覇穹封神演義検証wiki - 二話 ナタク
脚本:高橋ナツコ 絵コンテ:相澤伽月 演出:立仙裕俊 作画監督:番 由紀子・渡邉亜彩美・山中いづみ

妲己の策略の前に、自らの無力を思い知らされた太公望。
強力な仲間を作るはずが……ボケーッと釣りに明け暮れる日々。
一方、朝歌には、武成王・黄飛虎の盟友である殷の太師・聞仲が遠征から戻ってきていた。聞仲はかつて妲己とも一戦を交えたことがある実力者。
黄飛虎は聞仲と二人なら妲己を抑え込むことが出来ると喜ぶが……。
その頃、太公望の前には、宝貝を3つも身につけた宝貝人間・哪吒が現れて、突如攻撃を仕掛けてくる。
(アニメ公式サイトから引用)

*1今回第2話の公式のサブタイトル表記は「哪吒」だが、本wikiでは機種依存文字がページタイトルに含まれるとページ間のリンク機能に不具合が起きるため、カタカナ表記とする。


策略?

上のあらすじは公式HPからの引用そのままである。原作ではあった太公望と妲己の知略の駆け引きは完全にカットされていたはずだが、「妲己の策略の前に」太公望は無力を痛感したらしい。
策略とは
・物事をうまく運び、相手を巧みに操るためのはかりごと。
・自分の目的を達成するために相手をおとしいれるはかりごと。
のことだが、具体的に1話のどのあたりを指しているのだろうか

目まぐるしい場面転換


太公望視点と聞仲視点の違う地点の話に別れており、数分ごとに場面が入れ替わるので非常に見にくい。

さらに過去回想中に回想を入れるいわゆる「二重回想」を犯していたり、そうかと思えば未来の話を入れてきたり、、太公望と哪吒の話が一日程度のものなのに対し聞仲と黄飛虎の方は数ヶ月以上も経過しているなど、時間の概念も分かりにくい。

棒立ち聞仲


回想中、朝歌郊外で暴れる霊獣を有無を言わさず撃退しようとする聞仲に、突如若き日の黄飛虎が割って入り、聞仲を殴り飛ばして攻撃を止めさせる…のだが、真正面から駆け寄ってきた黄飛虎に対し、防御も身じろぎも狼狽えもせず棒立ちで殴り倒される聞仲が非常に間抜けである。3つも目があるくせにどこを見ているのか。
動画ファイルへのリンク

原作17巻の該当シーンでは、聞仲に接近する黄飛虎は全身が影になって隠れており、マンガ的表現として聞仲の死角から現れた、もしくは不意を突いたことが想像できるような描写になっているが、今回の絵コンテ担当者(どうやら監督の相澤氏本人らしいが)には理解されなかったようだ。

作っていない炮烙を片付ける聞仲


炮烙は妲己が作った拷問道具でアニメでは未登場。作った描写もないのに聞仲は片付けている。

聞仲的に酒の池はOK?

─炮烙を破壊し、蠆盆を埋めよ! 民に食料を施せ

4話の姫昌の回想で酒池肉林は覇穹でも建造されていたことが明らかになる。
覇穹の聞仲は酒の池を今後何かに使うつもりでいるのだろうか。

原作では上記の聞仲の台詞の下線部が「酒の池も不要だ!!」となっており、このタイミングで妲己が製作した炮烙・蠆盆・酒池肉林の工作3点は全て聞仲の手で破壊され、その後に続く黄飛虎との会話を経て食料の施しも行われる。

あまりに早すぎる展開と見えない出張先


聞仲が殷に帰ってきたと思ったらまた反乱を治めに出かけまたすぐに帰ってくるという、聞仲にとってはとんでもないハードな構成になっている。



また、紂王の台詞では「東伯候が叛乱した」と説明されるが、同時に画面上に現れる殷時代の中国の地図には、上の画像の通り紂王の胴体部分が肝心の東方の領土部分に重なって見えなくなっているため、視聴者には聞仲がどこに向かったのかが不明瞭である。反乱を起こした本人・東伯候姜文煥の名前も「姜」の一文字しか映ってない。説明セリフと地図の内容を連動させる気が無いなら何故こんな演出にしたのか?
地図の縮尺を変えるか紂王の位置を少しずらすだけで簡単に解決できたはずの問題なのだが。

時系列を逆にしたため、反乱の発端がわかりづらくなる



なお、原作では東伯候の叛乱は、妲己の計略によって西伯候・姫昌らと共に禁城に招集された先代の東伯候が、酒池肉林によって処刑されてしまったため、それに怒り起こしたものである。

覇穹では謀反が起こり、鎮圧にしに行くのが2話だが謀反の原因である回想が4話でやってるため時系列が逆になっている。
後から姫昌の口を介して酒池肉林の話を見せたので、叛乱発生の因果関係としてはこの場面での紂王の説明通り原作と同じなのだが、非常に理解しづらい。原作では酒池肉林が2巻で聞仲の帰還が4巻でまともな時系列になっている。

迫力のないバトル


動きも少なくサウンドエフェクトやBGMも小さい。
哪吒はとくに仙界伝ではロボットみたいな稼働音に助けられていたように感じる。

哪吒が川遊びの最中に起こした事件で返り討ちすることになった霊獣は、アニメーション作品の画面とは思えないほど完璧な静止画で微動だにしない。哪吒の攻撃に驚く一瞬の動作以外では、髭やヒレなどの揺らぎやまばたきはおろか、喋っているのに口パクすら無い手抜きぶりである。

打神鞭の新技?


動画ファイルへのリンク
哪吒との空中戦中、太公望の打神鞭から放たれた打風刃が、なぜか回避運動をとる哪吒を追尾して右に左に動いてゆく。
原作の打風刃はあくまで一直線にしか飛ばない技なのだが。

妻も子も見捨てる李靖


哪吒が殺してしまった霊獣の親が陳塘関を包囲する場面では、漫画では殷氏が「子の不始末は親の不始末!私がどんな処罰も受けます!」と名乗り出た直後に、李靖が「よせ殷氏!! 家長の私が責任を取る!!!」と制して妻と哪吒を庇おうとする1コマがあるのだが覇穹ではカットされている。
息子には愛情が薄いものの、彼なりに総兵官という仕事や父親であることの責任を果たそうとしていることが分かるセリフだったのだが。

心ない太公望


原作では哪吒の戦闘力に物怖じする四不象に発破をかけるため、太公望は「恐れて飛ばぬおぬしなど…ただのカバなのだぞ!」と挑発して四不象の戦意をかき立てる。
ところが覇穹では、太公望が李靖に味方すると宣言→四不象が「ご、ご、ご主人!」とだけ叫んで突然震え始める→太公望がカバ発言、という流れに変わっており、四不象の一瞬の反応が太公望の宣言内容に驚愕しているのか哪吒に恐怖しているのかが不明確なため、いきなり太公望が四不象に悪口を吐いているようにしか見えなくなった。スープ―かわいそうに。

また、この話では太公望のキャラクターが分かる様々な描写がカットされているところも欠点といえよう。
哪吒の墓を破壊したことを白状する李靖に絶句してドン引きする反応で分かる太公望の善良な倫理観や、哪吒にエディプス・コンプレックスという学識ある言葉を用いて優しく諭す口ぶりで分かる、72歳という設定年齢らしい老成された知的な側面は、いずれも序盤の太公望のキャラクターを視聴者に教えるためには大きく意味のある場面だったはずである。

殷氏の仕草の違い


恐慌状態に陥った哪吒を殷氏が説得し戦いを終わらせる場面にて、原作とは異なり、なぜか殷氏は李靖と手を絡めながら息子を制止するというアニメオリジナルの演出がされた。





原作漫画における哪吒の”母”の殷氏は、優しく子煩悩なことに加え、やや世間ずれした”天然ボケ”気味な部分もある人物だが、決して仙道の戦闘中のような危険な状況で旦那と愛し合うさまを息子に見せつけるような”色ボケ”な性格ではない。

仙人流ジョーク、不発

ああごめん、300年ぶりだっけ? ひっさしぶりー。
目論見通り哪吒との諍いを収めた太公望は、宝貝人間としての哪吒の親・太乙真人から少々ヒネくれたねぎらいの言葉を送られ、太公望が「久々に会ったというのに!」と抗議すると太乙は上のような冗談でとぼける。
太公望の設定年齢は72歳なので、300年ぶりなわけがない。

しかしながら、この冗談に対する周囲の反応が全く無く、太乙はすぐに己の用件にとりかかろうとして場面が進行するため、これが冗談でなく本当に彼らの再会が300年ぶりだったという誤解を招いても仕方がないような淡白な演出しかされていない。

原作2巻でもこれらの「台詞」の部分は下記の画像の通り一字一句同じなのだが、漫画ならではの吹き出しに対する作者からのセルフツッコミな注釈が入り、且つこれを利用して長命な仙人たちは時間感覚が鈍いという劇中設定の説明を行う一コマになっているので、誤解のしようがない。


こういった漫画特有の画面をアニメーションに置き換えるなら相応の工夫が必要なのだが、それが出来ないのが覇穹封神演義という作品であり、この場面に限らず、漫画表現とアニメーション表現の違いについて制作側の理解を疑わざるを得ないような異様な演出が今後もたびたび現れるのである。