太公望と普賢真人の思い出シーンを増量して友情関係をより印象づけたかったのか、仙界大戦後となる原作18巻にて、桃源郷でスープーの制止を振り切って太公望が桃泥棒を犯す場面が改変され、普賢と泥棒する話となって放送された。
だが、「金が無いし空腹に耐えかねたので」「普賢と」「盗んだ」という展開には若干の無理がある。
- なぜ仙人道士が空腹に苦しまねばならないのか?
- このシーンで一体太公望たちがどういう状況で、どこで餓死の危機を迎えていたかまでは明言されていないので定かではないが「カネが無い」と言う台詞から恐らく仙人界ではない場所、人間界だろう。カネに支配されない仙人界では食料を得るのにカネは要らない。だが本作の世界では仙人道士は普通ではない、人智を超えた存在として広く畏敬されており、太公望も普賢真人もその一名なのである。故に人間から見れば「仙人さま」「道士さま」であり、食べ物や薬をお供え物として献上する者もいる(原作1巻、第2回)。まだ封神計画が始まって食料の価値が増す戦争状態になる前の時代の話なのだから、労働か窃盗かの二択ではなく、仙人界に帰るか、それとも仙道らしく恵んでもらおうとは考えなかったのだろうか?
- この思い出話が起きたのはいつのことか?
- この場面の普賢は彼のトレードマークと呼べる宝貝・太極符印を既に手に持っている。まだ二人が修行中で精神的に未熟だったがゆえの過ちならまだしも、「太公望とは仙人界入りの同期生同士」という設定の普賢が宝貝を授かるほど修行と徳を積んで一人前になった後の出来事ならば、尚更窃盗を敢行しようとする太公望に「それなら仕方ないよね」と早々に諦めて共犯者になったのはいささか考えなしであろう。それとも昔から「争いはよくない」主義であると同時に「腹が減っていれば犯罪は認める」主義なのか?
- 「タダ働きさせられたんだよね」?
- 浮世離れした性格の普賢真人は金銭感覚も独特のものがあり、覇穹でもしばらく後に登場するであろう新キャラ・韋護が太公望の依頼に報酬を要求しようとすると「無償って素晴らしい事だと思わない?」と言って横から説き伏せようとするのが普賢真人というキャラクターである。そんな彼に、桃泥棒の罰についていかにも無報酬だった点に不満を込めたかのような口ぶりで「あの後、二人でさんざんタダ働きさせられたよね。」と言わせるのは、ややキャラクター解釈にズレがなかろうか。
- 仮に、今後に覇穹でも韋護が登場した際に同じ台詞を普賢が言って説得しようとすれば、それはそれで覇穹の普賢は「仕事には対価が伴って当然だと理解しているが、いざ自分たちが払う立場になると、いかにも善人ぶった発言で演技して相手を丸め込もうとする」という言動の腹黒い仙人になってしまう。→なりました(14話「寄生」参照)。
これらに比べれば、せっかく夜闇に隠れてるのだから頭の上の蛍光灯は消しておけ、というツッコミなど大した意味を成さない。
原作では
原作18巻の、このエピソードの改変元の舞台となった桃源郷は普通の人間界でも仙人界でもない地域にあり、「働かざる者食うべからず」という独自の法が敷かれた完全自給自足の集落で、貨幣経済も無く物々交換が行われている。カネが有ろうが無かろうがその価値が意味を成さない村なので、上記の普賢との話も桃源郷以外の場所であったことなのは間違いない。
そしてオリジナルの話は、ここにある目的のため滞在することになった太公望は、空腹に耐えかねて住民に食料を乞うも仙道の威光が通用しない土地柄のせいで断られ、働くのも面倒臭がったので盗みに及ぶ・・・という必然性をもった流れであった。
いずれも根拠となるシーンはあくまで原作漫画だけにしか現状は無いため「覇穹の世界では異なるから問題無い」という弁護も(蝉玉の件を顧みればあくまで「今のところは」)通用する点ではある。
今回の12話全体を通じてはその無難さから概ね好評な展開の回ではあったので、この程度の歪みなら一応目を瞑ることもできようか。