覇穹封神演義検証wiki - 十二話 ニューロマンティック
◆脚本:池田臨太郎 ◆絵コンテ:葛谷真行 ◆演出:松永真彦 ◆作画監督:渡邉慶子



チーム分けをして金鰲島内に潜入した太公望たち。太公望は昔からの友人である普賢真人とチームを組んで、聞仲がいる金鰲島の核を探すことに。
しかし、一行は氷を操る空間宝貝・寒氷陣の中に引きこまれてしまう。そこで待ち受けていたのは十天君・袁天君。戦いを挑もうとする袁天君に、普賢は和解を求めて説得を続けるが……。
そんな中、聞仲は侵入した崑崙山の仙人たちの対処を十天君に任せ、金鰲島のレーダーで何かの位置を探っていた。(アニメ公式サイトから引用)



普賢と桃泥棒する思い出


太公望と普賢真人の思い出シーンを増量して友情関係をより印象づけたかったのか、仙界大戦後となる原作18巻にて、桃源郷でスープーの制止を振り切って太公望が桃泥棒を犯す場面が改変され、普賢と泥棒する話となって放送された。
だが、「金が無いし空腹に耐えかねたので」「普賢と」「盗んだ」という展開には若干の無理がある。
  1. なぜ仙人道士が空腹に苦しまねばならないのか?
    1. このシーンで一体太公望たちがどういう状況で、どこで餓死の危機を迎えていたかまでは明言されていないので定かではないが「カネが無い」と言う台詞から恐らく仙人界ではない場所、人間界だろう。カネに支配されない仙人界では食料を得るのにカネは要らない。だが本作の世界では仙人道士は普通ではない、人智を超えた存在として広く畏敬されており、太公望も普賢真人もその一名なのである。故に人間から見れば「仙人さま」「道士さま」であり、食べ物や薬をお供え物として献上する者もいる(原作1巻、第2回)。まだ封神計画が始まって食料の価値が増す戦争状態になる前の時代の話なのだから、労働か窃盗かの二択ではなく、仙人界に帰るか、それとも仙道らしく恵んでもらおうとは考えなかったのだろうか?
  2. この思い出話が起きたのはいつのことか?
    1. この場面の普賢は彼のトレードマークと呼べる宝貝・太極符印を既に手に持っている。まだ二人が修行中で精神的に未熟だったがゆえの過ちならまだしも、「太公望とは仙人界入りの同期生同士」という設定の普賢が宝貝を授かるほど修行と徳を積んで一人前になった後の出来事ならば、尚更窃盗を敢行しようとする太公望に「それなら仕方ないよね」と早々に諦めて共犯者になったのはいささか考えなしであろう。それとも昔から「争いはよくない」主義であると同時に「腹が減っていれば犯罪は認める」主義なのか?
  3. 「タダ働きさせられたんだよね」?
    1. 浮世離れした性格の普賢真人は金銭感覚も独特のものがあり、覇穹でもしばらく後に登場するであろう新キャラ・韋護が太公望の依頼に報酬を要求しようとすると「無償って素晴らしい事だと思わない?」と言って横から説き伏せようとするのが普賢真人というキャラクターである。そんな彼に、桃泥棒の罰についていかにも無報酬だった点に不満を込めたかのような口ぶりで「あの後、二人でさんざんタダ働きさせられたよね。」と言わせるのは、ややキャラクター解釈にズレがなかろうか。
      1. 仮に、今後に覇穹でも韋護が登場した際に同じ台詞を普賢が言って説得しようとすれば、それはそれで覇穹の普賢は「仕事には対価が伴って当然だと理解しているが、いざ自分たちが払う立場になると、いかにも善人ぶった発言で演技して相手を丸め込もうとする」という言動の腹黒い仙人になってしまう。→なりました(14話「寄生」参照)。

これらに比べれば、せっかく夜闇に隠れてるのだから頭の上の蛍光灯は消しておけ、というツッコミなど大した意味を成さない。

原作では


いずれも根拠となるシーンはあくまで原作漫画だけにしか現状は無いため「覇穹の世界では異なるから問題無い」という弁護も(蝉玉の件を顧みればあくまで「今のところは」)通用する点ではある。
今回の12話全体を通じてはその無難さから概ね好評な展開の回ではあったので、この程度の歪みなら一応目を瞑ることもできようか。

息子に弱音を吐く黄飛虎

だが、俺は長年仕えた殷を捨てて、周に来た人間。こんな俺が、かつての友である聞仲と戦えるのか? 俺には、斬れねえかも知んねえ。
原作10巻、殷の王太子・殷郊を倒した後、太公望(とスープー)だけに、殷と敵対することの重さについて悩みを打ち明ける黄飛虎のシーンの台詞を、紂王に言及する部分を抜いて上記のように改変し、息子の黄天化との会話台詞を付け替えた。

覇穹では殷郊との一編をカットしたので、彼が心に迷いを抱いているという設定を来るべき聞仲との対決に備えて回収した格好だが、台詞の編集要点はともかく言う相手がちょっと問題である。天化にとって飛虎は「強くて頼れる、尊敬するオヤジ」なのだから、天化初登場の4話でも描かれていたように、偉大な父を超えることを目標にして戦っているはずの息子にこんな苦悩を見せるのは少々らしくないのではないか。
天化もこんなことを聞かされては困ってしまうだろうし、それが想像できない飛虎ではないはず。前回でも「親に向かってバカとはなんだ!」と叱ったり、天化の傷を心配するなどして、息子の前ではちゃんと父であろうとし続けているのだから。

あくまでこの殷周革命の発端となる事件から信頼を築き、親子関係などではない対等な立場で助け合ってお互いを認める存在となった太公望相手だからこそ、武成王・黄飛虎のお悩み相談が成立するのである。

見たことのある回想


60年前の、妲己を四聖と聞仲が追い払った回想が入るが、ちょっと前の八話でも同じシーンが流れる。
覇穹全体を通じてならこれでもう三回目である。仙界大戦編では妲己の出番が無いから少しでも登場回数を稼ごうとした結果かもしれないとはいえ、ちょっと多いのではないか?

雑コラ袁天君

万人から褒められる点が非常に少ない覇穹封神演義だが、CGを駆使した背景作画の美しさには定評がある

だが今回の、写真を取り込んだと思しき枯れた花畑を背景に、ポエムを口ずさむアニメ絵調そのままの袁天君が組み合わさるとやや馴染みが悪く、袁天君の部分が雑コラじみた浮き上がり方をしており微妙な完成度である。惜しい。

一人だけ逃げる普賢


袁天君の攻撃から一人だけ無言でフワリと浮き上がり逃げる普賢。そして反応が遅れた太公望たちは攻撃に巻き込まれるが、普賢は太公望たちから別段咎められることもなく戻ってくる。
近くに太公望たちがいるのに躱してとも避けてとも言わず、無言で立ち退いて一切助けない様子は何ともシュールな光景であり、かつ今回の全編を通じてほとんど叫んだり喚いたりし続けている太公望がこの行動にだけはツッコミを入れないのもやや不自然。

何も動いていないはずの人間界


Cパート、どことも知れない暗闇の中を妲己がひとり進み、グレイ型宇宙人のような謎の像の前に立って呟く。
人間界は分かれ道に差し掛かっておりますわ。

はて、このアニメで人間界が最後に映ったのはいつのことだ?
宣伝当初から「仙界大戦編を中心に描く!」というコンセプトを打ち出していた覇穹封神演義では、仙人界のキャラクターたちが主役で、その引き換えに人間界の動向の描写が薄ーく軽ーくなってしまっているのはここまで視聴してきた者なら承知の通り。
この12話までの間、最後に人間界の様子が描かれたのは、姫昌が亡くなって息子の姫発が後継者となった6話であり、その後の7話で舞台が金鰲島と崑崙山に移って以降、今回の話が終了しても人間界については全く音沙汰が無い。
あくまで全体が分かれ道に差し掛かっているほどの動きが起きているのは仙人界だけであり、人間界については何があったかまるで表現されていないのに、妲己は何を言っているのか?

原作では

哀しみ天君



2018年4月14日(13話放映後)に撮影

4話の道徳真「」に引き続き、またも制作側で誤字。
番組公式サイトの「Staff & Cast」一覧に追加された天君の「袁」の字が哀愁の「哀」と間違えられている。12話のアニメ本編エンディングクレジットでは正しい表記だったのだが。
そして12話はおろか翌週の13話放映後も翌々週の14話放映後も、敵味方に何名も新キャラが現れて表が更新されたが、依然直ってない。可哀相に。


2018年5月3日(14.5話放映後)に撮影

原作には少年漫画らしく読み仮名がついているので小学生読者でも読み間違いはしないだろうし、今回のアニメ12話では台詞として発音もされているで普通なら「えん」と「あい」を誤るはずがない。
ちゃんと原作を読解する気があるならこんなパターンの間違いは犯しようが無いはずだが、実に覇穹である。