最終更新: kyo_miyato 2017年04月28日(金) 01:46:31履歴
(21) 国の特別名勝「青女の滝(あおめのたき)」で有名な法金剛院は、平安時代の貴族である( )の別荘跡地に建てられた。
(22) 元は法性寺(ほっしょうじ)五大堂の本尊で、康尚(こうしょう)の作品では唯一の現存作例として知られる不動明王坐像(重文)は、現在は東福寺の塔頭である( )に安置されている。
(23) 三十三間堂は、後白河上皇の院御所であった法住寺殿の西隣に、( )の造進によって創建された。
(24) 大徳寺の塔頭である龍光院には、小堀遠州の作と伝える茶室「( )」があり、床や違い棚などの書院造の形式を備えている。
(25) 慶長8年(1603)、( )によって再建された東寺の金堂(国宝)は、桃山時代の大仏堂の代表作として知られる。
(26) 江戸時代、狩野派の本家筋は江戸へ移り「江戸狩野」を形成する一方、( )らは京都に残って活躍し「京狩野」と呼ばれた。
(27) 借景庭園で有名な円通寺は、元は( )の離宮である幡枝御所(はたえだごしょ)であった。
(28)『都名所図会』に続き、庭園のガイドブックともいえる『都林泉名勝図会』を著わしたのは( )である。
(29) 琵琶湖疎水の水を京都御所へ防火用水として送るための施設であった「九条山浄水場ポンプ室」は、( )が設計を担当した。
(30) 明治39年(1906)、本格的洋画研究所の先駆けとして( )が岡崎に関西美術院を設立し、初代院長に就任した。
(22) 元は法性寺(ほっしょうじ)五大堂の本尊で、康尚(こうしょう)の作品では唯一の現存作例として知られる不動明王坐像(重文)は、現在は東福寺の塔頭である( )に安置されている。
(23) 三十三間堂は、後白河上皇の院御所であった法住寺殿の西隣に、( )の造進によって創建された。
(24) 大徳寺の塔頭である龍光院には、小堀遠州の作と伝える茶室「( )」があり、床や違い棚などの書院造の形式を備えている。
(25) 慶長8年(1603)、( )によって再建された東寺の金堂(国宝)は、桃山時代の大仏堂の代表作として知られる。
(26) 江戸時代、狩野派の本家筋は江戸へ移り「江戸狩野」を形成する一方、( )らは京都に残って活躍し「京狩野」と呼ばれた。
(27) 借景庭園で有名な円通寺は、元は( )の離宮である幡枝御所(はたえだごしょ)であった。
(28)『都名所図会』に続き、庭園のガイドブックともいえる『都林泉名勝図会』を著わしたのは( )である。
(29) 琵琶湖疎水の水を京都御所へ防火用水として送るための施設であった「九条山浄水場ポンプ室」は、( )が設計を担当した。
(30) 明治39年(1906)、本格的洋画研究所の先駆けとして( )が岡崎に関西美術院を設立し、初代院長に就任した。
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(30)公式テキスト[新]371ページ