政治経済法律〜一般教養までをまとめます

 法は社会規範であるから、他の社会規範、とりわけ道徳や慣習とは密接な関係を有している。特に法と道徳との関連と区別の基準は、イェーリングが、「法哲学のホーン岬」と呼んだように2つの領域の分界点であるとともに法学の基礎理論の一大難所であるが、法の本質を考察するうえで基本的な問題であり、古くから法学者によって考究されてきた。
  • 法と道徳の関係
 かつて「法は道徳の最小限」といわれた。確かに、人を殺すなかれ、他人の物を盗むなかれ、ということは道徳規範であるが、同時に法規範でもある。刑法の規定の多くがそうである。また、人は他者を思いやるべしとか、夫婦は互いに愛し合うべし、ということは道徳であるが、法規範として公権力により力ずくで強行するには適しないもので、実際にも、こういうことを直接的に定めた法はない。してみると、この説は正しいかのように思われる。しかし、道徳とは無関係な法もある。たとえば、道路交通法における右側通行・左側通行の規則はこの例である。手続的法規あるいは行政的法規のほとんどはそうであるといえる。さらに、法には反道徳的なものすらある。公営ギャンブル(競馬、競輪、競艇など)を認める諸法律などはそうであるし*1時効が完成したならば借金は返さなくともよい(民法166条〜174条の2)等の規定は、道徳の観点からは肯定できないであろう。このように法と道徳は重なり合いながらも、それぞれ独自の領域を持っているのである。
 しかし同時に法の実効性は、「人は法を遵守すべきである」という道徳によって支えられている点に注意しておかなければならない。
  • 法と道徳の区別
 まず、法を道徳の最小限とする説(領域説)がある。これは前述のように適当でない。次に、道徳が心の中の意思を規律の対象とするのに対し、法は外部に現れた行為を規律するものとする説(対象説)がある。だが、たとえば刑法上で故意の行為と過失の行為とでは法的な取り扱いが異なるように(刑法38条1項参照)、法は内面の心の状態をも問題にすることがあるのでこの説は当をえない。第三の説は、両者の相違をその内容にではなく、公権力による強制の有無に求めようとするものである(強制性説)。つまり、法は公権力にりそれが強行されるのに対し、道徳はその遵守が本人の良心にかかっているか、あるいは、せいぜい人々の非難を気にする程度であるというものである。この説は、法が公権力の強行に支えられてた規範であるという要素に着目して、法と道徳との区別に成功しており、今日の通説である。
  • 近代法における法と道徳
 近代国家成立の以前においては、法と道徳とは未分化の状態であったのに対して、この両者の関係が特に論じられるようになったのは、近代法においてである。それは近代市民社会の社会的要請があったからである。すなわち、法が公権力によって強行されるものである以上、法の範囲を明確にすることは、とりもなおさず公権力の介入する限界を明確にすることである。この限界づけにより、公権力はどの線を越えると介入してくるか、国民の自由な活動、とりわけ自由な経済活動の確保の必要上、このことに関して予測可能性を確保しようとする要請があったからである。
 しかし、この考えを徹底すると法に違反さえしなければ何をしてもよいという社会的風潮が生じる。そこで現在では再び法と道徳との意識的な融合がなされ始めている。たとえば民法に「信義誠実の原則」(民法1条2項)が規定されているのはこの例である。


テーマ1 法の概念

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