カネミ油症事件は終わっていない - 『家族の食卓』より
カネミ油症事件 聞き取り記録集 家族の食卓より

『家族の食卓』はカネミ油症被害者支援センター(YSC)の石澤春美さんと水野玲子さんが、2000年から数年間にわたって、
各地の被害者を訪ね歩いて、直接聞き取った被害者のことばをまとめられたものです。
このたび石澤春美さんのお許しを得て、そのうちのいくつかを掲載させていただきました。

 これまで聞いたことは、どれひとつとして忘れることが出来ない大切な証言であり、
どんな些細に思えることでも記録としてここに留めておくことにする。
 それらは、これまで誰ひとり予言することができなかったのであり、今日に至っても、
その貴重な体験に真摯に耳を傾ける人は少ないからである(中略)
 この貴重な証言を、私たちの子ども達のために、そして化学物質の予防対策のために
活かしてほしいと切に願っている。(あとがきより)

『カネミ油症事件 聞き取り記録集 家族の食卓』 聞き取り・文 カネミ油症被害者支援センター 石澤春美 水野玲子
カネミ油症被害者支援センター 〒171−0014 東京都豊島区井下袋3−30−8 未来館 大明 108教室

目次
1  17歳の生涯2  我が子3  経済大国日本の影で4  泡立つ油
5  督促状6  嵐の中に7  叫び8  母子の暮らし
9  飲んでいた油10 黒い皮膚11 腕の中で12 認定と未認定
13 原爆投下のまちから逃れて14 夫の遺品15 断ち切られた子孫16 苦悩
17 失明



17歳の生涯 女性61才(認定)


十七歳の少年の死は、全国のカネミ油症被害者に大きな衝撃を与えた。
次は誰なのか、自分ではないか、と不安が広がったという。
油症の母親の胎盤を通していくつもの障害を受けながら、一生懸命生きた姿は
人々の心に生き続けている。
多くの人が「生命の尊さ」を学んだという。
残念な少年の死であった。

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我が子 女性62歳(認定)


訪ねた日は、空が青く澄んでいた。
ドアを開けると南側の太陽を遮るように厚地のカーテンを閉めていた。「明るい
光はいやだ 」と言う。
吹出物のあとを残す、赤らんだ顔で少しずつ話してくれた。話しの中で「まぶた
がすぐ下がってくるんよ 」と言って何度も指先でまぶたを押さえていた。
二度目に訪ねた時は「東京から友だちが来たよ」と電話で油症の仲間を呼んで
くれた。支えあう仲間の大切さを学んだ日であった。
 

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経済大国日本の影で 男性80歳(認定)


ひとりで島を訪ねた時は夕闇迫る頃であった。宿に着いて電話をしたらすぐに被害者を
集めて娘さんと共に迎えに来てくれた。
翌日は朝早くから島のはずれに住む人たちを案内してくれた。
その後宿に集まり皆で話し合った時、このままでは済まされない気持ちになった、という。
油症となり亡くなった人たちの話は、いつも涙を流す。
その想いが新しい会の発足となった。
バイクで仲間を訪問する姿は力強く、年齢を感じさせない行動力の持ち主である。
 

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泡立つ油 女性70歳(認定)


宿に着き電話をしたら、翌日会いに来てくれた。
メニエール病で永年入院し、退院後も家の中で過ごすことが多いという。
その後に訪問した時は熱っぽい赤らんだ顔で病院のベッドにいた。
三人の子どもさんのことを心配そうに語り、
「お父さんが今のところ元気なのでありがたい」と言っていた。
数日前、「夫が末期のがんであると宣告された」との電話が入った。

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督促状 男性36歳(認定)


今日こそは、と思い訪ねるがなかなか彼の両親のことが聞き出せなかった。
やっと自然な会話の中で聞くことが出来たのは四回目の訪問の時であった。
生涯、消えることのない深い心の傷に触れたことへの罪の意識が自分の中に残った。
帰りぎわに私の行き先の方向に親子三人で車で送ってくれた。
彼は、幼い時に失った家庭の温かさを全身で味わっているようだった。

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嵐の中に 女性48歳(認定)


2000年、原田正純医師の自主検診で会った人たちが忘れられずその地を訪ねた。
早朝、迎えに来てくれた被害者に案内してもらい家々を訪ねた時「今日は体の調子が
良いから」と言って初めて会ってくれた。
整った顔立ちに優しさが溢れ、すぐ打ちとけて話し合えた。話しの中で何度も涙が
頬を伝わった。「ご主人が優しくて幸せね」と言ったら、優しい笑顔に戻った。人の
支えに救われて強く生きられることを実感した訪問であった。
ここに紹介した内容は、その後に心境を録音し、送ってくれたテープと話し合った
内容をまとめたものである。
2005年5月、緊急入院したとの連絡が入った。

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叫び 女性62歳(認定)


いつも、掌で顔をつつんで話をする。
話しの中で、時折見せる笑顔と明るい声は、和やかだった時の暮らしを想わせる。
夢が実現出来なかった家の庭に、大根の葉が太陽を浴びて濃い緑色に育っていた。
「太陽は好かんよ」瞬きをしながらつぶやいた。
夫の体のこと、子どもたちのこと。自分の体のこと、仮払金返還の苦悩が頭から離れない。
発症から現在までを、涙ながらに語った。

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母子の暮らし 女性71歳(認定)


最初にあった時は額に深くバンダナを巻いていた。もろくなった骨を削り取り額は
半分しかないという。
二人の娘さんは結婚し、ひとり暮らしの住まいに訪ねた。「鼻腔性悪性黒色腫」の
大手術のあと、味覚、嗅覚がなくなった。熱いもの、冷たいもの、ガスの臭いなどが
解らないという。
仮払金返還問題でアパートに引っ越した。ひとり暮らしは油症の体に過酷な生活であった。

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飲んでいた油 女性77歳(未認定)


最初に訪問した時は二人の娘さんが買ってくれたという発汗、かゆみを抑える
電動機が部屋に置いてあった。
「かゆくてしょうがないんよ」
と言って見せてくれた脚も腕も吹出物のあとが幾重にも重なり血が滲んでいた。
布団たたきで脚をたたきながら話してくれた。
「お茶をどうぞ」とにこやかに出してくれ、幼い時の写真を出して見せてくれ
た娘さん(長女)。
その翌年に亡くなるとは・・・。
言葉が出ない悲報であった。

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黒い皮膚 女性80歳(認定)


電話での話し合いのあと自宅に伺うことを約束した。
膝や脚が痛み歩行が困難だと言っていたが、約束の時間に伺うと友人を頼んで昼食を用意
して待っていてくれた。
ひとつひとつ丁寧な話し方に五人の子どもを苦労を重ねて育ててきた自信が窺えた。諦め
ていたカネミ油症被害者救済を再度考えることとした動機は、二世、三世への影響が自分
の家族や仲間から聞かれるようになったことだ、と話した。

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腕の中で 女性77歳(認定)


2000年の訪問で話したあと帰り支度をしていた時に「一緒に食事をしませんか」と
話しかけてみた。
「そうしようかね」と、笑顔で答えてくれた。
それからいろいろと話がはずんだ。
23歳で亡くなった長女・・・
涙なしでは語れない。
「今日は聞いてくれるひとがいて幸せやった」と言葉を残し帰った。
ひとり暮らしには二人の家族の死は、あまりにもつらくさびしい。

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認定と未認定 男性76歳(認定)


「きれいな花ですね」
と思わず言葉になった程、庭に彩とりどりに花が咲いていた。
居間に通していただき話を聞いた。
治療法がない病気とたたかい、今は自然療法を心がけているという。
帰る時、奥さんが見送ってくれた。
「油症を知らずに結婚をしたのよ、子どもを生むのがとても怖かった」
と、語った。

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原爆投下のまちから逃れて 女性73歳(認定)


「原爆投下のまちから逃れるように島に来てカネミ油症となった」と涙ながらに語った。
夫と三人の子どもに恵まれ、教会に通いながら幸せな日々だったと、涙が溢れた。
現在腰痛が悪化し、歩行が困難となっている。三人の子どものこと、更に「孫のことが心配」と語る。
原爆症とカネミ油症、犠牲者は果てしない。

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夫の遺品 女性59歳(未認定)


集会で会った時、「近くに、カネミ油症被害者が経営する温泉があるのよ、未認定者だけ
ど・・・」と案内してくれた。油症に温泉療法が良い、とされたが、当時は快く受け入れ
られなかった、という。
「ここは大丈夫よ」
と言いながら、星を見て、共に心ゆくまで、湯につかったあと話してくれた。

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絶ち切られた子孫 女性80歳(認定)


交流集会で初めてKさんに会った。
声をかけ話を聞いたが、途中で閉会となり再会をお願いして帰路に着いた。
訪問が実現出来たのは翌年の夏の日であった。冷茶をいただきながら話を聞いた。
女性同士ならではの話し合いが出来た日であった。

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苦悩 夫76歳(認定)妻73歳(認定)


2005年7月1目、日本弁護士連合会人権擁護委員会、担当弁護士五名の諸氏が人権救済
を申し立てているカネミ油症被害者とのヒヤリングのため、長崎県五島列島に来島した。
被害者の公開による申し立てと直接面談による申し立てが、五島市玉之浦地区で行われた。
その中で父親と並んで立ち訴えた末の娘さんの声、姿は会場に涙を誘った。亡くなった兄、
油症を患う兄妹、油症発症から苦労続きの両親の代理で訴える姿は、静かに、強く、印象的
であった。

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失明 女性75歳(認定)


初めて自宅を訪問した時、ハンカチで目を押さえながら話してくれた。
眼脂過多が続き手術を繰り返したあとに片眼を失明したという。
心臓も悪くなり入退院を繰り返している。
四人の子どもたちとカネミ油を食べてからの体の異変と生活、原因企業、国への要請行動
のことなど、30数年の軌跡を確かな口語で語ってくれた。

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