中世・近世ヨーロッパ史(だいたい西暦1155〜1857)の歴史の研究および考証(意見・情報交換、議論など)をする研究会のwikiです。歴史の情報共有の場として、あるいは、単なる情報交換の場として。歴史好きの方、お待ちしております。認証されれば誰でも編集可能です。

用兵と、用地ですが今回は兵法や軍略書における如何に兵を用い、いかなる場所で兵を動かすか、ということについてです。細かいことをいうとこれについては多少の議論の余地はあるかと思うのですが、今回のは孫子の兵法や西洋の軍略書などを一通り読んだ上での簡単な省察となります。ただ、これをゲーム理論的に分析すると、簡単なものほど真理が潜む、のである人物が分析した、用地と用兵についての一応の答えだと思って読んでいただければ幸いです。
さて、肝心の結論ですが、用兵とはまず、如何に兵を用いるか、であり用地とはいかなる場所で兵を動かすか、ということです。如何に兵を用いるか、という点については、まず兵団あるいは軍勢を一個の駒として見立てます。駒という一個扱いすることによって、俄然扱いやすくなりますし、思考の速度も上がるというものです(いわゆる抽象度)。次に、そのときある地図上でそれぞれ一個の軍勢の駒を、順番に(順番というのは実際の移動には時間がかかるので、気候や進軍速度を計算して行うものです)動かしていくのですが、ポイントとしては、まず一個一個の軍勢と扱うことで、扱いやすさ、動かしやすさが上がります。それに増して、戦闘力や戦力差がはっきりしますから、実際の戦地での地図に駒を並べてどうのこうの思案する武将や将軍よろしく、ぱっと一目見ただけで戦地の様相が一目瞭然になるので、極力ミス(ここでは認知ミスなど)を減らしながら慎重に兵というか軍勢を動かせるようになります。それはさておいて、軍勢を一個の駒として扱うということは、動かしやすくなる、というこの一点にメリットが絞られるということになるのですが、戦争の戦闘において機動(manueverability)しやすさ、軍勢の柔軟性はそれすなわちで戦局を一変させるだけの要素であり、それだけの力を持っています。何が言いたいのか、といえば動かしやすさ、機動しやすさこそ戦争においてまず第一の重要な要素である、ということ。もうひとつは、如何に兵を用いるか、というのはすなわち極力動かしやすい状態にしておいて次々と変化、変遷する戦局に柔軟に対応することである、ということです。これだけいうと、もう分かるかと思いますが、用兵の術というのは如何に柔軟にスムーズに動かして、軍勢のパワーバランスを保ちながら戦局の安定を取れるか、これのことだ、ということになります。さて、ここからは用地のほうも絡めていかないとよく分からないようになっているのですが、いかなる場所で兵を動かすか、という点については「孫子」の「九地」が詳しいです。細かい引用は避けますが、要はややこやしい場所や込み入った場所では戦うな、できるだけ前方に(敵方に)開けた要地・要衝で敵を待ち構えて迎え撃て、ということがざっくり言うと書いてあるのです。用地の策、というかどのような場所で、という論点になるとだいたいこれに尽きると思うのですが、要はできるだけ味方に有利な土地で堂々と迎え撃ち、確実に戦局を味方の有利な方向へと導いていけばいいだけなのです。小さな勝利は、それゆえそれひとつで大きな勝利、と言いますが要は小さな勝利、というか局地戦で小さな勝利を積み重ねていけば、確実に勝てるのです。反対に、もし死地や敵領地の真ん前で不利なところに陣取ってしまうと、どうなるかというとそれこそ好き勝手振り回された挙句、絡め取られるか軍勢を集中させられて敵に屠られるだけなので、味方にとっては良い事は何もありません。というか、それひとつだけで戦局が完全に敵方に傾いてしまうことにもなりかねないので、戦争においては常に用兵(兵の用い方)と用地(兵の動かし方)には細心の注意が必要になる、ということだけは覚えておきましょうね。ちなみに、戦争においてはどの時代もそうですが、常に互いの国というか勢力が動員し得る、人的資源(manpower)を消費しながら戦うものですので、できるだけ無駄な損害や、敗退は避けながら戦うのが理想というものです。一国家や一君主の傍若無人な目的のために戦争は行うものではないので、敵味方双方ができるだけいろんな意味で被害を出さないようにしながら、短期決着、できるだけ早期に戦争の決着が付くように誘導されるべきものなのです。ちなみに、ちょっと話は逸れますがだからといって大量破壊兵器を使っていいことにはなりません。ここで書いているのは兵法の初歩で歩兵や騎兵で戦っていた時代の事柄が中心になっていますから、大量破壊兵器などもってのほかなのですが、戦争が終わってのち当地に甚大な被害と後遺症を遺すものは、そもそも戦争だろうとどんな理由があっても使っていいことにはなりません。そこが間違えやすいところで、戦争を終わらせるための道具とみなしてしまう(ミスダイレクション)からこそ敵国相手に実験代わりに使っていい、なんてことになってしまうのです。大量破壊兵器とは、そもそもどんな理由でも使ってはいけない兵器のことで、如何に戦局がややこやしくなろうとも手を出してはいけない代物なのです。だからこそ米国のイラク戦争でもどれだけパワープロジェクション(パワーバランス)が傾いていようとも戦争の大義名分となり得たのです。実際にあろうとなかろうと関係のないものですから、宣戦布告する事由になり得たのです。さて、あまり逸れてしまうといけないので話を元に戻しますが、戦争は常に人的資源、それから物的資源や経済資源を大量に消費しながら行うものです。なのでその中でも出来るだけ、消耗は避けたいというのが万人の本音です。ちなみに、の話ですが戦争はそれだけで早く終わらせられるのなら、そもそも開戦事由にはどんなことも当たらないので、やはり少なくとも中世、近世の戦争においてはできるだけ早く勝敗が決するまで最低限軍を動かすところまではやって、勝敗を決するべき、ものであるというのは不文律のように決まっていた、というのは本音のところなんでしょうね。戦争を終わらせるには、できるだけ早く相手を継戦不能に陥らせることが重要になるので、如何に兵を上手く動かして、いかに上手い絶対的な有利な場所で(開戦するなら)会戦できるかが、重要になってくるんでしょうね。戦争に限らずそうですが、物の論理を導き出すためには、極力無駄を排して、これだ、と思えるバランスのものを導き出すのがひとつの王道なのだ、ということなのです。戦局でもそうですが、いかに情勢といえど敵方に傾いていいものでもなく、味方に偏りすぎているときにも、軍事的には注意が必要な状況、なのです。できるだけバランスを取りながら、とはいかにも空の行い、のようですがとにかく何事もやりすぎては、よくない、ということなのです。この世の中には、無駄にしていいものなんて、何もない、ということなのです。その上で戦争をやめよう、という議論をするのなら、いくらでも答えの出しようはあるので、物事初歩に帰ると、何事も論理が元になるのだな、と改めて痛感させられる、これはそういう事象でもありますね。以上、終わりです。お読みいただきご苦労様でした。


〔メモ・追記〕
城を攻むるは愚なり、とは兵法でよく言うところですが、実際籠城する側がただ籠城していればいいか、というとそういうものでもありません。確かに、絶体絶命の隘路に追い込まれてその途上にある山上の小城にでも押し込められたら、籠城するしか選択肢がないようにも思えます。しかしながら、戦争において敵に城包囲を許してしまっては、時間が経てば降伏落城するしかないわけで、周囲の状況にもよりますが普通はそのような場合は奇襲など奇策を用いたほうがいいわけです。有名な桶狭間の織田信長でもそうなのですが、いたずらに時を経たせてしまっては、まともに彼の国と自国が交戦している状況ではそもそも戦力差がある状況ではまとに戦争することすらできません。となると、もし窮地に追い込まれてしまった場合は、籠城して援軍を待つよりも、待ち伏せなどの奇策を用いたほうが効果的なわけです。またかの有名な三国志の長坂坡の戦いでの張飛益徳は(創作の部分もあるかもしれませんが)伏勢がいると見せかけて曹操軍の追撃を抑えました。どんなに追い込まれた状況でも、ただ闇雲に抗するよりは奇策を用いたほうが状況を改善させられる可能性がある。現に、山地の小城に追い込まれた場合でも味方と連絡を取り合って油断して休息をとっている追撃包囲軍を挟み撃ちにして奇襲してしまったほうが、耐えて負けを待つばかりかむしろわずかな希望で勝ってしまうこともできるわけです。ここで重要なのは、どんな場合でも兵法というものは与えられた軍・戦場で戦っている限りわずかにでもある可能性に賭けても、どんなにわずかでも多少なりとも勝てる方法に賭けて勝負を挑むものなのです。確かに、最初から追い込まれたら降伏すると決めているのならそれは仕方ありませんが、基本的に戦争である以上降伏するかどうかを決めるのは中央なので、絶海の途上の帆船でもない限り、最初から降伏するというのは自滅行為というものです。もちろん、一将兵一兵卒の場合はこの限りではありません。例え戦場といえど、一人の人間としては生き残ることが第一なわけですから当然絶体絶命に陥った場合はとっとと降伏してしまうのもひとつの手、です。ただ、集団の論理としてはやはりそこは違う。ひとたび戦場に立てば、軍隊に求められるのは当然どんな状況でも勝つことですから、よほど継戦不可能でない限りはわずかな可能性であっても多少なりとも勝てる方法に賭けて挑む、というのが武士道というものです。まぁ、武士道でなくても、それが戦いのセオリーでもあるわけですが、とにかく、戦場ではわずかな可能性に賭けてでも、状況を突破する必要がある場面も当然出てくるわけです。もちろん、そういう状況は到底一将兵の力で突破できるものではありません。限られた現場で、限られた戦力で、限られた方法で状況を突破する、この行動を裏打ちするものが兵法で、また下支えするものが兵法なのです。

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