まとめ:雅ちゃんがももちの胸を触るセクハラ

182 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/06/25(日) 03:09:04.19 0


その後の二人 C


千奈美の向かう先がいつものハンバーガー屋だと分かった瞬間、雅は首を横に振っていた。
素直に帰宅させてくれる気がないのなら、せめて別の場所がいい。
理由は簡単で、いつ桃子が現れてもおかしくないから。
そしてさっきの今で桃子と鉢合わせる勇気が、雅にはなかったから。
ファミレスは、と提案すると、千奈美はやれやれといったように肩をすくめながら進む方向を変えてくれたようだった。

最寄りの駅を越えた向こう側、いつもはスタジオに向かうために通る道を抜けた先。
赤い屋根の店舗が目に入ると、雅の頭に千奈美にステーキセットを奢ったことがよぎった。

「さて、どうする? 甘いものもしょっぱいものもあるけど」

窓際の席に着くなり、千奈美は雅の目の前にメニューを広げてみせた。
カラフルな写真が並べられたメニューに目を落としてみたものの、自分でも驚くほど腹は空いていない。

「……ドリンクバーだけでいいかも」
「えっ?! 本気で言ってる?」

今こそ食べてナンボでしょ、などとよく分からない理論が千奈美の口から飛び出すが、今は相手をする気にさえなれなかった。
ぼんやりと窓の外を眺めていると、よく通る店員の声と共に運ばれてきたのは二つのパフェ。
やられた、と千奈美を見やったが、白々しく視線を外された。
来てしまったものは仕方ないし、千奈美を責めるほどのことでもないだろう。
そう考えて、雅はソフトクリームの脇に刺さっていたウエハースをつまんだ。

183 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/06/25(日) 03:12:51.11 0

「今日は何でお悩みなわけ?」
「いや、別に……」

パフェに舌鼓を打っていたかと思えば、唐突に千奈美からそんな質問が投げつけられる。
やはりそういうことか、と察しつつ、雅はじわりと言葉を濁した。
悩みがあると認めてしまえば、必然的にその中身も喋らないわけにはいかないだろう。
そうなると、学校での暴走も打ち明けなくてはならない。
いくら千奈美が親友でも、ぽんぽんと話せそうなことではなかった。
むしろ、親友だからこそ、話せないとも思った。

「そんなわけないでしょ。さっきのみや、マジで地獄帰りって感じだったもん」
「ちょっと疲れてただけだって」

嘘は言っていないはずだ。
しかし、雅の言葉に千奈美は大袈裟に肩をすくめてため息をつく。
やがて、思わせぶりに唇が開かれて。

「……もものこと?」

言葉に詰まった瞬間、まずいと思ったが遅かった。
既に、軍配は千奈美に上げられたようなもの。
素直に反応してしまった雅に、千奈美がにやりとしたのがわかった。

「だよねえ、みやがそんな顔すんのってもものこと以外じゃ考えらんないし」
「わ、分かんないじゃん」
「夏休みの補修の時でもそんな顔してなかったからね、言っとくけど」

ささやかな抵抗は、あっさりとかわされる。
とどめの一発、とばかりに雅の目の前に突き付けられるスプーン。
だから、人に物を向けるなってば、とすぐにそれを降ろさせたけれど、雅の分が悪いことに変わりはなかった。
正直に話すか、否か。
苦し紛れに、溶けかけのパフェのてっぺんをすくい取る。
舌を滑るひんやりとした甘さは、少しだけ頭を冷やしてくれたようだった。

「……何か、ももから聞いてないの?」
「え、うちが?」
「うん」
「みや……世の中、そんな甘くないよ」

千奈美の声には半ば呆れたような空気が漂っていて、肌がひりりとした痛みを訴える。

「だから、うちはなーんにも知らないよ?」
「本当に? この前みたいに実は全部知ってたとかやめてよ?」
「ないない。それにもう、うちが関わる話でもないし」

何気なく放たれた千奈美の言葉に、虚を突かれたようだった。
もしかしたらこれは、雅だけでも桃子だけでも解決しない問題なのではないだろうか。

「ほらほら、この千奈美様に話してみなよ」

パフェをつつく千奈美に催促され、雅はゆっくりと腹を括る。

「ももが……嫌がること、しちゃったかもしんなくて」

あれこれ言葉を探しながら、雅はそっと切り出した。

401 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/07/03(月) 04:13:22.84 0

話し始めたは良いが、すぐに言葉を見失った。
何をどう話してみても、千奈美の表情が曇る未来しか想像できない。

「嫌がること?」
「あー……具体的には、ちょっと」

千奈美が助け舟を出してくれたが、やはり脳内でブレーキがかかる。
雅が人差し指でバツを作ると、千奈美がわずかに肩をすくめたのが見えた。

「……で?」

仕方がないという顔の千奈美に先を促され、雅はきょろりと目線を巡らせる。
目に映るのは何の変哲も無いファミリーレストランで、答えなどどこにもないのだけれど。

「それが、まあ……ついさっきの話、で」
「え、マジ学校で何やってたの?」
「それは……」

一瞬にして、かあっと頬が熱を持つ。
同時に、桃子が最後に見せた表情が蘇り、腹の底に溜まるどろりとしたものを自覚した。

「分かった。詳しくは聞かないでおく」
「……ありがとう」

知らないうちに上がった体温を鎮めようと、目の前のパフェをつつく。
大きめの一口のせいで、喉の奥に触れた冷たさからくる痛みが頭のてっぺんまで走り抜けた。
思わず雅は顔をしかめると、千奈美はふっと苦笑した。

「それでさっきのひどい顔になるわけね」

今の顔もひどいけど、と一言付け加えられたが、正直笑えるような気分ではない。
腹の底に溜まるものをどうにかしたくて、そっと目を瞑る。
慣れない自問自答の末に、雅はやがて一つの感情に行き着いた。

「だってさ……こわい、じゃん」
「怖い?」
「嫌われてたら、どうしよう、とか」

脳内で再現される桃子の表情がどんどんと歪んでいき、雅はどうにかそれを振り払おうとした。
自分の想像だと分かっていても、それは一度はまったら抜け出せない蟻地獄のようで。

402 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/07/03(月) 04:14:44.11 0

「シーイング、イズ、ビリービング」
「……は?」

はまりかけていた蟻地獄が、一気に吹き飛ばされた。
千奈美の発した音が脳内で全く意味につながらず、雅はきょとんと首を傾げる。

「みやってさ、意外とビビりなとこあるよね」
「何、いきなり」
「ううん、こっちの話」

先の言葉の意味は教えてくれないまま、会話はゆるりと進められた。

「みやってさ、あんま頭良くないじゃん?」
「千奈美に言われたくないんだけど」
「あはは、それはそうかも」

雅の反論はさらりと受け流されて、千奈美の視線がすっと雅に定められる。

「でもさー、考えたってどうしようもないこともありそうじゃん?」

真っ直ぐに雅を見つめる視線が、ふっと緩んだ。

「……どういうこと?」
「まあさ、とりあえずなんかしてみたらいいじゃん?って思っただけ」

言いたいことは全て口にしたのか、千奈美の視線がパフェへと移る。
あっさりと言うが、そう簡単にはいかないのが現実というものではないのか。

「なんかって」
「それはみやが考えてよ」
「さっき考えたってどうしようもないって言わなかった?」

403 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/07/03(月) 04:16:22.31 0

確かに、と真顔で突きつけられるスプーンは本日二度目。
そうじゃなくて、と話を元に戻すと、千奈美はなぜか目を細めた。

「嫌われたって決まったわけじゃないっしょ?」
「それは……うん」
「じゃあさー、早くない? 落ち込むの」
「それは、そうかもしんないけど」

怖い気持ちに、変わりはない。
最悪の想像が現実として突きつけられたらどうしよう、と叫ぶ心が雅を尻込みをさせた。
他でもない桃子のことだから、こんなにも臆病になる。

「まずはさ、謝まってみれば? 悪いことしたなって思うならさ」

謝まって、それからどうするのだろう。
その先を思い描こうとして、また下腹のあたりにずしんと重たいものが沈む。

「みや、また地獄に行ってきましたって顔になってる」
「だって」
「はーい考えない考えない」

ほら、と千奈美のスプーンが伸びてきて、雅の目の前のパフェをすくった。
そのまま差し出されるスプーンを、雅は素直に口に含んだ。

「明日さ、会えば大丈夫だと思うけど」
「本当に?」
「うち、天才だからね」

取ってつけたような理由だったが、それは少しだけ雅の心を和らげてくれた。
まだ、腹の奥のどろりとしたものが消えたわけではない。
けれど、今だけは少しだけ目を逸らしていても良いのかもしれない、と思えた。

404 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/07/03(月) 04:16:47.73 0


「ちょっと話は変わるけどさ」

言葉を切って、千奈美ががさごそとポケットを漁る。
やがて取り出されたものはスマートフォンで、数回のタップの後に示された画面に雅は固まった。

「なっ……!」

画面に映し出されていたのは、明らかに雅と桃子の後ろ姿。
そして、しっかりと繋がれた両手が目に入って、雅の体は一気に熱くなった。

「いやー朝からアツアツですねえ、二人とも」
「し、趣味悪い」
「撮りたくなるようなことしてんの誰?」

まあ、それは冗談として、と目の前でその写真がゴミ箱へと吸い込まれていく。
それを確認して、持ち上げられた千奈美の瞳は、先ほどまでの茶化すようなものではなくて。

「あんまり目立つことはしない方がいいんじゃない? 特に学校では」

胸のあたりをどん、と突き飛ばされたようだった。
冗談でなく、千奈美なりの真面目な忠告なのだと直感した。

「わ、かった」

どうにか雅がそれだけ答えると、千奈美は満足そうに笑った。

550 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/07/04(火) 18:09:35.69 0

*  *  *

雅に向き合った桃子は、ぱちぱちと数回瞬きをした。
その表情に色はなく、合わさった視線の向こう側は虚ろだった。

ごめん。

吐き出した息は、音になることはなかった。
うそ、と慌てれば慌てるほどに、雅の心臓は瞬く間に速くなっていく。
どくん、どくん、とうるさかった音が、今はどどどど、と耳の奥で響いていた。

もう、いいよ。

ひどく冷たい音がして、はっと顔を上げる。
歪んだ桃子の表情に、ぎゅっと喉が締めつけられた。
ちがう、とすがりつこうとした腕は空をかすめて。
ふわりと消える桃子の体に、雅は膝から崩れ落ちた。


びくっと自分の体が跳ねる。
ざわざわとした音が耳に届いて、雅はゆるりと目を開けた。
開かれたノートの上には、途中から意味をなさなくなったシャープペンシルの黒い線。
鈍く痛む首を持ち上げると、黒板を埋め尽くす白い文字が今にも消されようとしていた。
徐々にしっかりとしてくる頭が、ようやく今は授業中だと認識する。

「……夢」

小さく吐き出した息はきちんと音になってくれて、ふっと体の力が抜けた。
千奈美には考えるなと言われたが、考えないというのは案外難しい。
シャワーを浴びていても、食事をしていても、ベッドに入った後だって。
桃子のことを思い浮かべずにはいられなかったし、それは決まって悪い方向へ転がっていった。
そのせいで、今日はひどく寝不足だった。
雅はくしゃりと髪をかき上げ、先ほどの夢に引きずられそうな思考を引き止める。
黒板を写すことに集中して、少しでも気を紛らわせようと思った。

「やっぱり、か……」

雅が教室に入ってみると、桃子はすでに自分の席についていた。
薄々予想はしていたから、驚きはほとんどない。
ただ、ショックを受けなかったわけではなかった。
ざわつく教室の中で、桃子は静かに桃色のカバーに包まれた文庫へと目を落としている。
桃子の周りだけ、うっすらとした壁が見えたような気さえした。
響くチャイムに急かされて声はかけられなかったが、そうでなかったとしても話しかけられなかったかもしれない。
休憩時間になれば本を開き、言外に拒絶を表す桃子。
次こそはと思っているうちに時間は過ぎていき、気がつけばあっという間に放課後が訪れていた。

551 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/07/04(火) 18:09:57.17 0


今朝、いつもの場所に桃子は現れなかった。
実はほんの少しだけ、来ないかもしれないと思っていた。
朝の登校は自然発生的に始まった習慣で、はっきりとした約束したわけではなかったから。
寝坊でもしたのだろうか。
忘れ物を取りに帰っているのかも。
ギリギリまで待ってみたが、桃子が現れる様子はない。
いつも遅刻すれすれの常連たちがちらほら見え始めたあたりで、雅は諦めて学校へ向かった。

これを逃したら、もう後がない。
そんな直感に突き動かされ、雅は桃子の元へと駆け寄った。

「も、ももっ」
「ひゃっ」

雅の声に、大げさなほど飛び上がる小さな体。
その手から鞄が滑り落ちて、どさりと鈍い音を立てた。
慌ててそれを拾おうとして、同時にしゃがみこんだらしい桃子と手が触れる。
びくりと震えた桃子が逃げようとするのを、雅は思わず掴んでいた。

「もも、その、昨日は……ごめん」

言いながら、前にもこんなことがあったな、と記憶が蘇る。
仲良くなりたいと告げたあの日も、突っ走ってごめん、と謝罪するところから始まった。
そして、桃子はあの時もせわしなく瞬きをして、言葉を探すように唇を震わせていた。

「みー……みやが、悪いんじゃ、ない」
「……え?」

予想していたものと異なる言葉に、雅はこてんと首を傾ける。

「それって、どういう——」
「えっと……」

言葉に詰まった後、桃子の目線があたりに配られるのが分かった。
形容し難いじわりとした意識が、こちらに向けられているような気がする。
千奈美に言われたことが頭をかすめて、ここで話すべきでないと察しがついた。

「この後って」
「塾、あるんだけど」
「終わるの、何時?」

ちょっと躊躇った後に、桃子の口から「19時」と聞こえた。
今から連絡しておけば、親に咎められるような時間でもないだろう。
頭の中で一通りをシミュレーションして、雅は一つの答えを導いた。

「じゃあ、待っててもいい?」
「え、でも」

待たせるのは悪い、と桃子の眉間に皺が寄る。
だが、雅にとっては、明日や明後日に答えを持ち越される方が耐えられない。
気にしなくていいから、と強く押し通すと、桃子はこくりと頷いた。

854 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/07/06(木) 21:34:27.79 0

桃子を待つ場所は、いつものハンバーガー屋に決めた。
塾から歩いてすぐである上、桃子が小腹を空かせているだろうと予想したから。
だが、待つと決めたところで気持ちが落ち着くわけではない。
頼んだオレンジジュースはすぐに無くなって、雅は残りの時間を持て余したていた。
スマートフォンの画面を見つめ、店内の時計に目をやって。
最後に、机の上に広げたノートへと視線を落として、息を吐く。
授業中に船を漕いでいた様子は、桃子にばっちり見られていたらしい。
写していいよ、と別れ際に桃子は今日の授業のノートを貸してくれた。
ありがたく預かったのは良いが、開いたノートに並ぶ文字に集中なんてできるはずがない。
ところどころでぴょこんと跳ねる、特徴的な丸い文字。
カラフルなペンで彩られたノートには、眩しささえ感じられて。

「かわいい……」

ぽつりとこぼれ落ちた言葉は無意識で、雅ははっと口を覆った。
たかがノートにまでどきどきするなんて、はまりすぎにも程がある。
はらり、とページをめくると、ノートの端にうさぎか何かのキャラクターが描かれていた。
桃子も落書きをするのか、なんて微笑ましい気持ちになった直後。
その隣に書かれた文字に、雅の思考は停止した。

——夏焼雅

確かに桃子の字で、しっかりと書かれた三つの文字。
まさか、桃子も雅と同じことをしていたなんて。
ひょっこりといたずら心が湧いてきて、雅は隣に桃子の名前を書き足した。
ついでに、一筆書きで傘も付け足して。
これに気づいた時、桃子はどんな顔をするのだろう。
想像しただけで、胸のあたりがくすぐったくなった。

「まだかな」

雅のつぶやきを窺っていたようなタイミングで、スマートフォンが振動を始める。
終わったよ、と一言だけのメールに、席は取ってあるからおいでと返事をした。

855 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/07/06(木) 21:36:15.08 0


桃子が現れるまでには、5分とかからなかった。
その横顔にわずかな緊張が漂っていたように見えたのは、気のせいだろうか。
お疲れ様だとか、待たせてごめんねだとか。
探るようなやりとりを軽く交わした後に、かちりと互いの視線が合わさった。
桃子の目があまりにも真剣で、雅は一瞬気圧される。
その隙をついて、桃子にするりと主導権を握られた。

「えっと……まず、朝はごめん」

居心地悪そうに引き結ばれる唇が目に入った。
ここで朝のことを謝られるとは思っていなくて、返答が思い浮かばない。
ただ、桃子だけが悪いのではない、ということだけは確かなはずで。

「でも、原因作ったのうちだし」
「そうだとしても」

逃げるようなことをしたのは、ももだから。
まっすぐに向けられた言葉に、どぎまぎして声が出なくなった。
これは、そのまま受け止めるべきなのだろうか。
少しだけ迷って、雅は分かったとだけ口にした。

856 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/07/06(木) 21:37:07.22 0

「あとね、みーやんがさっき——」
「昨日はっ! 昨日のことは、本当にうちが、悪いから」

今度は自分の番だとばかりに、半ば割り込むように雅は声を上げた。

「ももの気持ち、考えられてなくて……やなこと、しちゃって」

本当にごめん、と頭を下げる。
昨日の出来事はあまりに独りよがりで、明らかに自分の方が悪い。
昨日の夜、そして朝。授業中。
ずっと考え続けて、そして桃子に伝えたかった謝罪の言葉。
形になったものは思ったよりずっと拙くて、伝わるだろうかと不安になった。
ゆっくりとまばたきをした後、桃子の視線がそろりと泳ぐ。
その行動の意図を測りかねていると、桃子がぼそっとつぶやいた。

「……ちがっ、違うの」
「……え?」

否定の言葉が飛び出すとは思っていなかった。
どういうことだ、と戸惑う雅の耳に、続く言葉が届く。

「……い、嫌じゃ、なかった、から」
「え、あっ……え?」

はっきりと聞こえた言葉に、一瞬納得しかけて、待て待てともう一人の自分が叫ぶ。
嫌じゃなかった? それは額面通りの言葉だと思っていいのだろうか。
混乱しつつも、一方でその言葉の意図を汲もうと試みる。

「だって、もも、あの時」

走り去る桃子の背中が表していたのは、確かに拒絶だったはずではないのか。

「……場所が、気になった、だけで」

それだけだから、と俯く桃子の耳が赤く染まっていることに気がついた。
桃子に言われたことをじわじわと実感し始めるにつれて、頭がぼんやりとのぼせたようになる。
行為自体が嫌なわけではなかった、なんて。
ここが店の中でなければ、きっと思いきり抱きしめていた。

「だ、から、あの……」
「わ、わかった! わかった、から」

その言葉の続きを聞いてしまったら、それこそ止まれなくなりそうで。
慌てて遮った雅に、桃子はへにゃっと顔を崩した。

857 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/07/06(木) 21:37:35.26 0


お互いに気恥ずかしさを抱えたまま、肩を並べて店を出る。
数時間前とは全く違う心持ちで、今ならスキップで家まで帰り着けそうなほど。
そんな浮かれた雅の横で、桃子がふと動きを止める。

「うえぇ、まじ……?」

渋い顔をする桃子の視線の先には、駅の改札とそこに群がる人だかり。
何があったのだろうと浮かんだ疑問には、音割れした放送が答えてくれた。
人身事故のため、運転見合わせ。再開の時間は未定。
目を凝らせば、電光掲示板にも同じ内容を知らせる文字が流れていく。
いかにも困ったというように、桃子が両手で頭を抱えるのが見えた。

「え、どうすんの?」
「バスっていう手もなくはない、けど」

ちらりと桃子が見やった先には、あふれそうなほどの人を詰め込んだバス。
あれに乗る桃子を想像した瞬間、雅の顔も自然と歪んでいた。
ただでさえ小柄な桃子があそこに詰め込まれたら、きっと埋もれてもみくちゃにされてしまう。

「ママが仕事終わるまで待とうかな」
「えっ、本気?」
「うん。言ってもあと1、2時間くらいだと思うし」

さっきのお店で待とうかな、と言う桃子の手を、雅は反射的につかんでいた。

「うちで、待ったらいいよ」
「えっ! いや、でも」

雅自身、唐突なことを言っている自覚はあった。
けれど、桃子を一人残して帰ることはできそうにないし、したくなかった。

「お、お金、もったいないでしょ?」

ダメ押しのように付け加え、つかんだままの手を伺うように引いてみる。
桃子がすんなりと従ったのを確かめて、雅は自宅へと足を向けた。

414 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/07/10(月) 18:24:34.32 0

家の玄関のドアを開けると、夕食の匂いが雅を包んだ。
香ばしい香りはソースだろうか。ぎゅる、と胃が小さく動く。
玄関には、脱ぎ散らかされたスニーカーと、その奥に揃えられた大人っぽい女性もののサンダル。
母親も弟も帰宅しているらしい、と思った途端、胸のあたりがむず痒くなった。
ただ家に帰ってきただけなのに、雅の手には桃子の手が繋がれていて。
いつもと何ら変わらない風景に、間違って非日常が混ざりこんでしまったような。

「あ、おかえ……どうしたの、その人」
「えっ? あー、えっと……とも、だち」

突然視界に飛び込んできたのは、見慣れた弟の顔だった。
ただ、そこに乗っている表情は、あまり見たことのないものだった。
表情を作ることを忘れてしまったように、ぽかんと開いた口。
姉を通りすぎて、桃子に注がれる視線。
この反応は、一体。
測りかねて雅が口を開こうとすると、思い出したように弟が声を発した。

「……チョー、びじん」
「は……はぁ?!」
「え、マジで? 本当に友達? なんで?」
「な、なんでって、一緒にバンドやってるだけだし」

415 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/07/10(月) 18:24:59.73 0

もしかして、桃子の顔に見惚れていたとか?なんて可能性をが浮かんで、雅の頬が熱を持つ。
さすがは血の繋がった姉弟、血は争えないということか。
繋がったままの手が思い出したように解かれて、それもまた雅の熱を増幅させた。

「え、マジ? バンド繋がり?」
「だったら悪い?」
「いや、なんか……意外ってつーかぁ」

そんなことを言いつつも、弟の視線は桃子から離れない。
姉が連れてきた美人な友達。
彼の目にはそういう風にしか映っていないのだろう。
桃子が美人であることに異論はないけれど、弟の不躾な視線になぜだか心の表面を逆撫でされた気になって。
気がつけば、思わず弟の視線を遮るような格好になっていた。

「ママは? いるでしょ?」
「あーうん。呼ぶ?」
「いい。行くから」

このままでは埒が明かないと、弟を押しのけて玄関に上がり込む。
さりげなく手を引いたつもりだったけれど、見せつけるようになってしまったかもしれない、と後から思った。

キッチンでは、予想通り母親が夕食の準備をしていた。
雅の顔を見ておかえり、と言いかけた唇が、桃子の登場にピタリと止まる。
呆けた表情はどことなく弟と似ていて、思わず吹き出しそうになった。
小学校の頃に同じクラスだった、と説明をすると、母親にも思い当たる記憶があったらしい。
桃子ちゃん、と母親が言うのを聞いて、一瞬だけ時間が歪んだような錯覚に陥った。
改めて、と自己紹介をする桃子に、母親もにこにこしながら頭を下げる。
家族と、恋人。
目の前で、二つの世界が交わっているのは不思議な気分だった。
電車が止まってしまって、と経緯を説明すると、母親はうちで待つことを快諾してくれた。
丁寧に礼を述べ、お辞儀をする桃子の横顔はよそ行きのもの。
やけに大人びた横顔に、また新しい桃子に出会ったような気がして心臓は勝手に速まった。

696 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/07/15(土) 14:58:26.69 0

母親が用意してくれたジャスミン茶を手に、桃子を部屋へと案内する。
もう3回目になるというのに、未だに喉が渇く気がするのはなぜだろう。

「お邪魔します」
「どうぞー」

桃子ののんびりした声を聞きながら、雅は緊張を気取られないように声を整えた。
ローテーブルの一辺に、二人で並んで腰を落ち着ける。

「ありがとね、みーやん」
「え? ううん、全然」

……むしろ、嬉しい。
そんなことを口走りそうになって、はっとした。
勢いに任せた行動だったけれど、その裏側にある自分の本音を突きつけられたようだった。
そう自覚した瞬間、今の状況が、そこに潜む意味が、どっと押し寄せてきた。
慌てて口に運んだジャスミン茶は、何かのいたずらのように気管へと吸い込まれる。
激しく咳き込んでいると、桃子がくすりと笑うのが聞こえた。
何やってるんだろう、自分。
頬が熱を持つのとは対照的に、頭の芯が少しだけ冷えたようだった。

「あのね、みや」

不意に、名前を呼ばれた。
崩していた膝を正す桃子に、浮ついた空気がきゅっと引き締まる。

「もも、ずっと……気になってたことがあるんだけど」

この際だから、聞いても良い?
小首を傾げる仕草は可愛らしいけれど、雅に向けられた視線はもっと冷静だった。

697 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/07/15(土) 14:58:56.39 0

「ち、中学の時、付き合ってた人のこと」
「……へ?」
「前はうやむやになっちゃったし」

そういえば、以前にもそんなことを聞かれたことがあったと思い出す。
まだ夏の暑さが真っ盛りだった、あの日。
じりじりと肌を焼いた日差しや、湿った空気が蘇って雅は密かにどきりとした。

「どんな人だったの?」
「どんな、って」

身長? 体重? 血液型?
きっと、そんなことが聞きたいのではないのだろうとは思った。
けれど、だとしたら、桃子の期待するものは何だろう。

「んー……良い人?」
「良い、人」

促すように桃子の声が響いて、居心地の悪さを覚えた。
どう説明したら、桃子が納得する答えになるのだろう。

「休みの日とか、一緒に遊んでて楽しかったし」
「うん」
「曲の趣味も合ってて」
「うん」

共通の話題も多く、彼と話をすればいつも必ず盛り上がった。
同じ速さで歩く通学路は、心地が良かった。
同じものを見て、おもしろいと思ったり、時には切なくなったりした。
気さくで、誰に対しても胸を開くような人。
やはり、良い人という以外に形容する言葉が浮かばない。

698 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/07/15(土) 15:03:22.31 0

それらを言葉にしながら、徐々に彼との記憶が鮮明になってきた。
意外と相手の良いところを覚えている自分に、少しだけ驚いた。
別れ際が綺麗ではなかったから今の今まですっかり忘れていたけれど、確かに、楽しいこともたくさんあった。
世間一般でいうところの、デートだってした。
きっと、外から見ればお似合いのカップルだったのだろうとさえ思う。

「じゃ、じゃあ」
「うん?」
「キ……ス、したことないって……本当に、本当?」

肺から絞り出された、桃子の問いかけ。
さっきよりも少しだけ低くなった声音に、真に聞きたいことはこれだったのだと察しがついた。

「……うん。本当」

だから、できるだけまっすぐに、桃子へと直接届くように、声をぴんと張った。

「そんなに気になってた?」
「だ、だって」

桃子の視線が、急にふらふらと宙をさまよい始める。

「……好きだったら、したいって……思わない?」

耳を澄まさなければ、聞き取れなかったかもしれないほどにささやかな声。
みるみるうちに耳の先が染まっていくのと一緒に、雅の体温も上がっていく。
それって、つまり。

「わっ」

自分の部屋だし、誰に見られることもない。
一瞬にしてそう判断すると、桃子に抱きついていた。
ハンバーガー屋でできなかった分も込めて、桃子の耳あたりに頬を擦りつけた。

「な、えっ? み、みーやん?」

ふわりとした香りが桃子の髪の毛から立ち上って、雅は思わず目を閉じた。
くらり、と体の芯が揺らいで、のしかかりそうになるのを堪える。

「他の人がどうかは分かんない、けど」
「けど?」
「……ぎゅって、したいと思うのは、ももだけだから」

彼と、桃子との最大の違い。全てはそれに尽きる。
彼は雅とは違って、きっとそういう行為も望んでいた。
それを薄々知りながら、やはり差し出された手を握ることはできなかった。
寝室で見下ろされた時の彼を、愛おしいとは思えなかった。

「それ、ずるい」

桃子が吐き出した息の熱さが、首筋に触れた。

699 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/07/15(土) 15:04:15.62 0


ぎゅう、と抱きしめ返されたと思うと、そのまま前に引き寄せられる。
桃子に見上げられて、ふと自分の姿勢を自覚した。

「も、も?」

その意図を問う隙もなく、桃子の腕に導かれた。
床に横たわった桃子に身を寄せると、うう、なんて言葉にならない声が聞こえる。
その声には甘さが滲んでいて、頭の奥がじんわりと蕩けたような気がした。

「みーやんと、ぎゅってするの好き」
「うちも」

髪の毛から匂い立つ空気を肺に満たすと、とくとくと心臓の音がうるさくなった。
ブラウス越しに伝わる柔らかな温度と、背中に触れる桃子の手のひら。
もっと、と求めるように力が込められて、雅は何も言わずに同じだけの力を返す。
下腹のあたりで、ぐるぐるとした熱さがめぐっていた。
ああ、でも。さすがに今はまずい。そう思ったはずなのに。

「えっと、」
「も、ちょっと」

掠れた桃子の声に耳を撫でられて、ちっぽけな理性がぐらりと揺らぐ。
耐えようと身動いだ雅の膝が、不意に熱いものに触れた。
その瞬間、抑え切れない、といった様子で漏れ出た吐息はやけに艶っぽくて。

「……もも?」
「あ……動かな、で」

驚くほどに色っぽい声がして、びりりと背筋を電流が走ったようだった。
動かないでと言われた手前どうすることもできず、桃子の体を抱く力を強めた。
その瞬間、太もものあたりを桃子の足に挟まれる感覚があった。
そこに、何かがぐっと押しつけられる感覚があった。
あ、とこぼれ落ちた声は、どろどろとした麻薬のように雅の体に染み込んでいく。
桃子の体がびくりと硬くなったかと思えば、ふっと弛緩したのが分かった。

200 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/07/17(月) 19:13:26.28 0


コンコン。
部屋に転がった音に、心臓がどきりと跳ね上がる。
やばい、と判断してから起き上がるまで、目にも留まらぬ速さで雅は動いた。
はっと振り返ると、開いたドアの向こうから母親の顔が覗いた。

「ま、ママ?」
「桃子ちゃん、お迎えどのくらいになりそう?」
「え、あの、まだ1時間くらいは……」
「晩ご飯できたんだけどさ、桃子ちゃんも食べていかない?」

桃子の返答に、母親がいたずらっぽく笑う。
廊下から流れ込んでくる空気にソースの香りが混ざっていて、不意に空腹を思い出した。
いつもの夕食に、桃子も加わるなんて願ってもないことだった。

「いやでも、」
「い、いいと思う! ね、もも」

勢いこんで桃子を振り返ると、渋るような桃子の目。
嫌なのだろうか、と不安になりかけた雅の耳に、カラカラとした笑い声が届く。

「遠慮しないでいいよ。食べていきなさいって」
「でも、あの」
「もともとちょっと多めに作っちゃってたし、ね?」

桃子は尚も躊躇うように視線を揺らしていたが、やがて小さく頷いた。

果たして、母親の言う"多めに作りすぎた"はあながち間違っていなかった。
何かの絵本で見たホットケーキのように、高く積まれたお好み焼きの数々。
おそらくは、明日の弁当にもしっかりと入れられることだろう。
その量に呆れた様子で文句を言う弟。
それを見て吹き出す桃子に、雅は少しだけ安堵した。
桃子と、弟と、母親と。
4人で囲む食卓は新鮮で、想像していたよりもずっと賑やかなものになった。
弟はいつにも増して陽気に学校生活——彼にとっては武勇伝——を話してくれた。
母親による雅の昔話が始まった時には、恥ずかしすぎて聞いていられなかったけれど。
それも、横目に見た桃子は楽しんで聞いてくれたようなので、よしとした。

201 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/07/17(月) 19:14:36.17 0

食後の和やかな雰囲気の中に、ふと鳴り響く電話の着信音。
電話を取った母親はいくつか会話をした後、桃子を手招く。
桃子の母親からの電話だろうかなんて考えていると、不意に弟が口を開いた。

「なあ……嗣永さんって、マジでねーちゃんとバンドやってんの?」
「なんで?」
「セイソって感じするじゃん。ねーちゃんとちがって」
「っさいな」

確かに、制服姿の桃子を前にしてバリバリのベーシストだなんて思う人は少ないだろう。
マイクを握った時のパフォーマンスの迫力も、きっと想像できないはずだ。

「言っとくけど、歌めっちゃ上手いよ」
「え、マジ? 超ききてー」
「まあ、いつかね」
「えー、決まってねえの?」

残念でした、と雅は首を振ってみせる。
ひとまずの目標だった本番も終わり、今は小休止といった状態だった。
軽音楽部にでも所属していれば、一ヶ月ほど先の学園祭という機会もあったのだけれど。
ちぇー、と弟が口を尖らせたあたりで、桃子と母親が席に戻ってきた。

聞けば、すでに雅の自宅の近くまで来ているらしい。
なぜか見送りたいと言い出した弟は、母親によって退散命令が下されて。
渋々といなくなった弟をおいて三人で外へ出ると、二筋の光が目に入る。
あ、と桃子が反応した車は、雅にも見覚えがあった。
目の前で滑らかに停止した車から、小柄な女性が降りてくる。
桃子と初めて出かけた日、自宅まで送ってもらったこともあったと不意に思い出した。

「どうも、桃子がお世話になりました」
「いえいえ、全然。またいつでも来てください」

桃子の母親のお辞儀はやけに上品で、桃子とよく似ていた。
挨拶をする母親たちの横で、雅は桃子の荷物を車に乗せるのを手伝った。
塾のテキストも詰まっているカバンは、雅のものと違ってずっしりと重たい。

「ありがと、みや」
「ううん、全然。また、明日ね」
「うん。また明日」

バタン、と運転席のドアが閉まる音を合図に、雅はそっと車から離れた。

202 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/07/17(月) 19:15:32.44 0

またね、と手を振る桃子を乗せて、車はみるみるうちに遠くなっていく。
それを見送っていると、そういえば、という母親の声が聞こえた。

「桃子ちゃんって、前に一緒に遊びに行った子だっけ?」
「うん、まあ」
「この前おうちに呼んだのも桃子ちゃん?」
「そう、だけど」

なるほどねえ、と母親が腕を組む。
何を考えているのか、ふっと笑ったかと思えば、やれやれといった様子で母親は息を吐き出した。

「あーあ。ほんと雅は何も言ってくれないんだから。ママ、ちょっと寂しい」
「お、思ってないくせに」
「あはは、まあちょっと冗談だけど」

すっと言葉は途切れ、母親の目の色がわずかに変化する。
喜怒哀楽のどれにも当てはまらない、微妙な表情。
それをなんと形容していいか、雅は知らなかった。
こんな母親の表情は、生まれて初めて目にした、と思った。

「良い子じゃん、またいつでも呼びなね」
「……ありがと」

くしゃり、と母親に撫でられる感触は、やけに懐かしいものだった。


おわり

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