最終更新: kyo_miyato 2017年04月28日(金) 02:02:48履歴
平成20年(2008)は、『源氏物語』が記録の上で確認されてから、ちょうど一千年を迎える。作者の( 81 )は、漢詩文の名手として知られた藤原為時の娘として生まれ、のちに藤原道長の娘で一条天皇の中宮である( 82 )に出仕した。彼女が父と暮らした邸宅跡が、現在の( 83 )であるとされる。 『源氏物語』の主人公である光源氏のモデルの一人ともいわれる人物が源融(みなもと の とおる)である。( 84 )の皇子で、臣籍に下り源姓を名乗った。融は多くの邸宅や山荘を営んだが、その中でも六条鴨川近くに造営した邸宅「( 85 )」や嵯峨の棲霞観(せいかかん)が有名である。棲霞観の後身である( 86 )には、「光源氏写し顔」の伝説がある阿弥陀如来が残り、現在は霊宝館に安置されている。 「葵」の巻は、六条御息所を中心とした物語で著名である。前東宮妃の六条御息所は嫉妬深く、( 87 )を見物に出掛けた際の車争いが原因で、源氏の正妻である葵上(あおいのうえ)に生霊となって取りつく。葵上は夕霧を出産したが間もなく亡くなり、自責の念に苦しむ六条御息所は、源氏への思いを断ち切るために、斎宮に決まった娘に付き添い伊勢下向を決意する。源氏との別れの場面を描いた「賢木」の巻の舞台が( 88 )であり、ここは伊勢神宮に奉仕する皇女が精進潔斎する場所で、黒木の鳥居と小柴垣が往時を偲ばせる。 『源氏物語』全五十四帖のうち「橋姫」から「( 89 )」までは、宇治を舞台とした「宇治十帖」と呼ばれている。この一帯は王朝貴族の別荘地で、平等院など当時の史跡が数多く残る。宇治橋から宇治上神社を経て「源氏物語ミュージアム」まで続く( 90 )は、宇治の歴史や史跡を巡る人気コースとなっており、観光客に親しまれている。 |
(81)『源氏物語』の作者の( )は、漢詩文の名手として知られた藤原為時の娘として生まれ、のちに藤原道長の娘で一条天皇の中宮である( 82 )に出仕した。
(82)『源氏物語』の作者の( 81 )は、漢詩文の名手として知られた藤原為時の娘として生まれ、のちに藤原道長の娘で一条天皇の中宮である( )に出仕した。
(83)( 81 )が父と暮らした邸宅跡が、現在の( )であるとされる。
(84)『源氏物語』の主人公である光源氏のモデルといわれる源融(みなもと の とおる)は、( )の皇子で、臣籍に下り源姓を名乗った。
(85) 源融(みなもと の とおる)は多くの邸宅や山荘を営んだが、その中でも六条鴨川近くに造営した邸宅「( )」や嵯峨の棲霞観(せいかかん)が有名である。
(86) 棲霞観の後身である( )には、「光源氏写し顔」の伝説がある阿弥陀如来が残り、現在は霊宝館に安置されている。
(87)「葵」の巻は、六条御息所を中心とした物語で著名である。前東宮妃の六条御息所は嫉妬深く、( )を見物に出掛けた際の車争いが原因で、源氏の正妻である葵上(あおいのうえ)に
生霊となって取りつく。
(88) 源氏との別れの場面を描いた「賢木」の巻の舞台が( )であり、ここは伊勢神宮に奉仕する皇女が精進潔斎する場所で、黒木の鳥居と小柴垣が往時を偲ばせる。
(89)『源氏物語』全五十四帖のうち「橋姫」から「( )」までは、宇治を舞台とした「宇治十帖」と呼ばれている。
(90)( )は、宇治の歴史や史跡を巡る人気コースとなっており、観光客に親しまれている。
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