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「……いつも……ありがとうございます……」


 霞んで消えてしまいそうなその声に、私は凄まじい罪悪感を駆り立てられて、背を向けた―――。




 この芸能プロダクションの地下には、牢獄が存在する、といえばほとんどの人間は冗談だと思うだろう。
 事実、その噂は都市伝説じみて、世の人々の与太話の種となっているようだ。
 無理もない。
 芸能プロダクションが自前の牢獄を持つ必要性など、普通に考えれば微塵も存在しないのだから。
 ……それが事実だと知っているのは、私を含めこの牢獄で働く数人と、上層部の一部、そして―――実際に収容されている少女たちのみだ。
 全てを含めても、ほんの30人にも満たない人数にしか知られていない、闇の中の闇。
 だが、そこに間違いなく、その地獄は存在していた。




 私は、この牢獄の守衛兼看守を任されている。
 しがない有期の警備員だったはずの私の何を評価したのか、他言無用だの放言した場合のペナルティだの、大小様々な契約書を書かされて、私はこの仕事に異動となった。
 警備員時代は外来客への応対、邪な目的でプロダクションに侵入を試みる不埒者の撃退と、なかなかに忙しかったものだが、今はそうでもない。
 やることといえば日常業務、牢獄の見回りだとか、食事の配給だとか、訪問者の受付だとか……それだけだ。
 そして今日も朝食の配給のため、私のいる看守室から一番近い、一番ボロボロの独房を訪れたのだが―――。



 消え入りそうな言葉だったのに、その言葉は私の頭を鉄の塊で殴ったかのような衝撃を与えてきた。
 感謝の言葉。
 いや、私は断じて、感謝されるようなことをしていない。
 毎日、食事を持って行っているだけ。
 それも善意ではなく、仕事だからだ。
 どんな理由があれ、明らかに少女たちの人権を蹂躙している事務所側に異を唱えず、唯々諾々と事務所の指示に従っているつまらない男だ。
 それなのに、なぜ。
 なぜあの少女は、優しいままでいられるのだ。



 あの少女の名前を、私は知らない。
 アイドルに興味がないから知らない、というのも原因の一つだが、本来ならそれは問題にならない。
 なぜならこの牢獄の看守たる私の手元には、収監された少女たちの名簿があるのだから。
 だが―――あの少女の名前だけは、手元の名簿にはない。
 ただ単に、手元の名簿には明らかに本名でない、『偽物』という単語だけが記され、それ以外の呼称で少女を呼ぶことは念入りに禁じられている。
 一度理由をあの少女の元プロデューサーであるという男に聞いたことがあるのだが、笑ってはぐらかされてしまった。
 ……おそらく、私が知るべきではないことなのだろう。
 そも、あの少女の腹部に大きく焼き鏝で『偽物』の文字が刻印されている時点で、闇の深さは感じるべきだったかもしれない。
 あまりに浅慮な問いであったと、今は後悔しているくらいだ。


 ともかく、私はあの少女の個人情報を、何一つ所持していない。
 分かるのは、あの少女の独房が看守室から一番近く、食事を配給する際は一番に訪れる独房であること。
 あの少女はまだ、食器の使い方を忘れておらず、食べこぼしなく食事ができる(これは地味に貴重だ。ここに収監された少女の7割は箸やスプーンを使えない)こと。
 そして、日常的に牢獄の外へ連れ出され、苛烈な凌辱を受けていること。


 
 看守室に戻り、監視カメラの映像を見る。
 あの少女は毛布にくるまって壁際に座りこみ、のろのろとした手付きで私が配給したパンの切れ端を口に運んでいた。
 少女に限ったことではないが、ここの食事は粗末を極めている。
 事務所の社員食堂の残り物がさらさら隠す気もなくここに運び込まれて、温めなおしたり悪くなったものは捨てるなどという配慮をされることなく、収監された少女たちに供されている。
 量も小学校低学年向けの給食以下の少なさで、とても年頃の少女が健康を維持しきれるレベルではない。
 事実、私がここに来てから、二人ほどの少女を栄養失調によって看取った覚えがある。
 いずれも元々ここに来る前に内臓機能をほぼ破壊されていたのが大きな要因と医療班は結論づけていたが、とどめを刺したのは間違いなくここの粗末な食事ではないだろうかと私は睨んでいた。
 ……そもそも内臓機能を破壊されるというシチュエーションが異常だという点には、目をつぶることとした。
 これも知ってはいけないことの一部だろう……ほぼ間違いなく。

 
 話が逸れた。
 栄養失調での死亡案件、そしてもう一つのある理由。
 その二つを根拠として、私は、ダメ元で上に食事の改善について掛け合った。
 その時は別に義憤に駆られたわけでも、憐憫の情が湧いたからでもない。
 食事の度に収監された少女たちから向けられる怨嗟の眼差し。
 それに耐えきれなかったからだ。
 何とも情けない話だが、毎日3回、食事の配給の度に静かな怒りを向けられるのが、メンタルの強くない私には苦痛だったのである。
 それから逃れるために、私はほとんど唯一、食事の質量に対して不平不満を見せなかったあの少女を、理由の一つとして上と交渉したのだ。

 
 当時、彼女は妊娠していた。
 『偽物』と記された刻印の下の僅かなふくらみに気づいたのは、おそらく妊娠12週前後に入った時。
 悪阻の症状を見せ始めた彼女を、もしやと思いつつ医療班に診るように要請したら、ドンピシャであった。
 間違いなく、こんな扱いを受ける少女の妊娠は、彼女が望んでのものではないだろう。
 だが形はどうあれ、妊婦である。
 流石に妊婦の食事内容は、今のままというわけにはいくまい。
 上もそう判断したのか、食事に関しては生ごみから、動物のエサレベルくらいまではランクアップを果たした。
 妊婦にたいして十分とはいえないが、これで怨嗟の視線は受けずに済む、あとはあの少女の食事だけでももう少し人間らしくしてくれたら―――。
 そんな呑気なことを考えていた私は、しかしそれ以上、食事に関して上と交渉する必要はなくなった。
 
 
 ある日、前日夜遅くまで外に連れ出されていたあの少女の独房に行くと、毛布に包まってすすり泣く彼女の姿。
 そして、部屋の片隅に置かれたホルマリン漬けの小さな瓶の姿を見たから。
 少女の腹部は、まるで膨らみなど元々なかったかのように、平坦のままだった―――。




 トントン、とノック音が部屋に響く。
 どうやら、思い出に浸り過ぎたようだ。
 部屋を出て対応すると、どうやら恒例の、収監された少女の外出許可をもらいに来たらしい。
 仕事の時間である。
 続々とやってくる希望者に通り一遍の受付を済ませ、許可の印を紙に押していく。


 収監された少女たちが外に連れ出され、何をされているのかは私の関知するところではない。
 が、推し量るまでもなく、それは容易に察せられることだ。
 裏社会の男たちの慰み者、もしくは、人間ですらないものとの交わり、非合法、非人道的な実験。
 ここに帰ってくる際の彼女たちの様子、そして何より、彼女たちを借り受けにここに来る男たちとの雑談で、私は少女たちの身に何が起こっているか把握していた。
 そして、それを把握した上で、黙認している。
 
 許可、許可、許可、許可、許可、許可……。

 同じ内容のハンコを押すだけの仕事を半ばまで終えた後、私は一瞬だけ、印を押す手を止める。
 次に押すべき欄は、乱雑に『偽物』と書かれた許可証の認印欄。
 今朝、ありがとうと、感謝の言葉をくれた少女の欄。
 私は一瞬だけ、押すのを躊躇し―――しかし、他と同じように許可の印を印した。
 
 
 こんな男だ、私は。
 苛烈で理不尽な目に遭うあの少女に心情的に肩入れしながら、度胸なく、加えられる凌辱を傍観している。
 感謝の言葉を言われるほどの男じゃない。
 彼女に同情する権利のある、男でもない。




 

 そのまま、一日は終わった。
 あの少女は帰ってこない。
 まあ、たまにあることだ。
 あの少女は特に念入りに責め苦を受けさせられるほうらしく、2,3日ここに帰ってこないことはざらにある。
 噂によると、もはや一人では歩行すら困難な彼女を連れ回して、凌辱を与え続けているとか。
 ……私には、どうすることもできない。
 



 週末だったので、次の日から2日間は休日だった。
 なんともなしに、テレビを点けてみる。
 普段見ないワイドショーの画面をぼーっと眺めていると、何だか見慣れた顔がある。
 アイドル達の、武道館ライブのニュース。
 全部ではないが、ところどころに知っている顔がある。
 牢獄に収監されている少女たちと、同じ顔だ。
 あれが、彼女たちのオリジナルか。
 なんとなく感心しながら、私はテレビを眺める。
 煌びやかな衣装を着て踊る彼女たちは確かに綺麗で、いつも見る疲労と凌辱に薄汚れた顔とはだいぶ違って見えた。
 それはおかしな感動を私に与えるのと同時に、私が扱っているのはオリジナル以下のクローンなのだと、再度突きつけられるような感覚を与える。
 
 ひとしきり眺めた後、私はチャンネルを変えようとリモコンに手を伸ばし―――彼女を見つけて、その手を止める。

 

 あの少女だ。
 普段見るより大分美しく見えるが、間違いない。
 本物の、オリジナルのあの少女だ。
 思わず、見入ってしまう。
 どうやら彼女はインタビューを受けているようで、それに答える声は優し気で、しかし芯がしっかりとある。
 掠れた、弱々しい声しか聞いたことがなかった私は、少なからず驚いた。
 見とれていたと言ってもいい。
 彼女は―――本来の彼女は、こんな女の子なのか。
 私がどれだけ、彼女のことを知らなかったのか、今度はそれを突きつけられている気分だった。
 本来の輝き。
 元々は、彼女にあったはずの―――。

 
 そこまで考えて、私は首を傾げる。
 彼女にあったはずの輝き?そんなものはないはず。
 ……私が知るあの少女はクローン、なはずだ。
 おそらくは性処理用か実験用かに作られた、一山いくらの安価なクローン。
 その証拠に、腹部にはちゃんと『偽物』の文字が―――。


 ―――考えてみれば、それはおかしい。
 ……なぜわざわざ、『偽物』の刻印が押され、本来の名前で呼ぶことも禁じられているのだ?
 他にそんな措置を施されているクローンは、誰一人としていないというのに。




 週明け、早めに出勤した私は、あの少女の独房を訪れようとして―――看守室で絶句した。
 業務用PCに届いた一通のメール。
 そこには、あの少女の管轄が別の研究棟に移ったこと、独房内の清掃を行ってほしいことなどが記されていた。
 私が勘付いたから彼女は移動をさせられたのか、などという陰謀論じみた考えが一瞬頭に浮かんだが、僅かに残った冷静さがそれを否定する。
 こんな一有期社員のいかなる言動にも事務所側が反応をよこすはずがない。
 ただの偶然だろう……私にとって少しく不運な。


 しばらくして冷静さを取り戻した私は、しかし未練がましく、彼女のいた独房へ向かう。
 聞いてどうするのか、知ってどうするのか、そんな思いもあったが……知りたかったのだ。
 あの少女が、果たして何者だったのかを。


 独房の中は、改めて意識するとやや異臭がした。
 ろくにあの少女が身体を洗われていなかったからだろう。
 微かな男性の精液の臭いすら感じる。
 妊娠していたこともあるのだからそういった仕打ちを受けていたのは知っているが、現実にその爪痕を突きつけられると心が掻き毟られる気分になった。
 僅か、この独房から背を向けたい気持ちも湧き出してくるが、それに蓋をして、独房の中を私は調べていく。


 シーツを剥がし、申し訳程度のサイドテーブルを漁り、部屋の片隅に転がった胎児のホルマリン漬けをゴミ袋に放り込んで―――私は見つけた。
 数枚のメモ用紙と、小さな鉛筆。
 どれもクシャクシャで、文字も掠れかけていたが、確かにあの少女の文字だろう。
 食い入るように、私はその文字に読みふける。




 ひどいことされた。
 いらないって、そんなこと言うお前はいらないって。
 なんで?なんで?おかしい、おかしい
 間違ってるもん……!
 みんなかわいそうじゃないですか!
 なんで、なんで……



 ねむい、つかれた
 みおちゃん、ごめん
 あかねちゃん、ごめん
 あしいたい、おしりいたい、あそこいたい



 私のせい私のせい私のせい
 がまんできなかったから
 気持ちいいのがまんできなかったから
 あああ!みんな、ごめんね……



 よかった……
 もう一人私がいるから、みおちゃんとあかねちゃんはさびしくないって……
 うれしい、うれしい……!
 お父さんもお母さんもさびしくない、うれしい……


 
 にせものだって、いわれた
 ちがうのに……私、ほんものなのに……
 なんでひどいことするんですか……?
 もうきもちいいのはやめて……!



 おなかの中に、あかちゃんがいるみたい
 きつい、くるしい
 けど、この子はわるくないんだから……!
 ごはんもおいしくなった
 ありがとう……



 ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい
 ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい



 おさんぽ、したいなあ……
 すこしでいいから、きんじょのこうえんとか……
 あいどる、もうちょっとだけしたかったなあ……
 おとうさん、おかあさん、みおちゃん、あかねちゃん、ぷろでゅーさーさん、ふぁんのみなさん、かんしゅさん、みんな……ありがとう





「……さて、これで手続きは完了です。商品をお渡しいたしますので、3番窓口にどうぞ」


 受付の事務的な言葉に私は軽く頷くと、指示された受付でその『商品』を受け取った。
 そのまま、車の後部座席に乗せて、自宅へと運ぶ。
 

 あれから一ケ月。
 私は看守を―――あの事務所を辞めた。
 上の方は色々な秘密を持つ私を辞めさせることを渋ったようだが、体内に監視用のナノマシン(そんなものが実用化されているとは驚きだ)を注射することで辞職を許してくれた。
 ……正直、始末されなかったのは幸運だと思っている。
 あの事務所なら、人ひとりを抹殺するくらい造作もない事だろうから。


 自宅に到着し、『商品』を家に運び込む。
 傍から見ると、この運搬風景は犯罪にしか思えないだろうな、と一人苦笑しながら、私は『商品』を―――『彼女』を、優しくベッドに下ろした。
 

 未だに、悔恨はある。
 私は『それ』に相応しくない男だと、値しない男だとの思いは強い。
 だが……いや、だからこそ、贖罪をしなくてはならない。
 あの感謝を、私には勿体ない感謝の言葉を―――彼女の優しさを。
 無駄にしない、ために。

  
 これが贖罪になるものかと、一か月悩んだ。
 けれど、それももう終わりだ。
 目を覚ました彼女に対して何と言おう?
 謝罪?感謝?
 いや、右も左も分からぬこの『彼女』にはちんぷんかんぷんだろう。
 そうだ―――。


「う、ん……。あれ……?ここは……」


 ―――まずは名前を、返してあげるべきだろう。
 今の彼女は『偽物』なんかじゃなく―――。


「……初めまして、藍子」


 それが出会い。
 私と『高森藍子』との、最初の出会い―――。
 
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