中世・近世ヨーロッパ史(だいたい西暦1155〜1857)の歴史の研究および考証(意見・情報交換、議論など)をする研究会のwikiです。歴史の情報共有の場として、あるいは、単なる情報交換の場として。歴史好きの方、お待ちしております。認証されれば誰でも編集可能です。

こんにちは。ここは中世・近世の特にヨーロッパとその周辺の歴史について再度研究・考証するwikiです。大きく分けて、大枠の歴史の全体的な流れと個々のセクションの分析(特に、ゲーム的分析が中心になります)をしていきます。大枠の全体の流れはたぶんこちらで編集することになるかと思いますが、個々のセクション(政治・経済・交易・産業など)については認証されればある程度各自の裁量を持っていただけるかと思います。
参加は自由ですが、ある程度の認証はあります。なお、気軽に参加したい、という方は掲示板やコメントのほうでもご参加いただけます。もちろん読むのは大歓迎です。

EU4ことEuropaUniversalis犬覆瀕鮖縫好肇薀謄検爾覆俵縮がある方のご参加もお待ちしております。このwikiではより戦略・戦術など実践的な知識のほうも扱っていますので、著者であろうと読者あるいは掲示板など参加者でも参加してくださる方は歓迎します。ページの追加リクエストでも構いませんし、掲示板やコメント欄での議論でも結構です。また、ページそのものへのご指摘やご要望でも構いません。どんなことでも結構です。このwikiの目的は特に中世・近世のヨーロッパを中心とした史に対して現代なりの解釈や視点を持ち込んで、解析することですのでどんな些細なデータでも結構なのです。割とその実践的な知識のほうも募集しております、ということなのです。どうぞ、その方面からでも遠慮なくご参加ください。


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中世・近世ヨーロッパ歴史考証wikiについて-概要と説明

このwikiは中世・近世の特にヨーロッパとその周辺のそれに関する歴史を再度研究・考証することによって時代の在り方、歴史的観点からの捉え方、あるいは社会のシステム・在り方を問い直そうと立てたものです。歴史や社会を論理的に見つめ直す、その中でも特に数学の一分野であるゲーム理論的見方・推察を用いて、歴史や社会の出来事をゲームの仕組みやゲームのパターンで分析する方法を中心としていきます。ゲーム理論がまだ分からないという方でも大丈夫です。できれば本や電子書籍などで是非慣れ親しんでもらいたいものですが、ゲーム理論というものはそもそも世の中の出来事(=ゲーム)をゲーム形式的に分析したもので、社会の分析や世の中の出来事を分析するにはとても重要なものです。社会の仕組みを理解するにはとても重要なもので、形式的な、数学的なものとしての入り口としては唯一といっていいほどです。まぁ、それだけに理解するのはさほど難しくはないのですが、このwikiでは主に歴史の出来事をゲームとして形式的に理解することを主としていますので、まずそれが前提になっていることを覚えておいてください。それから、ゲームの仕組みやパターンで分析しますからこれがどうだ、あれがどうだと議論するときは歴史やその出来事の「部分」で解釈することになります。なので、まずその部分を明らかにするためにゲーム的分析は必要ですが、それ以前に歴史のアウトライナー(概要)的な部分をまず整理する必要があるのでしばらくはその流れや出来事の整理を中心にしていきたいと思っています。また編集に参加したい、自分のセクションを持ちたいという方はお気軽に申請ください。まぁ大丈夫だと判断した場合はwiki編集メンバーに加えさせていただきます。ご購読の方はどうぞごゆるりとお楽しみください。まだ編集領域は少ないですが、そのうちにページが増えていくと思います。また掲示板機能もありますのでどうぞそちらもご活用ください。こちらにご意見・要望等ある場合は掲示板に書き込みいただくと早いかと思います。コメント欄も活用してくださって結構です。できるだけ具体的に書き込んでいただくとその後の対応が早いかと思います。またどの書き込みについてもいえることですが最低限発言の主旨(主張)と根拠は明確にしていただくようにするとやりとりがスムーズに進むかと思います。それでは、楽しんで。

前付け(Preface)にかえて

現在立っている視点からいけば、詰まるところ、中世・近世から現代に至るまでの歴史というのはイタリアなどの小規模都市国家などが執った共和制などにも如実に表れているように、要は自由になるための戦い、なのです。なしくずしなことをいうと、中世から近世にかけて影からほぼイタリアを支配してきた教皇庁でさえも、結局のところローマ帝国から引き継がれたものですし、では、そのカソリック教会の教義の根本とはなんぞや、と問うた場合に出てくるのは大抵にして、己の手で処刑したイエス・キリストの教義を捻じ曲げただけ、そしてそれを己のよきように帝国の支配制度に組み込んだだけ、ということです。ローマ帝国もタダで取り込んだわけではなく、もちろん東欧のパガニズム(自然信仰)などの取り込めば都合のいい教義も多数取り込んだほか、それを都合のいいように支配の道具として組み込むための試行錯誤もいろいろとなされてきたわけです。まぁ、それはここではどうでもいいとして、そうやって教皇庁の歴史も辿っていくと果たして漫然と支配の地位についているだけで、正統性があるかというとそうでもなく、それに連れてそのお墨付きを得た形となっている神聖ローマ帝国も、本当に支配の正統性に根拠があるのか、疑問符がついてくるわけです。まぁ、神聖ローマ帝国の場合は、元々方々に点在するドイツ封建領主諸邦をまとめ上げただけの存在で、いわゆるドイツ連邦国家ともいうべき形になっていた国としての主体性に教皇庁がそれに乗ずる形で「お墨付き」を与えていただけになりますから、神聖ローマ帝国の方は実質支配している、あるいはその支配力の集権的存在であるから帰結的に伝統的に支配の正統性を持つ、ということもできますが、その教皇庁は、というとやっぱり怪しくなる。して、奇しくも、そのお膝元のイタリアでルッカ・シエナ・フィレンツェ・ジェノヴァ・ヴェネツィアなどの小規模都市国家共和制が栄えたのはそもそも教皇制といういわば影からすべての政治権力を支配する、という(して、その根幹教義の“カソリック”も間違っているとなれば)反法治主義的姿勢にたいする一種の民衆の(たとえその共和制の支配階級が貴族やあるいは一部の豪商・富豪に限られていたとしても)自由への焦がれ、がかたちを変えて表れた、ともとれなくもないのです。実際の歴史では、内紛を経て統一的なイタリアとしての国家が成立するのは19世紀以降となりましたが、それに至るまでにイタリアという「地方」は小規模国家が分立したままの状態で、比較的な例外としては商業的に強かったヴェネツィア、ジェノヴァなどは除くと、いわば小規模国家が影の権力者の教皇庁のお膝元に寄り添うかたちとなる―教皇庁の支配に甘んじていたわけです。まぁ、もちろん一部ではプロテスタンティズムとの宗教戦争時に独立反乱をたくらむ動きもあったにしろ、大局でみればイタリアにおいては教皇庁の支配は少なくとも19世紀にいたるまでは揺らがなかったわけです。そんななか、割と中世のふるきころから小規模都市国家共和制が芽吹いたのは、そういう意味での民衆の自由への焦がれ、だったのかもしれないし、はたまたひどく理性的な(教皇庁、あるいはそれに基本的には追従する神聖ローマ帝国など)自然権力への反発だったのかもしれません。まぁ、どちらにしろ、そういった政治の構築あるいはそれへの参加という形であっても(もちろん、その政治的支配階級が比較的貴族に限られていたとしても)自分たちの自由は自分たちで手にする、という信念のようなものは、結果として世界を大きく変えることとなったし、大きな共和制を採用したアメリカ合衆国の成立という歴史的局面を垣間見る結果ともなったわけです。という歴史的ことがらから自然帰結的に考えると、いかに歴史的事象が個々の小さなゲームの集合体で成り立っていたとしても、その一時代は最終的にその根源的に回帰する事象にすべて起因しているのであり、それがローマ帝国以降のイタリアでは民衆の自由への焦がれ、というかたちであったわけです。まぁ、いかに途中で弯曲しようとも最終的にはその根源的帰結に回帰するのが大概にして歴史というものなのですが、イタリア「地方」の場合はその根源的歴史的意義や地理的、地政学的要因、あるいはその民族的帰結のイタリアを、皮肉なことにはからずともローマ帝国のそれを引き継いだ部分もある、小規模都市国家共和制の中に見出し、結果帰結として歴史のなかに自由を見出したわけです(もっとも、イタリア統一後のファシストの台頭などもあって、真にイタリアが自由になるのはずっとあと最近のことであるが)。まぁ、この例を借りていうには少しぞんざいである部分も否めないのだが、まぁ、とにかく歴史というゲームを外からみれば(すべては等価交換で成立している、という観点からみれば)歴史を通り越した、根源的な自由って、なんだっけ、という人間根源価値主義的な、まぁいってしまえば哲学的な答え、になってしまうのですが、何を根源的価値に置くのか、というゲームにもなってくるわけなのです。もうそこまでくると歴史的な権力あらそいなどはほぼ関係ないようにもおもえてきますが、ゲーム理論的にいえば地理的、地政学的なあらそいは位置情報ゲーム(どこにだれがいてだれがなにをとるか、という)、だともいえるしその関係性や外交関係をみれば、相関関係ゲーム、だとも(だれがなにとかんけいしていて、なにがなにとかんけいあるのか、という)とることも、できるのです。まぁ、基本的にそこまでいってしまえば根本的に競争という概念の意味でのゲームからは開放されている、ととることもできるのですが、それでもよのなかに存在し属する限りは何かしらのゲームになんらかの形で関わり続けることになるのです。まぁ、そういう意味でも特にこのサイトではゲームを統治することによるゲームからの開放、をひとつの裏テーマのようなものに掲げているわけなのですが、まぁ、とにかく何を根源的価値におくのか、最終的に何に回帰するのか、というゲームと歴史的流れ、というのは非常に大きくかかわってくるわけ、なのです。まぁ、ここまで読んでいただき、感謝なのですが、そのうえでひとつふたついっておきたいこと、があります。歴史をつくるのは、認識する自分だ、そして歴史をつくるのは、その認識であり歴史そのものだ。決して支配者でもなく、付き従うものでもないのだ、と。ようは、歴史的事象はすべて等価交換、の概念のもとに成り立っており、そのせかいに上も下もない、ということなのです。よくいえば歴史は空そのものなのですが、その内側にも、外側にもこたえはなく、その内側と外側両面を合わせたゲームという仕組みそのものにある種のこたえへのキーがあるようなものなのです。ひいては、その鍵で歴史という扉を開けるのは、その歴史を紐解く自分自身なのだ、ということでもあるのです。

このwikiの編集方針と手法

このwikiでは主に中世・近世ヨーロッパの歴史的分析を主としていますが、その手法にゲーム理論的分析、特にゲームの仕組みとパターンからの分析を用いることは書いたとおりです。ゲームの仕組みからの分析とは、主にシステムやゲーム同士の関わりあいからの分析(例えばヴェネツィアでの香辛料価格の暴落とポルトガルの喜望峰回りの航海ルートの開発など;この考え方の枠のようなものをここではゲームと呼びます。)のことをいいます。そしてもうひとつはゲームのパターンからの分析ですが、これはヴェネツィアでの香辛料価格の暴落とイスパニアでの新大陸からの流入による銀価格の暴落を同系列の出来事として見た場合に、ゲームのパターン同士の関わりあいとして分析する方法です。つまり実際にAの出来事とBの出来事が組み合わさってCになった。じゃあこれをDと呼びます。という場合のゲームのパターン同士で比較して分析する方法とさらにそれらが連続してどう歴史に関わっていくか、という視点になります。ゲームのパターンの分析は同系列の出来事を並列させて上の出来事を作っていくことをいうのですが、仕組み・システムの分析は書いたように主にゲーム同士の関わりあいやその仕組みのことを指しています。仕組みの分析はパターンの分析よりも一見下の出来事のようにも思えますが、ゲームのパターンをつなげていくとまた大きなシステムも見えてくるのでそこが分析のおもしろいところでもあります。以下にこのwikiで扱う歴史の範疇をどのような手法で分析していくのかを書いていきます。
歴史とは何か、どのような捉え方をするか、どのように分析するのか分析的に観た場合の視点の違いとは、客観的なものと主観的なものの違いとは視点の違いでどのように変化するのか、如何に視点が歴史(特に認識)を変えるのか、その影響とは
これは、先に書いたとおりゲーム的見方、特にゲームの仕組みからの分析とゲームのパターンからの分析のふたつを指しています。これはですね、ゲームの仕組みとパターンが如何に関わっていくか、どう歴史を構築していくか、ということでもあります。これは、例えばゲーム的に分析した結果どのように歴史が変わるのか、視点が変わることで如何に歴史が変わるのかということでもあります。ひいては、視点が変わるだけで歴史がいくらでも変わり得ることの証左でもあります。
中世・近世からのヨーロッパとその周辺の歴史の概要
中世・近世からのヨーロッパとその周辺の歴史の概要について、簡単にまとめていこうと思います。大まかに、歴史を出来事とゲームの転換点から見ていきます。編集にあたってはいくつか本を参考にしていますが、ここではあえて省きます。

出来事で見ると……
  • ヴェネツィア・フィレンツェを中心とする、ヨーロッパルネサンスの形成・及び文化水準、社会システムの発展(14〜15c)。
  • いわゆるスペインによる新大陸の「発見」と銀の流入、及び砂糖・綿・タバコ・コーヒー・カカオなどの新大陸物産の流入とそれに伴う生活・文化水準の発展(15〜16c)。
  • ヨーロッパによる植民地統治と新大陸・アジアの物産の輸入・流入による文化形成・社会生活水準の発展とアントワープからアムステルダム、ロンドンへの貿易枢軸の変化、及び社会システムと近代資本主義の原型の形成・世界貿易システムの発展(16〜18、19c)。

ゲーム的転換点で見ると……
  1. ヨーロッパでのルネサンス(ギリシア・ローマ古典回帰運動)とレバント(東方、特に中近東・北アフリカ沿岸)貿易での経済ベースの形成。金融システムの原型の形成。
  2. 新大陸の「発見」による植民地化と銀などの流入、社会的インフレと拡張主義、物的貿易量の増加と金融システムの発展。
  3. ヨーロッパへの金・銀の集中、物的貿易量の集中と金融システムの発展、生産型産業の発展、文化的水準の上昇、近代資本主義経済の形成の原型まで。

細かくいうと、植民地政策的拡大主義や、宗教戦争の要素はどうなのか、という見方はもちろんあるかと思うのですが、特に経済的に観ればそれらの要素も単なるインフレとみなすことができるので、ここではあえて細かく書くのは省きます。あと、それらの個別的事象については、個別にページを設けて、個別のテーマで編集していただくとその後が分かりやすいかと思います。それらの個別のテーマの区分けにはタグクラウドなどをご利用ください。

ゲーム的な見方と世界観の手引き-歴史の解釈と彼我

ゲーム的な、あるいはゲーム理論的な解釈をする、ということはゲームとは要はゲームなわけですから当然行って、戻るわけです。つまり、最終的にはどれだけ歴史的な事実を並べても現代から観ているわけですから最後にはバランスに帰す、というところでしょう。最後には、バランスに帰すわけですから、ある意味こう歴史ものはバランス論でまとめればいいのではないか、というようにも思います。ゲーム的見方あるいはゲーム理論的解釈では、元々バランス論的見方をするわけですから、始まったものは必ず終わるのです。つまり、行って帰って、ということになるのですが、例えばこう、中世・近世のヨーロッパ史も連続する悠久の歴史のほんの一ページに過ぎないとするならば、それはそれでこう、いろいろな解釈や自由な発想ができるわけです。歴史は見方や解釈の方法を変えることが数理的な法則を見出すことにもつながるわけなのですが、ただ受け入れて解釈次第の歴史にしてしまうのではなく、分析や解析次第でいくらでも法則性の見出せる、そういうものにしていかなければなと思っている次第であります。つまり、バランス論的に解釈すれば、歴史の連続的にも解釈できるのでは、ということです。

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Posted by skywalker 2017年04月24日(月) 20:13:37

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