中世・近世ヨーロッパ史(だいたい西暦1155〜1857)の歴史の研究および考証(意見・情報交換、議論など)をする研究会のwikiです。歴史の情報共有の場として、あるいは、単なる情報交換の場として。歴史好きの方、お待ちしております。認証されれば誰でも編集可能です。

経済のインフレとは単純に物流や流通、モノの流れつまり人の流れに対する物量のことを基本的に指しているわけですが、今回提起するのはその経済の流れつまりインフレは人の流れによって消化されまた人の流れつまり人のインフレは経済の流通などで消費される、ということです。単純にいえば、その場で生産したものは流通・交易によって消化され、流通・交易によってもたらされたものはその場の生産で消化される、といった具合にです。ちょっと分かりにくいかもしれませんが例を挙げましょうか。例えば、ヴェネツィアやジェノヴァ、ラグーザなどの商業都市は場所こそ小さいもののそこを流れる物流量とその流通量で交易都市としては世界有数の地位を歴史的にも占めています。流通や交易で栄えるのはそもそもその場所が交通の要衝だからで、人の流れが多いからです。これらの都市で交易などによって流通量が多いのは当たり前なのですが、反対に都市が小さいため生産などにはそれほど施設を割くことができません。ということは、どういうことかというと交易が栄えているところではそれほど大規模な生産はしづらいし、反対にモノの流れがあまりよろしくないようなところでは、むしろ大規模な工場を置くなど生産に適している、といえる、ということなのです。なぜか、といいますとそもそも人の流れとは流通・交易のことも指していますが、流通が多くて交易の盛んなところではその都市は交易の中心地、という役割を与えられていますし、反対にちょっと流通には適さないけどしっかりした土地もあって地力があるようなところは大規模な工場を置くなど生産拠点としての機能が非常に優れている、といえるのです。これはどういうことか、というと物流や流通などの経済の流れは人の流れ、往来によって消費されるし、反対に人の流れは物流などのモノの流れがあると必要なモノを手に入れられて満足して帰っていく、ではありませんがとりあえず必要なものは手に入れられるわけです。つまり、人の流れ、往来のインフレは物流にもよって消費されるので、そもそもこのモノの流れ、経済のインフレと人の流れのインフレの間には交換関係というか相関関係が成り立っている、といえるのです。分かりやすくいうとモノが多く流れるところではそれを求めて人が集まってくるし、人の流れが多いところではそこでモノを売りたい商人が集まってきて逆にモノの流れが多くなってきます。ということはどういうことか、というとモノの流れ、物流つまり経済のインフレは人の流れのインフレによって消化されるし、人の流れは物流、経済のインフレによって消化される、ということになるのです。これを小国に例えるとさっきのような交易都市、ジェノヴァ・ヴェネツィア・ラグーザなどが挙げられますし、逆にその反対で生産に適しているというような都市は各国の首都など比較的人の流れに対してモノの流れが緩やかなところ(比較的といっても各国の首都ですからそれなりに流通はありますが、人の流れに対して相対的に物流が不足している土地、という意味でです)あるいはその意味でなら丘陵地帯の上の小さな街も例に挙げることができますが、とにかく交易が盛んなところでは流通・交易の流れがあるのですが生産はしづらいし、反対に流通がそれほど多くないところ、つまり交易のそれほど盛んでない土地ではむしろ生産が活発になりやすい、ということなのです。これは、よく考えてみれば結構当たり前、のことなのですが流通が多くて交易が盛んなところではそもそもさほど生産する必要はないし、逆に流通のそれほど盛んでない土地ではむしろ生産に力を入れないと儲からなくなります。もちろん、小さな山村などそもそも流通の場所が限られている場所ならそれでもいいのですが、その場合でも経済に含まれない土地はその周辺の土地で括れるのならそもそも存在しませんので、全部多かれ少なかれ経済圏に入る、ということなのです。ということは交易の多いところでは比較的生産が少なくなって、交易の比較的少ないところでは生産が活発になる、ということなのですが、それはつまり、物流、経済のインフレが人の流れによって消費されている、あるいは相関関係が成立している、というところにつながるのです。反対にいえば、小国で流通の拠点になっている場合は交易を伸ばしたほうがいいし、比較的土地はあるけども流通に乏しい場合は生産を伸ばしたほうが、その土地の収入は伸びる、というわけです。国の経営にしてみても小国で流通の多い場合は管理維持費に対して関税や通過税などで税収が得られますし、人の流れも多いので酒場や宿などサービス業などからの税も期待できます。その分生産からお金が入らなくても多少は問題ありませんし、そもそも小国でそれほど流通に場所を割いていたらそもそもそれほど大規模な生産施設を建てる余裕は、ないのです。反対に比較的大国で土地があっても流通の乏しいところでは当然交易の収入よりも生産してそれを売ったほうの収入が大きくなるわけですから、それなりにいいものを生産すればちょっと離れていても商人が買いに来てくれるとして、生産の方が儲かるわけです。この場合は土地もあるので生産施設も立てやすいですし、生産施設からの収入や関連産業などで、国も潤いますしその土地で雇用も創出できるわけです。という以上の視点から見ていきますと、交易の盛んなところでは生産が難しいですし反対に交易が難しいところでは生産が活発になりやすい、のです。というところからしますと交易などの流通、つまり経済のインフレと人の流れ、つまり人の動き、生産ですね、には大きな相関関係があって、それが世界規模でみればダイナミックな構造を為している、ことが分かります。例えば、人の流れが割と活発で物流も中継地として盛んな中緯度地帯では交易中心の小国が優位になりますし、逆に自然や地形が厳しくて寒かったり暑すぎたりする高緯度帯では、むしろ物流など流通量、交易に対して比較的人口に対して資源も豊富なので生産が盛んになりやすい、といえるのです。逆にいえば、その土地で一番効率のいい儲け方がその都市の産業になったりするので、そもそも一番盛んになりやすいそれぐらいしか儲けの方法がない、ことになりますが、それでも交易と生産、小国と大国の相関関係はそういうところにある、というところは分かっていただけたか、と思います。だからこそ、アムステルダムでは交易・貿易が盛んでスウェーデンやロシアでは鉄鉱や武器生産が盛んだった、のです。それをまたアムステルダムで売り捌いてそれが世界各地に流通してアムステルダムが一大武器市場になっていたのは経済書が示す通り、ですが逆にいえば貿易の中心地は割と小さい国か共和国政府で、大規模な生産施設を有する大国は王制か帝国でいい、というところにもなります。それは、政府の形態がその国や土地にあっていればいい、からであって、だからこそそれが共和制、王制、あるいは帝制といった歴史的には比較的多様な政治・支配体制が割と狭い地域にそれも中世・近世という短い期間に現出することになった要因にもなった、のです。ちなみに、小さい国は交易などの関税や通過税などで儲けやすいですし、反対に生産施設は土地が足りなかったり比較的維持費がかかったりするのでそれほど大量には置けません。反対に、大国で交易都市の間の流通の乏しいようなところでは比較的土地が安く生産施設が置きやすいので生産が活発になりすいともいえる、つまり生産やその関連産業などで儲けやすい、ということがいえる、のです。物流、経済のインフレと人の流れ、で見てきましたが、経済と人の流れにはこんなダイナミックな相関関係、が成り立っているのです。また、これを新世界の開拓に例えるのなら、人の流れ、つまり開拓者が行ったところに次第に物流が集まって都市ができ、それが大きくなっていく、ともいえるのです。そういう意味では開発に手間がかかる広大な土地では生産向きだともいえるし、逆に流通は活発だけども土地が狭く生産に向かない場合はむしろ交易・貿易都市向けだともいえます。どちらにしろ、物流などの経済のインフレと人の流れの相関関係以上に、人の流れが存在する以上その土地にはそれぞれ合った開発・利用の仕方がある、ということはお分かりいただけたかと思います。以上。

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