☆ただし、以下のワードについては、小論文内に必ず含むこと
- 随心院の本尊
- 随心院が所蔵する「金剛菩薩坐像」(重要文化財)の作者
- 『都名所図会』にも記載された小野小町ゆかりの史跡
- 小野小町のもとに通い続けた「百夜通い」の伝説の主人公
- 3月に行われる今様を踊る行事の名称
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《解答例》※これらのポイントうち、赤字のキーワード部分を含む解説を適正に記述することができて正答 公式テキスト[増]84・223・274ページ/[新]105・222・287・337ページ
◦ 随心院は、真言宗善通寺派の大本山で、山号は「牛皮山」という門跡寺院で、所在地から「小野門跡」ともいう。
◦ 本尊は「如意輪観音」であり、鎌倉時代の仏師である快慶作「金剛菩薩坐像」や平安時代後期の定朝作とされる「阿弥陀如来坐像」など重要文化財など、多くの仏像が並ぶ。
◦ また、屏風や襖絵なども数多く所蔵し、江戸時代の絵師である狩野山雪筆の「蘭亭曲水図屏風」も重要文化財に指定されている。
◦ 境内の隅には「化粧井戸」があり、かつてこの井戸のそばに小野小町の邸宅が建てられていたという。
◦ 『都名所図会』には、のちに「世界三大美人」に挙げられた小町が、この井戸の水面を水鏡にして化粧をしていたと記されている。
◦ そんな小町を見染めた深草少将(人名ではなく深草に住むとある将校の意)は、小町にその思いを告げるが素っ気なく断られてしまった。
◦ そこで、暑い日も寒い日も、雨の日も風の日も1日たりとも休むことなく、100日間深草から小野にある随心院そばの小町宅に通えば愛を受け入れようとなった。
◦ これを「百夜通い」というが99日目の夜、大雪で目の前さえ見えない中でも小町のもとへと向かったが、ついに辿り着くことはなく遭難して息絶えたという。
◦ なお、別の結末として、吹雪のため金で雇った代理人に自らに似せた紛争をさせて小町のもとに向かわせ辿り着いたが、別人であることがバレて破談となり悔いて自決したともいわれている。
◦ ちなみに、深草少将の邸宅があったとされるのは、京阪墨染駅から西へ約5分にある欣浄寺辺りだったといわれ、この寺には深草少将と小野小町の供養塔が寄り添って建っている。
◦ 随心院では、毎年3月最終土・日曜日に、その「百夜通い」をモチーフにした今様「はねず踊り」が披露される。一時は途絶えていたが、昭和48年(1973)から地元住民の有志が立ちあがり
復興した。
◦ 「はねず」とは薄紅色のことで、随心院に咲く紅梅のことも指す。3月1日から末までは、境内の小野梅園にて「観梅祭」も行われている。
◦ ほかに年中行事としては、11月中旬〜12月初旬に「小町祭」や夜間特別拝観のライトアップ、隨心院ミス小野小町コンテストなどが催される。