最終更新: kyo_miyato 2017年04月27日(木) 22:04:25履歴
金閣寺は室町幕府3代将軍足利義満が応永4年(1397)に造営した北山殿に始まる。義満の没後に禅寺となり、義満の法号から「鹿苑寺」と称した。通称の金閣は( 11 )のこと。( 12 )に臨んで建ち、一層は「法水院(ほっすいいん)」、二層は「潮音洞(ちょうおんどう)」、三層は「究竟頂(くっきょうちょう)」という。境内には金森宗和好みの茶席「( 13 )」がある。 銀閣寺は室町幕府8代将軍足利義政が文明14年(1482)、浄土寺跡に建てた東山山荘に始まる。義政没後に禅寺となり、義政の寺号から「( 14 )」と称した。二層の楼閣で、下層を「心空殿(しんくうでん)」、上層を「潮音閣(ちょうおんかく)」という。また、持仏堂の「( 15 )」は、付書院や違棚をもつ書斎の「同仁斎」などからなり、( 16 )の初期形態として貴重である。 西本願寺は、宗祖である親鸞の娘の( 17 )が東山に建てた大谷廟堂に始まる。天正19年(1591)に( 18 )が現在地に寺地を寄進し、慶長7年(1602)徳川家康から寄進された烏丸七条の地に教如が東本願寺を分立して以後、西本願寺と呼ばれる。滴翠園(てきすいえん)内にある飛雲閣は( 19 )の遺構と伝えられ、金閣・銀閣と共に京都の「三閣」の称されている。一層には「招賢殿(しょうけんでん)」や「舟入之間」があり、二層は三十六歌仙を描いた「歌仙之間」で、三層は「( 20 )」と呼ばれる。 |
(11) 金閣寺は正式名称を「鹿苑寺」といい、通称の金閣は( )のこと。
(12) ( )に臨んで建ち、一層は「法水院(ほっすいいん)」、二層は「潮音洞(ちょうおんどう)」、三層は「究竟頂(くっきょうちょう)」という。
(13) 金閣寺の境内には金森宗和好みの茶席「( )」がある。
(14) 銀閣寺の正式名称は「( )」という。
(15) 持仏堂の「( )」は、付書院や違棚をもつ書斎の「同仁斎」などからなり、( 16 )の初期形態として貴重である。
(16) 持仏堂の「( 15 )」は、付書院や違棚をもつ書斎の「同仁斎」などからなり、( )の初期形態として貴重である。
(17) 西本願寺は、宗祖である親鸞の娘の( )が東山に建てた大谷廟堂に始まる。
(18) 天正19年(1591)に( )が現在地に寺地を寄進し、慶長7年(1602)徳川家康から寄進された烏丸七条の地に教如が東本願寺を分立して以後、西本願寺と呼ばれる。
(19) 滴翠園(てきすいえん)内にある飛雲閣は( )の遺構と伝えられ、金閣・銀閣と共に京都の「三閣」の称されている。
(20) 飛雲閣の一層には「招賢殿(しょうけんでん)」や「舟入之間」があり、二層は三十六歌仙を描いた「歌仙之間」で、三層は「( )」と呼ばれる。
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