成長し、十天君に名を連ねるほどの実力をもつ仙人になった』と仮定したとする。
だがそれでは覇穹六話の、王天君となった彼が聞仲と明らかに初対面では無いやりとりをし、通天教主の異状を聞仲に説明する際にも、
お前が人間界に降りてから約20年、その間に段々こうなっちまったのさ。
と語らせた事実と相反する。
最低でも20年ほど前の時点で、王奕は聞仲に面と向かって「お前」と呼び捨てできる格付けの仙人・王天君へと成長していなければならないので、「十数年前」の時点で駒不足に悩む妲己のモノローグはやはりおかしい。

原作にはない妲己の裏工作

王奕が牢に幽閉された際、妲己が王奕を陥れるため妖怪たちを操って暴言をぶつけてるような描写があるが、これはアニメオリジナルの描写であり、原作には存在しない。原作では妖怪たちが牢の外から見ているという描写だけである。

そもそも太公望も言っている通り、妲己は自分が直接動くタイプではない。さらに、誘惑の術は相手を自分の虜にこそすれど言動を完璧に操るという代物ではないので、今回のような描写は無理がある。
「複数名の精神を自由に操り、自分の言いたいことを代わりに言わせる」など、もはや「誘惑」の範疇を超えている。

3分40秒が長すぎる

通天砲発射予測時間まで03:42」と表示された崑崙山の操縦席ディスプレイが画面上に現れるのが本編の6分27秒時点。そして後半が終了する21分30秒時点まで、楊戩は逡巡しバリア解除スイッチを押すかどうかは次回へのヒキとして使われ、そのまま八話が終わってしまう。時間経過の不自然さはアニメに限らず映像作品全般によく見られることとはいえ、いくら何でも長過ぎる。

特にこの場面が問題になる理由は、原作では「楊戩が王天君と会話した後にスイッチを押した」後で、時間を巻き戻して崑崙山側に視点を移し、そこで前述した約3分という具体的な残り時間を初めて写している点。つまり原作では彼らの全く急ぐ様子の無い会話を聞いている間も、読者は細かい残り時間などに気を散らされることは無い。ただ漠然と「時間に余裕が無いらしい」という情報しか与えられていないからである。
対して覇穹では、わざわざ残り時間が明確になる崑崙山側の場面を先に映したのち、なおも原作15巻の、楊戩と王天君が再度相まみえる場面の会話シーンまで前倒しで挿入し、本来よりも更に長く時間をかける構成にしてしまっている。

原作通りの場面転換で進行すれば画面に集中できて良いものを、なぜ今回の脚本担当の高橋ナツコは余計なことをして改悪したのだろうか。「どうせたかがアニメなんだから時間経過なんてテキトーで良い」という態度で書いているとしたら大したナメっぷりである。

”別人のような”王天君が登場




さっきまで金鰲島内のバリア解除スイッチ室で楊戩と話していた王天君だったが、八話終了直前のCパートでは何故か独りリッチな部屋で豪華なソファに腰掛け、意味深な呟きをする。
服装もこれまでとは若干異なっており、いかにも今後の展開への伏線となりそうなシーンである。

だがこの伏線がちゃんと回収されるかどうかは未知数

このページへのコメント

↓ 「約20年」の件について追記しときました

Posted by 名無し(ID:bvCQxaiFgQ) 2018年03月15日(木) 22:00:26

通天教主は「聞仲が人間界に降りてから20年……その間にだんだんこうなっちまったのさあ……」だっけ?
王天君と聞仲はどう見ても初対面のやり取りじゃないし、上のセリフは20年以上前から十天君の座にいないと不自然だわな

Posted by 名無し(ID:oYa5CmH/iQ) 2018年03月15日(木) 07:30:38

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

どなたでも編集できます