今は亡き耳かきコリッの避難所

耳ツボ「鍼あんま屋」【前編】

最近、私は仕事で疲れきっていた。
特に、肩こりと眼精疲労と胃痛に悩まされていた。
肩こりは、頭から腕にかけての神経が
ビリビリとしていた。
パソコンの見すぎだろう、
目の裏が熱く緊張していた。
さらに、ストレスで胃の中に石でも入っているかの
ように重たかった。
どうにかしなければならないと思いながら
なにげなく歩いていた時のことだ。
私は狭い路地を通りかかった。
見上げると「鍼あんま屋」の看板が目にとまった。
「鍼やあんまでもしてもらったら良くなるだろうか?」
私は想像してみた。
おやじさんの太い指で肩のツボをグイッと揉まれたり…
鍼で凝り固まったツボを突いてもらったり…
考えただけでも、肩が熱く痺れて気持ちよくなった。

その店の外観は、こぢんまりとした
病院のようだった。
「ごめんください。」
「はい、いらっしゃいませ。」
白い服の学者風の男が出てきた。
若いがどうやら店主らしい。
「すみませんお客さん、
ここは耳の「鍼あんま屋」なんです。
日本に一軒しかないんですよ。
お客さんは運が良い、
是非体験してみませんか?」
「いいえ、私は普通のマッサージを…」
「ものすごく気持ちがいいんですよ!」
「それほど言うのならしてもらいましょう。」
予想外だったが、期待がふくらんだ。

施術室は清潔感のある白色で明るかった。
部屋の中央には、高級感がある大きめの
ゆったりした椅子があった。
椅子の正面には、大きな鏡が吊り下がっていた。
「こちらへ座ってください。」
弾力があるがほどよい堅さの椅子が
しっかりと体を受け止めた。居心地が良い。
どこからかレモンの香りが漂ってきた。
すがすがしい香りを胸に吸い込んでいたら、
気分がよくなってきた。
かすかにジャズの音楽が聞こえた。
私は横になりながら背伸びをした。

パササッ…
店主は壁に大きな紙を貼り付けた。
紙には耳の絵や説明文が細かく書かれていた。
「説明を聞いてください。
私は『耳の鍼あんま』の方法を過去の
歴史文献から現代風にアレンジしました。」
と、店主は言った。
内容は以下の通りだった。

手のひらや足の裏にツボがたくさん
あることは有名である。
ツボの部分には、
毛穴や神経や血管や汗腺などが集中している。
ツボは不思議なものである。
ツボを押すと最初はキュッと痛いが、
ギューッと強く押してもあまり痛くないどころか、
ジーンと快感で痺れてくる。
ツボをつなぐ「経脈」と呼ばれる「流れ」は
体のいろいろな器官に繋がっている。
ツボを刺激することにより、経脈を通じて
体の各器官に良い影響を与えるのだ。
ツボは経脈が体の表面に露出している部分である。

手のひらや足の裏のツボは、
体の器官を投影した
まさに「体の縮図」であることは有名である。
同じように、耳にもツボが集中している。
耳たぶや耳穴の周辺には多数のツボがある。
一説には、耳は胎児の体とそっくりであり、
体の器官を投影しているという。
耳もまた「体の縮図」なのだ。

耳掃除の時には、
同時にあんまも施してやるのが良い。

「施術をはじめます。」と店主は言った。
ファサッ…白いシーツを広げると
レモンの香りが散らばった。
店主はそれを私の首に巻いた。

私たちの周りには、銀の入れ物に入れられた
たくさんの精密道具が並べられていた。

店主は細い耳掻きをつまんだ。
店主の手は白くて細かった。
手の動きは繊細で器用そうだ。

私の外耳の襞(ひだ)の間の窪みは、
脂と汗でヌルヌルしていた。
そこは、何ヶ月も手入れするのを
忘れていた部分だった。
窪みには垢がたまっていた。
窪を竹の耳かきで優しく掻く。
湿っぽい垢がこそぎおとされていく。
カリカリカリ…カリココリコリコリ.......
コリコリ…コリ…コリコリコリ……
くすぐったいような痒いような、気持ちいい。

「耳がかなり汚れていますね。
ちょっと熱いですが、我慢してください。」と
店主は言った。
窪みを綿棒で掃除してくれるらしい。
大きい上質の綿棒だった。
先端には、白い綿が堅めに巻かれていた。
店主は綿棒を熱湯にひたした。シュワッ…
綿棒が耳に触れると一瞬「熱っ」と思うが、
すぐにちょうどいい温度になった。
窪みは複雑な形をしているが、
綿棒で形に沿って丁寧になぞっていく。
フキフキ…クリクリ…クルックルッ…コシュコシュ……
くすぐったい。
綿棒がみるみる汚れた。
たちまち痒いのが消えていった。
耳から湯気がでていた。

窪みには産毛のような、耳毛?があった。
「剃りますから、動かないでくださいね。」
耳毛を剃るための専用の剃刀は
先端に丸い小さな刃がついていた。
チョリッ…チョリッチョリッ…
チョリッ……チョリッコリッコリッペリッペリッ…
少しでも間違えると血がでそうだが、
そんなことはなく、器用に剃っていった。
剃刀はすばらしく切れ味がいい。
剃刀は細い窪みにも入り込んで、
ホワホワした耳毛を剃り落としていく。
耳がスースーと涼しくなっていった。

「マッサージします。」と店主は言った。
耳全体を両手でマッサージしてくれる。
グニグニムニムニ…グニグニ…
温かい手だ。
耳の襞に沿って、血の流れを良くするように
細かく指をずらしながら上下する。
シュッ…シュッシュッ…モミ…モミモミ…
耳を指で挟み込んで上下に摩擦していく。
コシュコシュコシュコシュ…
襞の一本一本を親指でさすっていく。
細かい動きだった。
耳たぶをひっぱるように揉んでいった。
多少、強引に揉まれるのもいい。
耳をひっぱって前後に動かした。
コキッコキッと音がする。
「脳や背骨から耳に神経が来ています。
それを引っ張って刺激しています。」と
店主は言った。
顔と顎と首がジーンと痺れてきた。
頭の中がハッキリしてきたようだった。
滞っていたドロドロの血が、動き出したようだ。
グニグニ…ムニムニムニ……
親指を耳穴に添えて強めにマッサージする。
念入りに揉みほぐしていた。

「鍼を刺す前に、ツボ押しをします。」と
店主は言った。
細い木の棒で押すらしい。
耳全体のツボの位置は店主の頭に入っている。
店主は肩こりのツボを押した。
ツン!
突き刺さる痛みはすぐになくなり、
ジーンとしびれてきた。
「気持ちいいですけど、効くんですか?」
「すぐには効果は現れません。
何日か後に楽になっています。」
「そうですか。」

「耳をアルコールで消毒します。」と店主は言った。
ガーゼで、耳の窪みを拭いた。
フキフキフキフキ…
アルコールが触れた部分はヒヤッと冷たい。
まるで注射を打たれる前のこどものように
私は緊張してしまった。

「耳に針を刺すから動かないでくださいね。」
「痛くないんですか?」
「ツボの上に刺すから、痛くないです。」
私は少し不安だった。
店主は耳を指でまさぐっていた。
手探りでツボを探しているようだ。
指がピタッと止まった、ツボが定まったらしい。
「さっき、マッサージやツボ押しをしたときに
特に凝っている箇所を見つけました。
そこには深めに鍼を刺します。」と店主は言った。
私は怖かったが、同時にわくわくしていた。
「お願いします。」
シュッと異物が入ってくる感じがした。
痛くはない。
鍼を刺したツボから、温かく浮き足立つような
くすぐったい感覚が広がっていった。
店主は他のツボにも、手際よく次々に刺していく。
「時間をおくので、このままお待ちください。
時間をおくと、刺激を与え続けることになります。」
と店主は言った。
私は、正面にある大鏡を見たくなかったが、
チラッと見てしまった。
耳に無数の針が刺さり、まるで針山のようだった。
私はすぐに目をそらした。

ちっとも痛くなかった。
それが不思議だった。
まるで蒸しタオルで耳を包み込まれている
ような感覚だ。
耳全体がドクドクと脈打っていた。

人間は、自分が目で見える体の部分は、
目で見ながら怪我などから守るらしい。
しかし、自分の耳は自分の目では見えない。
そのかわりに、耳には神経が集中している。
耳が敏感に反応することにより、
異物が入ったりするのを防いでいるらしい。
そのことは利用できる。
耳を少し刺激することによって
えもいわれぬ快感を作り出すことが出来ると
いうことだ。

というような、さっきの店主の説明を、
私は思い出していた。
今の私は、人間の弱点である「耳」を
串刺しにされている。
にもかかわらず、私は快感に悦んでいる。
なんとも滑稽で、それもまた不思議だった。


ジャズの軽やかな音がかすかに聞こえてきた。

シャン...シャン.....シャン....シャン...
....... ...............
..........
ンン..........    ....   ンンン....    ズン....ズン



私は寝てしまった。


「ちょっとピリッとします。」


私は起きた。
店主は深く刺している鍼をクイックイッと回した。
全然痛くなかった。
より「効かせる」ために回しているのだろうと
私は思った。
店主が次々と鍼を抜き取っていった。
「どうですか?」と店主は言った。
「…あぁ、こっちの耳だけスッキリしたようです。」
耳には熱が残っていた。
「それは血行がよくなっているからです。
明日、明後日になるにつれ、鍼の効果が
体に出てきます。びっくりなさらないように。」
と店主は言った。
なにを大げさな…と私は思った。

とりあえず、私がこの「鍼あんま屋」に来たのは
失敗ではなかったようだ。
というよりも、かなり満足していた。

その後は、もう片方の耳も鍼を刺してもらった。

「今日は外耳の部分だけの施術でしたが、
こんどは、耳穴から内耳にかけてします。
また、お越しください。
うちは、本当は電話予約だけなので…
よろしくお願いします。」と店主は言った。
「えっ、終わりじゃなかったんですか?
内耳というと耳の穴の中ですね。
そんなところにもツボはあるんですか?」
「内耳こそ、敏感なツボが集まる部分ですよ。
大切な部分ですからね。
きっと今日よりも気持ちいいと思います。」
「…そうですか。それじゃあ、日をあらためて。」
私は内心、明日にでも来たいと思っていた。
内耳…さぞ気持ちいいに違いない。

私は店を出てから、帰りの電車に乗った。
座ってなにげなく外の風景を見ていた。
.......ガタン......
ゴトン.....
ガタン..........       ガタン ........       ガタン

       ゴトン   ...   ガタ....


 …------ン……ン…カンカンカンカンカン……ン…------…

           ゴトン…ガタン…
…                         …

ビリリッ!!!!!
耳から後ろ頭が、突如痙攣した。
          ピリ...........ピリ...........ピリ...........
゚リ...........ピリ…何が起こったのか?

それは、快感の痙攣だった。

リラックスが首から頭へ、背中へ、腕へ、走りだした。
目の裏が真っ白になって、頭がフラリとした。
ここで倒れてはいけないと、ふんばったが、
もう、足先まで痺れていた。
手の指先も震えている。

私は、これは何か?と一生懸命考えた。
ああ、そういえば「鍼の効果」だと思い当たった。

唇からよだれが少したれた。
恥ずかしいが…
予想外の涙がツーッと流れた。
体の毒が流れていくようだった。
疲れは引いて行き、だるさを含んだ眠気が
覆い被さってきた。



「グゥーグゥ……スピーッ…」
環状線だし、もう少しだけ寝ていよう…と
私は思った。

このページへのコメント

これはないじじゃなくてうちみみってことなのか?

0
Posted by 鼓膜だいじに 2015年06月10日(水) 13:18:46 返信

内耳らめえええ
鼓膜破けちゃうううう

0
Posted by ななし 2014年06月25日(水) 13:46:30 返信

鍼とか怖いイメージしかなかったけど気持ち良さそう…

0
Posted by 風継 2012年12月19日(水) 01:06:19 返信

内耳は掃除できないよ(笑)

0
Posted by えっ 2012年08月13日(月) 11:11:28 返信

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