エスペラントの修正版として開発された人口言語、国際補助語です。

ガエル・リシャール(Gael Richard)の提案した「*quoniam」について

ガエル・リシャール氏が、原因、理由を表現するための接続詞「*quoniam」を提案しました。この提案語をめぐっての議論が起こりました。ここでは、提案者の主張や、その主張に対する批判などを紹介しています。
ガエル・リシャール氏は、フランス語話者なのでしょう。
フランス語には、原因を示す接続詞には「puisque」というものがあり、「相手も既に知っている理由で、自分の主張を正当化し、相手に認めさせるために用いられる」ものです。このニュアンスを伝えるイド語の単語が見当たらないので、「それじゃ提案しましょう」ということで、持ちだした単語が「*quoniam」です。*1
ガエル・リシャール(Gael Richard)の提案
Kara James
親愛なるジャムス
Me ne povis respondar plu frue.
返事遅れてしまいました。
Segun me, "nam" diferas de "*quoniam" (segun mea propozo).
「nam」という語は、「*quoniam」とは違うと、思いますよ(私の提案に従えば、ですが…)。
"nam" esas koordinala konjunciono kontre ke "*quoniam" esus subordinala konjunciono.
「nam」は等位接続詞であるのに対して、「*quoniam」は従位接続詞なのでしょう。
Pluse pri l'opozeso inter temo e predikato (theme/propos, theme/rheme, topic/comment), nam enduktas "predikato" kontre ke *quoniam enduktus "temo".
主題と題述の間の対比について付け加えると、「quoniam」は「主題」を導入するのに対して。「nam」は「題述」を導入するのです。

ここで解説。
文を作る時、話し手が聞き手・読み手が既に知っていると思われる情報(旧情報)をまず提示します。それからまだ知らないと思われる新たな情報(新情報)を付け加えます。そうすれば、理解がしやすくなります。
これを情報構造から見ると、「主題」と「題述」という二つの部分に分けられます。「主題」とは、これから述べることを紹介して話題の方向性を決める役割をします。つまり、旧情報であり、情報としては価値の低いものです。
それに対して「題述」とは、主題について述べる部分です。新しい情報であり、情報としては価値の高いものです。
En la sequanta exemplo, nam e *quoniam diferas :
次の例文の中で、「nam」と「quoniam」との相違は次のとおりです。
"L'Ido vivas ankore nam existas Idisti."
「イド語は、イド語話者が存在しているので、まだ生きている」
La frazo antencigas pri "existas Idisti".
この文章は「existas Idisti」(イド語話者が存在している)について注意を喚起しています。
Ol esas uzenda se la konversario ne savas ke existas Idisti.
これは、聞き手が「イド語話者が存在している」を知らないならば、使われるべきでです。
Kontree: "L'Ido vivas ankore *quoniam existas Idisti."
これに対して、「L'Ido vivas ankore *quoniam existas Idisti.」は、どうでしょうか。
La frazo atencigas pri "L'Ido vivas ankore".
この文は、「L'Ido vivas ankore」(イド語はまだ生きている)ことについて、注意喚起しているのです。
La konversario savas tre bone ke existas Idisti.
聞き手は、「イド語話者が存在している」ことをよく知っているのです。
La signifiko esas "Existas Idisti, vi savas lo tre bone. Do l'Ido vivas ankore (dedukto de fakto agnoskata da omni).
その意味するところは、こうです。「イド語話者は存在している。そのことを君たちはよく知っている。故に、イド語はまだ生きている(すべての人が知っている事実からの推論(演繹)」
Kun "nam" la signifiko esas "L'Ido vivas ankore.
「nam」をともなっている意味は「イド語はまだ生きている」です。
Me povas justifikar lo per informar vi ke existas Idisti (forsan vi ne savas lo)".
私は「イド語話者が存在している」という情報をあなた達に提供することで、これを正当化できるのです。(おそらく、そのことをあなたは知らないのですから)
Pluse, on darfas dicar :
さらに、こういうこともできます。
"*Quoniam existas Idisti, l'Ido vivas ankore."
「*Quoniam existas Idisti, l'Ido vivas ankore.」(イド語話者が存在しているのを考えてみると、イド語はまだ生きている)
Ma on ne darfas dicar #"Nam existas Idisti, l'Ido vivas ankore."
しかし、「イド語話者が存在しているので、イド語がまだ生きている」と言っているのではありません。
Takaze, "nam" povas referar su nur a preirinta frazo.
この場合、「nam」は、前述された文に対してだけ言及できるのです。
Altralatere, on darfas dicar :"L'Ido vivas ankore. Nam existas Idisti."
ところで、「L'Ido vivas ankore. Nam existas Idisti」(イド語はまだ生きている。イド語話者が存在しているから)とも言えます。
Nam, "nam" esante konjunciono koordinala, ol apudpozas propozicioni qui darfas esar separata da punto (nedependanta).
なぜなら、「nam」は等位接続詞であるので、それは、句点で区切られている命題を並立させているのです。
Ma on ne darfas dicar #"L'Ido vivas ankore. *Quoniam existas Idisti."
しかし、「L'Ido vivas ankore. *Quoniam existas Idisti.」としてはダメです。
Nam, *quoniam esas subordinala konjunciono.
なぜなら、「*quoniam」は従位接続詞であるからです。
Adminime, to esas mea propozo pri *quoniam.
一応、これが私の「*quoniam」についての提案です。
Amikale,
親しみを込めて
Gael Richard
ガエル・リシャールより
ジャムス・チャンドラー(James Chandler)の批判
Kara Gael,
親愛なるガエルへ
Me dankas vu pro vua expliko.
説明してくれてありがとう。
Segun mea kompreno, la senco quan vu propozas por *quoniam esas la senco di "pro ke".
分かったことは、「*quoniam」の提案する意味するところは、「pro ke」と同じです。
Do vua expliko, segun me, explikas tre klare la (reala) difero inter "nam" e "pro ke" en Ido.
したがってあなたの説明は(私が思うに)、イド語における「nam」と「pro ke」との(実際上の)違いを明確にしていることになるのです。
Altri til nun propozis por *quoniam altra senco (segun mea kompreno).
これまで他の人たちが、「*quoniam」を、別の意味で提案してきました。
Ica senco esas: "Savante ke...; Kun la savo ke...; Supozante ke...".
その意味とは、「Savante ke...」(〜と知っていながら)、「Kun la savo ke...」(〜という知識を持って」、「Supozante ke...」(〜と仮定して)というものです。
Ica senco ne esas facile komprenebla, ma ol esas utila.
この意味は理解しやすものではありませんが、便利なものです。
La franca-parolanti referez la frazeti "vu, etant donne, sachant".
フランス語話者に、「vu (que), etant donne (que), sachant (que)」という語句を引用させてみなさい。

ここで解説。
ここに登場する「vu (que)」「etant donne (que)」「sachant (que)」は、すべて「puisque」と同じ意味に使われています。
「vu que」 = puisqueよりもくだけた表現です。
「étant donné que」 = puisqueとほぼ同じ意味です。常に文頭に置かれ、改まった表現です。
「sachant (que)」 =「 〜を知っているので」
これらのフランス語の語彙は、聞き手が、その情報を知っているという前提で使われるものです。
La maxim utila, ed interesiva, metodo por komprenar ica senco esas la teorio di kondicionala probableso.
この意味を理解するために、最も役に立ち、興味深い方法は、条件付き確率の理論です。
Forsan per plusa mesaji me furnisos kelka exempli.
おそらく、追加のメッセージで、いくつかの例を示してみたい。
Amikale,
親しみを込めて
ガエル・リシャール(Gael Richard)の反論
Kara James,
親愛なるジェムスへ
Meaopinione "*quoniam" diferas de "pro ke".
私の考えでは、「*quoniam」と「pro ke」は異なっています。
"Pro ke" enduktas kauzo kontre ke "*quoniam" enduktas justifiko.
「quoniam」が正当性を導入しているのに対して、「pro ke」は、原因を導入しているのです。
Yen exemplo :
例えば、
- Ka John esis en Paris hiere ?
「ジョンは昨日、バリにいましたか?」
- Yes il esis en Paris hiere *quoniam me vidis ilu hiere en la turmo Eiffel."
「はい、私が昨日、エッフェル塔の中で彼を見たのですから、彼は昨日、パリにいましたよ」
En ca exemplo, on ne darfus dicar :
この例では、次のようには言うことができません。
"Yes il esis en Paris hiere pro ke me vidis ilu hiere en la turmo Eiffel."
「はい、昨日わたしはエッフェル塔の中で彼を見たので、彼は昨日、パリにいた。」
Nam "me vidis ilu ec." ne esas la kauzo di la prezenteso di John en Paris.
なぜなら、「私が彼と会った云々〜」は、パリでのジョンの存在の理由ではないからです。
John ne esis en Paris _pro ke_ me vidis ilu, ma la fakto ke me vidis ilu pruvas ke il esis en Paris hiere.
…私がは彼を見たので…ジョンはパリにいたのではない、しかし私が彼を見たという事実は、彼が昨日、パリにいたということを証明しています。
ベブソンのチャチャ:この文章はチト難解。私が彼をエッフェル塔の中で見掛けたから、彼はパリにいない???
(イド語を喋る"いかりや長介"なら)『駄目だこりゃ!』と言います。そこで、私なら以下の様に書きます。
John esis en Paris _ ne pro ke_ me vidis ilu, ma la fakto ke me vidis ilu pruvas ke il esis en Paris hiere.
または....少し不明確になりますが、
John ne esis en Paris segun la fakto ke me vidis ilu, ma la fakto ke me vidis ilu pruvas ke il esis en Paris hiere.
Do "me vidis ilu ec." esas ne kauzo ma justifiko.
ゆえに、「私が彼を見た云々」は、理由ではなく正当化なのです。
Altra exemplo, mem plu klara:
他の例で、もっと明確になりますよ。
"Pluvis *quoniam la voyo esas humidigita."
「道が湿っていることから考えてみると、雨が降ったのだ」
Pluvis ne pro ke la voyo esas humidigita ma kontree, la voyo esas humidigita pro ke pluvis...
「雨が降った」ことは、道が湿っていることが原因ではなく、反対に、雨が降ったのが原因で道が湿っているのですよ…
Me ne trovis en Ido vorto por ca exakta senco. Pro to me uzis *quoniam.
正確な意味の単語をイド語では見つけることができませんでした。そのため、私は「*quoniam」を使ったのです。
"*Quoniam" tradukas la F. "puisque".
「*quoniam」はフランス語の「puisque」と訳します。
"Pro ke" tradukas la F. "parce que".
「Pro ke」はフランス語で、「parce que」と訳します。
"Nam" tradukas la F. "car".
「nam」はフランス語で、「car」と訳します。
Amikale
親しみを込めて
Gael
ガエルより
ジャムス・チャンドラーの質問
Kara Gael,
ガエルさんへ
Me konfesas ke me ne bone komprenas la difero inter F "car" e "puisque", do me supozas ke la difero esas probable tro mikra por adportesar aden Ido.
白状しますが、フランス語の「car」「puisque」との違いがよく分かりません。なので、その違いは、イド語へ適用するととても小さいのはないかと思うわけです。
Omnakaze, quon signifikas "quoniam" en la latina linguo? Qua savas to?
いずれにせよ、ラテン語で「quoniam」はどういう意味なのでしょうか? その正体は?
Kordiale
心から
ガエル・リシャールの返答
Kara samlinguani,
親愛なる同語使用者たちへ
La subordinala konjunciono "*quoniam" esas tote necesa.
従位接続詞「quoniam」は本当に必要なんですよ。
Ol diferas grande de altra vorti.
これは、他の語と全く違うんです。
Ol esas tre diferanta de "pro ke".
「pro ke」とも、かなり違います。
"Pro ke" enduktas kauzo kontre ke "*quoniam" enduktus justifiko.
「quoniam」は正当化を導くのに対して、「pro ke」は原因、根拠を導くのです。
La difero esas importanta.
その違いは重要です。
Konfundar l'uno kun l'altro efektigus grava erori logika.
互いを混同すれば、重大な論理的誤謬を引き起こすでしょう。
Me ja donis kelka exempli. Yen altra :
すでにいくつかの例文を提供しましたが、別の例も挙げましょう。
"Lu esas mortinta *quoniam lu esis enterigata."
「彼が埋葬されたのを考えてみると、彼は死んでしまっているのだ」
Dicar:"Lu esas mortinta pro ke lu esis enterigata" signifikus ke lu esis ocidata esinte enterigata vivante! La senco esas tote diferanta!
「彼が埋葬されたので、死んでしまった」という意味は、彼は生きながら埋葬され、殺害されたのだということです!
La bona senco esas:
その正しい意味はこうです。
"Lu esis enterigata (konstato agnoskita da omni). To pruvas ke lu esas mortinta".
「彼は埋葬された(すべての人に認められた確認)。これは、彼が死んでしまったことを証明している」
Ma l'enterigo ne esas la kauzo di lua morto!
しかし、埋葬が死亡の原因ではありません!
Pluse "*quoniam" diferas de "nam".
さらにいえば、「*quoniam」は「nam」とは違うのです。
"Nam" esas koordinala konjunciono kontre ke "*quoniam" esus subordinala konjunciono.
「*quoniam」が従位接続詞であるのに対して、「nam」は等位接続詞です。
Pluse, "quoniam" enduktas konstato konocata da omni por pose dicar la nova fakto kontre ke "nam" donas la justifiko nekonocata pri fakto preirinta.
さらに、「quoniam」は新しい事実をあとで言うためにすべての人に知られたことを導くのであり、それに対して、「nam」は前述された事実について知られていない根拠を与えているのです。
La difero esas tre importanta por la strukturo di rezono.
この違いは、推理の構造にとって、とても重要なことです。
On ne darfas dicar : "Nam lu esis enterigata, lu esis mortinta." ma on darfas dicar "*Quoniam lu esis enterigata, lu esis mortinta."
次のように言うことはしません。「彼は埋葬されたので、彼は死んでしまっていたのだ」と。しかし、このように言うことはできます。「彼が埋葬されたの考えると、彼は死んでしまっていたのだ」
Pluse, dicar "Lu esis mortinta nam lu esis enterigata" signifikus ke la konversario ne savus ke lu esis enterigata.
さらに、「彼は埋葬されたので死んでしまった」ということは、会話の聞き手が「彼は埋葬された」ことを知らないかもしれないことを意味しているのでしょう。
Or l'uzo di *quoniam implikas ke l'enterigo esas konstato e atencigas pri la dedukto.
さて、「quoniam」の使い方は、埋葬は確認されたものであり、その推理について注意喚起しているということを意味に含んでいるのです。
"Per" enduktas l'instrumento o la moyeno en ne perdas sua propra senco divenante konjunciono per l'adjunto di "ke".
「per」は道具あるいは方法手段を導き、「ke」付きの接続詞になっても独自の意味を失いません。
"Lu esas mortinta per ke lu esis enterigata" signifikus itere ke lua enterigo esus la moyeno o l'instrumento per qua il mortis!
「彼が埋葬されるという手段を用いて死んでしまった」は、彼の埋葬が、彼を殺した手段あるいは道具かもしれないことを、意味しているのです。
La nova konjunciono "*quoniam" (od irga nova vorto di la sama senco) esas tote nekareebla.
この新しい接続詞「*quoniam」(同じ意味の新しい単語でもある)は、まったく本質的なのです。
Por preciza e logika expreso, specale por cienci, "*quoniam" esas necesa.
正確で論理的表現として、科学としても特別なので、「*quoniam」は必要です。
Kordiale
心をこめて
Gael Richard
ガエル・リシャールより
再び、ガエル・リシャールの手紙
Kara sameideani,
親愛なる同志たちへ
Me probis serchar la plu anciena aparo di *quoniam che l'interreto.
私は、もっと古い時代にインターネットに現れた「*quoniam」について調べてみました。
Me trovis ol en la RAPORTO da LEKTORO JANIS ROZE, membro dil Akademio, Riga, Latvia, 1937, parto II.
アカデミー会員のジャニス・ロゼ講師による報告書(1937年ラトビアの首都リガ)第二部の中で、それを見つけました。
Suplemento pri diversa propozi quan James Chandler pozis che l'interreto en 1998.
ジャムス・チャンドラーが1998年にインターネットに残した様々な提案についての補足
"La propozita radiki e derivuri (kun la nova afixi) sempre akompanesez da asterisko avan [o dop] la vorto.
提案された語根と(新しい接辞付きの)派生語は、その後の前(あるいは後)にアステリスク(*印)を常につけるべきです。
L'asterisko di tala vorti es obligatora en omna texti.
このような単語のアステリスクは、すべてのテキストの中で、必ず付けなければなりません。
Nur en ica Suplemento me ne uzis ol, quoniam l'asterisko hike kauzus tro granda bunteso, ed on ya povas konsultar la Suplemento pri omna vorto ankore ne kustumata, ex. hike pri: "obligatora", "quoniam", "kauzar" ed altri.
アステリスクはここではとても多いので、この補足においてのみ、アステリスクを使わないませんでした。まだ常用されていないすべての単語について(例えばここに出てきた「obligatora」「quoniam」「"kauzar」など)は、この補足を参考にできます。
La propozi donesas hike ne autoritatoze, ma nur ye provizora aplikado por konvinkesar pri lia utileso, til ke li od adoptesos od repulsesos dal Akademio."
この提案はここでは上から押し付けるものではありませんが、それらがアカデミーによるよって採用されるか拒絶されるかするまで、その有用性について納得するために臨時で適用するだけです。
Desfortune James Chandler ne pozis la kompleta listo di vorti, [Hike sequas personal selekturo ek la propozi en ca parto.], e tale la definuro di *quoniam ne aparis en sua personal selekturo.
不運にも、ジャムス・チャンドラーは単語の完全なリストを残していません。(この部分では提案の中から個人的に選択しています) したがって「*quoniam」の定義は個人的な精選の中には出てきません。
Ma forsan James Chandler povus ritrovar ol e donar la kompleta listo di vorti?
しかし、おそらくジャムス・チャンドラーは、それを再発見し、語彙の完全なリストを作るかもしれませんけどね。
Pose me trovis che linguolisto kom plu anciena aparo di *quoniam, olca di mesajo #625 (Sep 9, 2001) da Carlo Nardini qua skribis:
後日、私は、ヤフーグループ「linguolisto」の中で、カルロ・ナダルディーニが書いたメッセージ(2001年9月9日No.625)、もっと古い「*quoniam」の記事を見つけました。
" La plumulto de ni pensas intuicive ke, quoniam* (since) la cifri es non, l'ofteso relativa es 1/9 (11 %) por singla cifro."
(それによると)「私達のほとんどは、数字が9個であると考えれば、ひとつの数字として相対的な頻度は9分の1(11%)であると、直感的に考えている」
E en sua mesajo #976 (Aug 2, 2003), "Paradoxi dil probableso. Glosario", .Carlo Nardini donis la sequanta definuro:
メッセージNo.976(2003年8月2日)では、「可能性のパラドックス。用語集。」で、 カルロ・ナダルディーニは、次のような定義をしていました。
QUONIAM* [Roze]: konjunciono kauzala (esante ke, konsiderante ke, donite ke, egarde ke...).
「QUONIAM*」とは、原因を表す接続詞(「esante ke」(〜ということがあると)「konsiderante ke(〜とみなすと)」「donite ke(… であることを考えれば)」「egarde ke(〜と考慮すると)」
"Quoniam" introduktas kauzo, motivo, cirkonstanco konocata (t.n. latine "causa cognita"), dum ke "pro ke" expozas e revelas la kauzo determinanta di ul evento.
「quoniam」は原因、動機、よく知られた状況を持ち出す(いわゆるラテン語では「既知の原因」)。それに対して、「pro ke」は、ある出来事の確定している原因を説明したり、示したりすること。
Quoniam el esis nefidela [konstato], il abandonis el.
彼女は忠実でないを考えて(既知のこと)、彼は彼女を捨てたのだ。
Il abandonis el, pro ke el esis nefidela [expliko]. Quoniam tu promisis irar, tu irez.
彼は彼女を捨てたが、なぜならば、彼女は忠実でないからだ(説明)。君はゆく約束をしたのだから、行くべきだ。
Quoniam tu es hike, tu helpez.
君がここにいるのだから、君が助けるべきだ。
Quoniam to plezas ni e detrimentas nulu, pro quo renuncar lo?
それは我々を喜ばせたし、誰にも害にはならないのを考えれば、それを何のために破棄するのだろうか?
[A since, as, seeing that, inasmuch as, considering. F puisque, depuis que, du moment que, vu que, étant donné que, comme. G da, in Anbetracht dessen dass. H pues que, ya que, puesto que, visto que, como. I poiché, giacché, dal momento che, visto che, dato che, siccome. R poskolku, tak kak. L quoniam.Gr os.]
英語「since」「as」「seeing that」「inasmuch as」「considering」。フランス語「puisque」「depuis que」「du moment que」「vu que」「étant donné que」「comme」。ドイツ語「da」「in Anbetracht dessen dass」。スペイン語「pues que」「ya que」「puesto que」「visto que」「como」。イタリア語「poiché」「giacché」「dal momento che」「visto che」「dato che」「siccome」。ロシア語「поскольку」「так как」。ラテン語「quoniam」。ギリシャ語「ως」
# N.B. - En la Latina, esas plu o min sama distingo inter "quoniam" e "quia".
注意。ラテン語では、「quoniam」と「quia」との区別はほとんどありません。
"Mater irata est, quia non redierim domum" [matro iraceskis, pro ke me ne rivenis adheme] - Plautus."Non quia voluptas sit" [ne pro ke es plezuro] - Cicero.
「母は、私が家に戻らなかったので、怒った」(プラウトゥス)。「喜びがあるからではない」(キケロ)。
"Qua me stultitia (quoniam non est genus unum) insanire putas?" [ye quala stulteso (konsiderante ke ne es unika sorto) tu judikas ke me foleskas?] - Horatius.
「(種類は一つではないと思われるので)、君は、どんな愚かしさで私が気が狂っていると判断しているのですか?」(ホラティウス)|
"Quomodo fiet istud, quoniam virum non cognosco?" [quale to eventos, donite ke viron me ne konocas?] - N. Test.
「どうしてそんなことが起こるでしょうか。私は男を知らないというのに。」(新約聖書)」
En la mesajo #1014 (Okt 7, 2003) "Nova vorti propozata", R.B. Carnaghan propozis:
メッセージNo.1014(2003年10月7日)では、R.B.カーナハンが「新たな提案語を提案していました」
*quoniam / esante ke, konsiderante ke, donite ke, egarde ke.
「*quoniam」とは、「esante ke」「konsiderante ke」「donite ke」「egarde ke」
Konjunciono qua introduktas kauzo, motivo o cirkonstanco konocata.
原因、動機、既知の状況を示す接続詞である。
Roze,p96; Pesch,p478; Progreso,328,p11 / A: given that, seeing that, inasmuch as, as, since F: puisque, e`tant donne` que, du moment que, comme G: da, in Anbetracht dess en dass H: pues que, ya que, puesto que, visto que, como I: poiche`, giacche` , dal momento que, visto che, dato che, como R: poskolku, tak kak Lat: quoniam
「ロゼの報告書」96頁。「ペッシェの語根辞典」478頁。「Progreso誌」328号11頁。これらによると、英語「given that」「seeing that」「inasmuch as」「as」「since」。フランス語「puisque」「étant donné que」「du moment que」「comme」。ドイツ語「da」「in Anbetracht dess en dass」。スペイン語「pues que」「ya que」「puesto que」「visto que」「como」。イタリア語「poiché」「giacché」「dal momento que」「visto che」「dato che」「como」。ロシア語「поскольку」「так как」。ラテン語「quoniam」。
En la Mesajo #1019 (Okt 9, 2003) James Chandler respondis a Eduardo Rodi qua ne vidis la difero inter nam/pro ke/*quoniam :
メッセージNo.1019(2003年10月9日)では、ジャムス・チャンドラーが、「nam」と「pro ke」と「*quoniam」の違いが分からなかったエドアルド・ロディに回答していました。

ジャムス・チャンドラーからエドアルド・ロディへの回答
Kara sro Rodi
親愛なるロディ氏へ
La senco di quoniam* es esence "konsiderante ke, supozante ke".
「quoniam」の意味は本質的に「〜とみなすと」「〜と仮定すると」となります。
Ol enduktas supozo o "axiomo", segun qua on mustas judikar la sequanta argumento.
この語は、続く論拠を判断しなければならない仮定もしくは「公理」を導くのです。
En angla l'equivalant expreso "given that" es absolute nekareebla en la studio di probableso (statistiko), exemple:
英語では、同等の表現「given that」(〜とすれば)は、確率の研究では絶対的に本質的なものになります(統計学)。例えば、
Esas quar buli en buxo, du blanka e du reda. On ektiras un bulo, ol es blanka.
箱の中に4個のボールがあります。つまり、2個の白いボールと2個の赤いボール。ボール1個を取り出すと、それは白いボールでした。
Quoniam* l'unesma bulo es blanka, kalkulez la probableso ke la nexta bulo ektirata esos reda.
最初のボールは白であるを考えて、次に取り出すボールが赤になる確率を計算して下さい。
Preske la tota studio di probableso konsistas ek tala questioni!
確率の研究はほとんどこのような質問から成り立っています。
Ico diferas de la senco di 'nam', qua implikas kauzo.
これは、原因を含蓄する「nam」の意味とは異なっているのです。
Kordiale, James Chandler
親愛の情をこめて、ジャムス・チャンドラーより
ロワ・ランデ(Loic LANDAIS)も、イチオシ

Videz anke che linguolisto la mesajo #1255 (Jun 26, 2004) "Respondo a Latinisto.Konjuncioni" e la mesajo #1028 (Okt 19, 2003) "Sintaxo" da Carlo Nardini tre interesanta pri ca temo.
ヤフーグループ「linguolisto」のメッセージNo.1255(2004年6月26日)「ラテン語話者への返答。諸接続詞」と、メッセージNo.1028(2003年10月19日)このテーマについてのとても興味深いカルロ・ナルディーニによる「構文論」を見て下さい。
Ca historiala rezumo montras ke linguolisto esas vere ormineyo.
この歴史的なレジュメは、このグループ「linguolisto」が本当に”宝の山”であることを示しています。
Goncalo Nevez ripropozis en sua Suplementa Ido-Lexiko to quan Carlo Nardini propozis en 2003 e qua esis forsan ja propozita en 1937 en la raporto da Janis ROZE.
ゴンサロ・ネヴェスが自らのイド語辞典の中で再提案してことは、カルロ・ナルディーニが2003年に提案していたものであり、おそらくジャニス・ロゼの報告書で1937年にすでに報告されてものでした。
Semblas anke ke James Chandler chanjis sua vidpunto depos 2003.
ジャムス・チャンドラーが2003年以来、自分の見解を変えていたらしいのです。
Fine per omno skribita pri ca temo me kredas nun ke tradukar la franca konjunciono "puisque" per specala vorto diferanta de "nam" e "pro ke "bezonesas.
このテーマについて書かれた文書を通して、フランス語の接続詞「puisque」を「nam」と「pro ke」は違う特別な語を用いて翻訳することが必要であると、ついに今、私は信じるに至りました。
Ka *quoniam esas la maxim apta vorto por to?
「quoniam」こそが、最もふさわしい単語ではないでしょうか?
Me ne certesas ma ca-instante me ne povas propozar altra vorto.
確信はもてないものの、この瞬間に、私は、他の単語を提案できません。
Kordiale, Loic Landais
親愛の情を込めて、ロワ・ランデより

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