初めてのイド語 - イド語初級講座 第06課

イド語初級講座 第06課*1

疑問代名詞(その1)

最初は少しむずかしく感じるかもしれませんが、注意深く勉強するならば、そうでもありませんよ。
Qua regardas me?誰が私を見ているの?
Qua amas il?誰が彼を愛しているの?
上の例から、「qua」は、英語の「who」を意味するものだと分かるでしょう。もし、「who」が二人以上であるならば、イド語で「qui」を使います。
Qui regardas me?誰(複数)が私を見ているの?
Qui amas il?誰(複数)が彼を愛しているの?
未知の対象物や事物の場合は、「quo」を使います。これは英語の「what」に相当します。
Quo esas/es en la buxo?この箱の中には何が入っているの?
Quo eventis?何が起こったの?
注意)英語では疑問文になる時は語順が変わりますが、イド語では変わりません。
例文
Qua ilu esas?
彼は誰ですか?
Qua esis malada?
誰が病気なんですか?
Quo esas/es en la gardeno?
庭にあるのはなんですか?
Qua facis la laboro di Georgio?
誰が、ゲオルギョの仕事をしたのですか?
Qua amas la olda kavalo?
誰が、その老いた馬を愛しているのですか?
Quo manjas mea pomi?
私のリンゴを食べているのは何ものですか?
Qui venis ad'hike kun la hundo?
誰が犬とここに来ましたか?
Qui lernas Ido en ca skolo?
誰がこの学校でイド語を学んでいるのですか?
Qui iris a la skolo kun blanka musi?
白いネズミを持って、学校に行ったのは、誰ですか?
Qua vizitas la amiki di la olda butikisti?
老いた店の主人の友達を訪問したのは誰ですか?

数詞

undutriquarkinsissepoknondek
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
例文
Me havas dek kati.
私は10匹のネコを飼っています。
Me havas un fratulo.
私には兄が一人います。
Non yunini vizitis me.
九人の少女が私のところを訪問しました。
Mea fratulo vidis tri uceli.
私の兄弟が3匹の鳥を見ています。
Qua havas du boteli de biro?
ビール二本持っているのは誰ですか?
La hundo manjas kin kuki.
その犬がケーキ5個食べています。
Elu ne kompras sis pomi.
彼女はリンゴ6個を買いません。
Ni havas nur quar neta shui.
私たちは4足のキレイな靴を持っています。
Ka sep flori esas/es en la gardeno?
庭に7本の花がありますか?
La domo di Maria ne havas ok fenestri.
マリアの家には10窓(そう)*2の窓(まど)はありません。

造語法 「-ey-」

「-ey-」は、ある事物や行為に充てられた場所を表す接辞で、多くの基本語の構造の中で使われています。
pregeyokoqueyotombeyo
祈祷堂台所墓地
pregar(祈る)koquar(料理する)tombo(墓)
kavaleyohundeyoviteyo
馬小屋犬小屋ぶどう園
kavalo(馬)hundo(犬)vino(ぶどう酒)
この接辞は他の一般的な種類にも同じように使われています。
lerneyolojeyodormeyo
教室住居寄宿舎
lernar(学習する)lojar(泊まっている)dormar(眠る)
他でも「-eyo」単語の意味を自分で練習して下さい。
この接尾辞の意味はかなり広いので、その意味が要求するところで特別な単語が使われています。例えば、「lerneyo」であれば、「universitato(大学)」とか「skolo(学校)」、「pregeyo」であれば、「katedralo(大聖堂)」とか「kirko(教会)」などです。

造語法 「-uy-」

「-uy-」は容器をあらわす接尾辞です。
inkuyokafeuyoteuyosigaruyo
インクつぼコーヒー箱茶筒,茶缶葉巻箱
「-i-」は行為の領域、範囲をあらわす接尾辞です。
dukiokomtioepiskopio
公爵領伯爵領司教領(管区)
「-ed-」は、「〜いっぱいの」「〜に応じた量」を意味する接尾辞です。
bokedopinchedoglutedo
一口分ひとつまみ分ひと飲み分
語彙
イド語の「rezidas」は、「住む」とか「駐留する」という意味です。しかし、次の二つの単語は「rezidas」よりも特定された意味を持っています。
すわなち、「lojas」は限定された期間、(誰か別の人の家などに)「泊まる」という意味になります。
また、「habitas」は(自分の家などに)永続的に「居住する」という意味です。
On lojas tempe (kurte) che altra persono od en gasteyo.
一時的に(短い期間)他人のところに、あるいは客室に泊まります。
On habitas permanente en propra o fixa domo.
自分の家か、固定した家に居住します。
On habitas urbo, che amiko, parento, en apartamento, en chambro, e.c.
都市、友達のところ、親のところ、アパート、部屋などに居住します。
laboras働くtrovas見つけるsidas座る
例文
La drinkerio esas/es vua laboreyo.
居酒屋があなたの仕事場です。
La pueri esas/es en la kavaleyo.
子どもたちが馬小屋にいます。
Mea hundo ne habitas en hundeyo.
私の犬は犬小屋に住んでいません。
Ni havas fisheyo en nia gardeno.
私たちの庭の中に魚の住む池があります。
La domo havas bela koqueyo.
その家にはすばらしい台所があります。
La yuni manjas en la manjeyo.
子どもたちが食堂で食べています。
Elu ne trovis sideyo.
彼女は座席を見つけられませんでした。
Mea domo esas/es la rezideyo di multa musi.
私の家はたくさんのネズミたちのすみかです。
Li ne trovis drinkeyo por la kavali.
彼らは馬の水飲み場を見つけられませんでした。
Li ne havas dormeyo en la skolo.
その学校では宿舎がありません。

「dum」と「en」について

次のような違いがあるので、注意して下さい。
Me manjis dum la nokto.
私は一晩中食べていました。(一晩を通して)
Me manjis en la nokto.
私はその夜に食べていました。(その夜の複数の異なった時間に)

「o」と「od」について

「e」「ed」と同じように、「od」は普通、次に来る単語が母音で始まるときに使われ、子音で始まるときに「o」がつかわれます。

造語法(ニュアンスを伴う形容詞)

「-al-」は、「〜に属する」とか「〜に関係する」という意味の形容詞を形成します。
ですから、日本語の[−的]にあたります。そのモノではありませんが、それに近いという意味です。
universalaracionala
普遍的な合理的な
universo(宇宙)raciono(理性)
linguo inter'naciona = エスペラントやイド語の様な国際語
linguo inter'nacionala = 英語やスペイン語の様な国際的言語

「-oz-」は、「〜に満ちている」「〜を含む」「〜豊かな」を意味します。
porozasablozakurajozafamoza
穴だらけの砂の勇敢な有名な
poro(穴)sablo(砂)kurajar(勇気ある)famo(名誉)
「-em-」は「〜する傾向がある」を意味します。
babilemaociemalaborema
話好きの怠惰な勤勉な
babilar(しゃべる)ociar(暇である)laborar(働く)
「-ik-」は「〜にうんざりして」「〜で苦しんでいる」を意味します。
ftiziikoartritikoalkoholiko
肺病患者関節炎アルコール中毒(患者)
ftizio(肺病)artrito(関節炎)alkoholo(アルコール)
「-atr-」は「〜のような」「〜によく似た」「〜じみた」を意味します。
sponjatraharatraverdatra
スポンジのような毛のような緑がかった
sponjo(海綿)haro(毛)verda(緑の)
「-e-」は、「〜の外見を持っている」「〜という色の」を意味します。
rozeavioleamusea
ピンク色のすみれ色のねずみ色の
rozo(バラ)violo(スミレ)muso(ハツカネズミ)
語彙
armeoautomobilobiciklodivenis
軍隊自動車自転車〜になった
dormeyokonduktasgrandegakamiono
ねぐら運転する巨大なトラック
kamionistopospatroposdimezo
トラック運転手〜の後で(時間)午後
soldatovesperoipsalito
軍人夕方…自身ベット
militonoktood/opri
戦争または〜について
dumsen
〜の間〜になしに

Mea Patro(私の父)

Mea patro esis soldato dum la milito.
私の父は戦争中、軍人でした。
En la armeo ilu lernis pri automobili e kamioni.
軍隊で彼は自動車とトラックについて学びました。
Ilu konduktis kamioni. Pos la milito ilu divenis kamionisto.
彼はトラックを運転しました。戦後、彼はトラック運転手になりました。
Ilu nun konduktas grandega kamioni. Ilu konduktas dum la matino e dum la posdimezo.
彼は今、巨大なトラックを運転したいます。彼は朝も午後も運転します。
Ofte ilu konduktas kamioni dum la vespero e la nokto sen dormar.
しばしば彼は夕方も夜も眠らずに運転しています。
Kande me esis puero me ofte iris kun ilu en la kamiono. Ni vizitis multa urbi.
少年の頃、私は時々、トラックに乗って父と一緒に行きました。多くの都市を訪れたことがありました。
Dum la nokto ni dormis sur lito en la kamiono od en dormeyo por kamionisti.
夜を通して、私たちはトラックの中のベットやトラック運転手の宿で眠ったものでした。
Me ipsa ne konduktas automobilo. Me esas/es tro yuna. Me havas biciklo.
私自身は自動車を運転しません。私は若すぎるのです。私は自転車を持っています。
語彙
aparasautunobrilasca
現れる輝くこの
dopdesaparashorizontojorno
〜の後ろに(場所)消える水平線、地平線日、昼間
kantaskoldakovrilolana
歌う冷たい毛布ウールの
lunoneplusepluraprintempo
もはや幾つかの
somerostelosunotante
太陽それほどの
trovasucelouzasvarma
見つける使う温かい
venasvintrosama ... kamquale
来る〜と同じだ如何に
例文
Quar varma nokti.
4日間の熱い夜
Non bruna uceli.
9羽の茶色の鳥
Pos tri vesperi
3日間の夕方
Dek grandega matri.
10人の大きなお母さんたち
Sis steli brilas.
6つの星が輝いている。
Ok lana kovrili.
10枚のウールの毛布
La sama sep kovrili.
7枚の同じ毛布
Du malada soldati rezidis hike.
二人の悪い兵士がここに居住していました。
Kin kavali dormis en ca lito.
5匹の馬がこのベットで寝ていました。
Un feroca olda kato esis sub la lito.
一匹のどう猛で老いたネコがベットの下にいました。

Bona Nokto(すてきな夜)

Dum la jorno la suno brilas. En la vespero la suno desaparas dop la horizonto.
昼の間、太陽は輝きます。夕方には太陽は地平線に消えます。
La uceli nepluse kantas. Li trovas dormeyo en la arbori e li dormas.
鳥たちはもはやさえずりません。彼らは森のねぐらを見つけて、眠ります。
La nokto venas. En la nokto la luno aparas e la steli brilas.
夜が来ます。夜には月が出て、星たちが輝きます。
En la nokto me iras a lito e lektas libro dum un horo ante dormar.
夜に、私はベットに行き、寝る前に一時間、本を読みます。
Me havas grandega lito qua esas/es en mea dormo-chambro.
私には自分の寝室にある大きなベットがあります。
Mea chambro ne esas/es varma dum la printempo e me uzas kin kovrili.
私の部屋は春の間は暖かくないので、五枚の毛布を使います。
Dum la somero la vetero esas/es varma e mea chambro ne esas/es kolda.
夏の間、気候は暖かく私の部屋は寒くありません。
Me uzas nur un kovrilo. En la autuno la vetero divenas kolda.
私は一枚だけ毛布を使います。秋には気候が寒くなります。
Me uzas plura kovrili. Me uzas sis lana kovrili.
私は何枚かの毛布を使います。私は六枚のウールの毛布を使います。
Dum la vintro la vetero esas/es tante kolda ke me uzas dek kovrili,
冬の間、天候は10枚の毛布を使うほどに寒いし、
e mea du granda hundi dormas en la sama lito kam la mea (quale me).
私の2匹の大きな犬たちは私のように同じベットに寝ます。

La familio (家族) familio[fa-MI-lyo]

avoavinoavulo
祖父母祖母祖父
patromatrogenitoroparento
両親親戚
spozospozinospozulo
配偶者
filio [FI-lyo]filiino [fi-li-I-no]filiulo [fi-li-U-lo]gefilii [ge-FI-lyi]
子ども息子息子と娘
fratofratinofratulo
兄弟姉・妹兄・弟
nepotonepotinonepotulo
女の孫男の孫
onkloonklinoonklulo
叔父・叔母叔母叔父
kuzokuzinokuzulo
いとこ従姉妹従兄弟
nevonevinonevulo
甥・姪

イド語の非公式的な世界

注意しなければならないアクセント例
通常は次のようなアクセントです。
fairo [fa-I-ro}, veino [ve-I-no] o naiva [na-I-va]
(しかし)「AY」「EY」「IY」「OY」「UY」の文字がある場合に、その次の文字が母音の時、それらは分離して発音します。たとえば、
lerneyolerne'yo [ler-NE-yo]lojeyoloje'yo [lo-JE-yo]
dormeyodorme'yo [dor-ME-yo]inkuyoinku'yo [in-KU-yo]
kafeuyokafeu'yo [ka-fe-U-yo]
しかし、新しく提案された単語では、次に子音が来る時は二重母音になります。
taypar [tay-PAR]fayro [FAY-ro}veyno [VEY-no]

Bebsob HOCHFELD の冗談
人間の女性にも美人からブスまでいる様に(価値判断は人それぞれ)、世界中の言語にも美しいモノから、聞き辛いモノまで色々ありますが、それを喋っている人達は情報交換ができれば良いので、醜い言語でも気にはしていない様です。例えばデンマーク語はとても聞き辛い言語の代表です。お隣のオランダ語も醜いと評判ですが、私は結構好きな言語の一つです。そして世界中の大勢の人間がイタリア語を最も美しい響きの言語であると考えているのは否定できないでしょう。エスペラントもイタリア語をお手本にした様ですが(英国のエスペラント語の教科書にそう書いてありました)、やはりスラブ語の音の性質がかなり残っていて余り綺麗な言語とは言えませんが、イド語はエスペランと語の響きを更にイタリア語に近づけておりますので、聞いていて大変心地よい言語の一つとなっております。更に上記の様に基礎的な単語も音が綺麗になる様に時々、代替品の新語に置き換えられて行く傾向がある様です。

Bebson HOCHFELD の宣伝文句(その6):


さあ、言語という武器を磨いてディベート(討論、議論、論争etc.)に於いて、相手を倒す技術を手に入れましょう。大変に困難な道ではありますが、技術に上達して最終的に頻繁に相手に勝てる様になると、或る事に気付く様になります。それはディベートの真の目的が相手に勝つ事などではなく、相手が(隠し)持っている貴重な情報を手に入れて自分の役に立てる事なのだと。ですから、ディベートを引き分けにしたり、ワザと相手に負けて見せる事が必要になる時があります。でもこの高等技術は相手に完全に勝てる力が無ければ、つまり貴方が弱ければ、勿論、絶対に使えない技でもあります。

武術でも達人になりますと、戦いを起こす前に、相手の戦意を喪失させて戦いを防ぐ事が可能になります。武術の『武』の字は『戈(矛)ホコ』を未然に『止める』とゆう意味なのです。武は、本来、人殺しの技術なのですが究極に至ると、人を殺さずとも戦いを収めて平和な状態を作り出せるのですが、お互いが弱ければ、実は戦いを避ける事はできません。

ソ連と米国が冷戦を戦った時代には、お互いにお互いを殺しあう力を核技術が可能にしておりましたので、実際の戦争を起こす事ができずに、両国の間では長い平和が続きましたよね。

まずイド語を磨いて、普通の相手でしたら簡単に倒せるディベート技術を手に入れましたら、利益がこちら側にあれば、実質的には相手に勝っていても表面上は相手が勝った状態を作り出し、時には敵である相手を見方に変える程の力を手に入れたいモノです。

操作の難しい武器(英語)を手にして、戦いの技術を身に付けるのは至難の業です。特に日本人は、この武器(英語)とは相性が悪いのですね。これは外務省を見れば良く分かります(外交官の皆様御免なさい!でも商社員の方々の方が概して生きた英語は上手い。)。武器はその操作が単純で例外が少ない程に熟達が可能になります。それでもそのシンプル(単純)な武器(イド語)を使用してすら、ディベート技術を高めるのには努力が必要です。

前振りが長くなりましたね。できましたならば、皆様方には、戦いの先にある平和とゆうモノを知って頂ければと願っております。

イド語を勉強して、その素晴らしい世界を体験してみて下さい。キット後戻りできなくなります。