上の画像が金鰲島の通天教主に連れられて王奕とトレードされた幼い頃の楊戩だが、この後の楊戩の回想では下の画像の通り「幼体の頃に崑崙山に預けられた」と言っている。
2つの画像を比べると、1枚目の崑崙に預けられた当時の楊戩は自立して歩ける程度に成長していたのに対して、2枚目は赤ん坊も同然の幼体に戻ってしまっている。崑崙での養父となった玉鼎真人も映る2枚目の描写の方が時系列的に後でないとおかしいのだが、これは幼かったが故の楊戩本人の記憶違いのせいなのか、そうでないなら実父に見捨てられたショックで肉体ごと幼児退行を起こしたのか。さすが妖怪。
実はこのシーンはおそらく原作者のミスだと思われ、漫画版発表時の1999年以来、熱心なファンの間ではツッコミの対象となっていた場面のひとつである。
原作では画像1枚目は15巻の132話、2枚目は13巻の114話の場面。幸いなことにこれらはやや間が空いているので一見して分かるミスではなかった。しかし、アニメでは1話の中にこの2つのシーンを登場させているので、より間違いが目立つようになってしまった。
不可侵条約を提案するため、通天教主は「妲己」によって200年前の仙人界が置かれた状況について意見を述べるが、その際のセリフを抜き出してみると、
「妲己の力が急速に強大化している。」
「三日前、妲己はその誘惑能力で(略」
「妲己は不気味なほど日増しに強くなっている。」
となっている。
だが今回八話の冒頭で描かれるように、妲己の正体は狐の妖怪であり、妲己という名も実は冀州候の娘・
蘇妲己の肉体を仙術によって
十数年前に乗っ取ったからそう呼ばれているだけに過ぎず、よって
「妲己」は妖怪本体の真の名前ではないことが明かされたばかりだ。
では不可侵条約の話し合いをしている
200年前の時点でも通天教主から「妲己」と呼ばれているのはどういうことなのか?
これも覇穹だけのミスではなく原作発表時からツッコまれていた点。通天教主と元始天尊の会話も原作通りのセリフである。
原作でも最後までこの狐妖怪の真の名は明かされなかったものの、今回冒頭にて聞仲が「妲己」を殷から追い出した60年前の場面で彼が「
女狐め!!」と呼んでいたように、通天教主からの呼び方についても誤魔化しようはあるはずだった。
だが覇穹でも通天教主の台詞は直ることなく使われてしまい、しかも上記の幼体楊戩の矛盾と同様に正解と不正解を同じ話に詰め込んでしまったおかげで余計に粗が目立っている。
従ってこれらの不整合はアニメスタッフだけの責任とは言えないのだが、アニメ化時に手直しされるだろうという期待を、自分でカットしたシーンの整合性すら取れないようなアニメの制作陣に求めるのは酷だったようだ。
漫画版へのファンの評価を入念に下調べしていれば気づけた可能性もあったのだが、覇穹封神演義の広告が謳う「
原作を愛するスタッフが結集」が口先だけの宣伝文句だったことなどは既にこれまでの出来を見てきた者なら百も承知であろう。
下から2行目「原作を愛するスタッフが結集して贈る最新アニメーション。」