最終更新: kyo_miyato 2017年05月03日(水) 00:31:01履歴
「禅宗」とは、座禅を修業の基本とする仏教の宗派の総称で、臨済宗・曹洞宗・黄檗宗などが含まれる。 臨済宗は鎌倉時代初期に明庵栄西によって伝えられ、朝廷や鎌倉・室町幕府から帰依を受けた。京都最古の禅寺である建仁寺は、( 71 )の保護のもと寺地を賜って栄西が創建したものであり、また( 72 )は摂政で会った九条道家が菩提寺として建立を発願したものである。室町時代には「京都五山」が南宋の寺格の制度に倣って定められ、幾度かの入れ替えを経て、至徳3年(1386)のもって序列が固定して現在に至る。すなわち、( 73 )を「五山之上」として、第一位に足利尊氏が( 74 )を開山に迎えて開いた天龍寺、第二位に法堂天井に描かれた( 75 )筆の「鳴き龍」で知られる相国寺、第三位に建仁寺、第四位に( 72 )、第五位に万寿寺が列せられている。ほかにも相国寺の境外塔頭である金閣寺、「苔寺」の通称で知られる( 76 )、京都市街では「らくがき寺」の通称で知られる( 77 )など、臨済宗の寺院は数多くある。 一方、道元が伝えた曹洞宗は、臨済宗が朝廷や武家政権の帰依を受けたのに対し、地方や下級の武士、一般民衆に広がった。京都にある代表的な曹洞宗の寺院に、円形と角形の窓が並び、禅の悟りと迷いを示す窓として知られる( 78 )や、( 79 )で知られる天寧寺などがある。 黄檗宗は江戸時代初期、明の禅僧である( 80 )が宇治に萬福寺を開祖したことに始まる。長く臨済宗の一派であったが、明治9年(1876)に単一宗派として独立した。境内には売茶翁といわれた高遊外を記念して建てられた「売茶堂」がある。 |
(71) 臨済宗は鎌倉時代初期に明庵栄西によって伝えられ、朝廷や鎌倉・室町幕府から帰依を受けた。京都最古の禅寺である建仁寺は、( )の保護のもと寺地を賜って栄西が創建した。
(72) ( )は摂政で会った九条道家が、九条家の菩提寺として建立を発願したものである。
(73) 至徳3年(1386)に序列が固定した「京都五山」は、( )を「五山之上」として、第一位に足利尊氏が( 74 )を開山に迎えて開いた天龍寺、第二位に法堂天井に描かれた
( 75 )筆の「鳴き龍」で知られる相国寺、第三位に建仁寺、第四位に( 72 )、第五位に万寿寺が列せられている。
(74) 至徳3年(1386)に序列が固定した「京都五山」は、( 73 )を「五山之上」として、第一位に足利尊氏が( )を開山に迎えて開いた天龍寺、第二位に法堂天井に描かれた
( 75 )筆の「鳴き龍」で知られる相国寺、第三位に建仁寺、第四位に( 72 )、第五位に万寿寺が列せられている。
(75) 至徳3年(1386)に序列が固定した「京都五山」は、( 73 )を「五山之上」として、第一位に足利尊氏が( 74 )を開山に迎えて開いた天龍寺、第二位に法堂天井に描かれた
( )筆の「鳴き龍」で知られる相国寺、第三位に建仁寺、第四位に( 72 )、第五位に万寿寺が列せられている。
(76) ほかにも相国寺の境外塔頭である金閣寺、「苔寺」の通称で知られる( )、京都市街では「らくがき寺」の通称で知られる( 77 )など、臨済宗の寺院は数多くある。
(77) ほかにも相国寺の境外塔頭である金閣寺、「苔寺」の通称で知られる( 76 )、京都市街では「らくがき寺」の通称で知られる( )など、臨済宗の寺院は数多くある。
(78) 京都にある代表的な曹洞宗の寺院に、円形と角形の窓が並び、禅の悟りと迷いを示す窓として知られる( )や、( 79 )で知られる天寧寺などがある。
(79) 京都にある代表的な曹洞宗の寺院に、円形と角形の窓が並び、禅の悟りと迷いを示す窓として知られる( 78 )や、( )で知られる天寧寺などがある。
(80) 黄檗宗は江戸時代初期、明の禅僧である( )が宇治に萬福寺を開祖したことに始まる。長く臨済宗の一派であったが、明治9年(1876)に単一宗派として独立した。
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