今は亡き耳かきコリッの避難所

バットの金属音と選手たちのかけ声が遠くに聞こえた。
プールの授業からこっち、耳から出て来ない水がなかったらあと100mは
近く感じるはずだ。
お待たせ、木多はそう言って丸い葉っぱを何枚か千切って戻ってきた。
制服の白いブラウスは男子のように裾を出し、漆黒のセミロングにはソバージュ。



適当に木陰を見つけると、
「あそこに座ろっか」
「何それ」
「ユキノシタ。こういう時使うの、生えてるトコ偶然見つけてさ」
裏は赤紫、表は深緑に不規則な白い斑が入っているこの薬草は、耳に水が
入った時に絞り汁を垂らすといいんだと説明された。
「お前良くそんな事知ってんな」
「文芸部だとね、いろんな本とか読むから」
ためらうことなく膝枕に俺の頭を乗せると、葉を絞り始める木多。
こんな広いキャンパスにこの薬草が生えてたの、良く分かったよな。
ゴポッ……………パ………ハッ…………。
耳の中で加熱された水が抜け、耳道の奥がやっとサーッと空気に触れた。
「おっ、スッゲ。イッパツだよ」
「ああ、まだ終わりじゃないの。ちょっと綿棒出すね」
「えっ、そんなもん学校に?」
綿棒数本が入る容器をスカートのポケットから取り出すと、
「うん、あたし耳掃除好きだからね………」
桃井かおりのような独特の口調、何を考えているのかはクラスが一緒になって
1年半経った今でも良く分からない。
「んしょっと………」
程良くしなる紙軸の綿棒を耳に差し込むと、残っていた水分がコットンにしみ込むのが
感触の変化で分かった。
それからクイッ、クイッと手前に掻き出す感触に思わず目を閉じる。
「ん、痛かったら言ってね、下手かも知んないから」
そんな無責任な事、簡単に言うなよ。
「取れてる?」
木多は無言で、レモンイエローにうっすら染まった先端を見せた。
オレンジのかった褐色の塊が付着していて、つい罰が悪くて
「おっかしいな、たまにだけど掃除はしてんだぜ」
「水とか入ると、固まってたのが緩くなってくるから。気にすることじゃない。」
まるでベテランの女医さんみたいな冷静な対応。
「それより痛くない?」
「ううん、全然気持ちいいし」
「ならいい」
水が抜けたせいか、野球部の連中の存在が気になりだした。
生活指導の巡回なんかあったらどうしよう。
そんな俺の考えとは関係なく、綿棒の先端が耳の奥底をドリルのように
くるくる回転しながら何かを採掘していく。
「どうしたの?」
「んー…………奥にグチャグチャしたもんがあんのよね、っと」
………………ガボッ。
突然、第2の開放を感じた。
「わ、見て、スゴい」
木多が見せてくれたのは、色といい大きさといい、小豆の粒が潰れた
ぐらいの大きさの耳垢だった。
「こんなの入ってるから、リスニング苦手なんじゃない?」
「言ってろ、帰国子女め」
それから中を覗き込んで、
「うん。こっちはオッケー。キレイなピンクしてるよ」
こっちは、って…………もしかしてもう片方も?
「はい、もう片方」
当然かのような頭をひっくり返された。
クリクリと綿棒で湿っぽい外耳道を擦られるたびに、眉間に皺が寄る。
それを気づかうように動きが止まるが、それからまたすぐに再開。
「もう少し強くてもいいかな」
「駄目よ、傷とかついたら大変なことになるんだから」
確かにこのままの強さでもグレーの耳垢がボロボロ取れる感覚が綿棒から伝わった。
耳道がつるんと脱皮していく感じ、土踏まずのゾクゾクが膝から腿に昇っていく。
興奮するのに、妙に安らぐよく分からない感じ。
「こんな感じかな」
異臭を伴う濃いグレーの綿棒。
「汚ねっ」
「ねー」
仕上げに小さなベビーオイルを薄く塗るのが、木多なりのこだわりらしい。
風がザアッとケヤキの大木を揺らした。
「さて、と。あたし部室行くワ。また明日ね」
今どきにしては長い紺のスカートを少し気にしながら、白い本館に戻る木多。
俺は手渡された綿棒をただじっと見つめていた。

このページへのコメント

ユキノシタって耳の炎症に効くのであって、耳に入った水を抜いたりは出来ないんじゃないかと疑問に

0
Posted by  2016年08月14日(日) 14:59:54 返信数(1) 返信

そうですね。耳の炎症の治りを良くする薬草として使われています。

2
Posted by 名無し(ID:SnCVOYQxVQ) 2019年03月10日(日) 08:29:42

こういうのいいなー。
もっと増えて欲しいこの系統。

1
Posted by 匿名 2012年11月18日(日) 23:19:58 返信

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