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2011年

  • 2011年2月25日 衆議院予算委員会第三分科会
衆議院TVから中島政希衆議院議員質問要約

中島政希衆議院議員「群馬県高崎市の病院の跡継ぎであった女医さんが大阪市西成区あいりん地区のくろかわ診療所というところに飛び込んで医療活動を続けていた。ところが平成21年11月16日に水死体となって発見された。警察は自殺だと言ったが彼女が自殺するような理由はない。矢島さんも大変な決意で日雇い労働者が集まっている大変な地区に医療活動のためにボランティアで入られた。自殺するような理由はないし直前まで元気に活動していた。遺族や彼女に世話になった人達が自殺ではない、本当の死因をちゃんと捜査してくれと度々主張している。これはテレビの報道番組でも特集になったりして群馬県では大変良く知られている事件である。警察庁に聞くが、この事件の対応はどうなっているか」。

金高雅仁警察庁刑事局長「大阪府警では当初から犯罪の疑いありということで遺体の司法解剖をしている他、関係各所の鑑識活動、関係者の事情聴取などを続けている。現在も関係者の事情聴取などの所要の捜査を継続している」。

中島政希衆議院議員「今、事件として再調査しているという認識で良いのか」。

金高雅仁警察庁刑事局長「これまでの捜査からは必ずしも犯罪であるということを明確に断定できる状況は出て来ていない。事件事故両方の観点から捜査を尽くしている」。

中島政希衆議院議員「矢島祥子さんは大変立派な決意でボランティア的にあいりん地区の医療活動に従事していて自殺するような方ではない。お父さんに送った手紙の一節を読みます。私自身がこれまで生きてきた道のりよりはるかに厳しい状況の中を生き抜いてきた人達、なのに世間からはごみのように扱われているこの人達、私はこの人達のそばで仕事をしていきたいと本気で思っている、という手紙をお父さんに送っている。大病院を継げば安泰な生活が送れたにも関わらず、こういう困難な道に飛び込まれていかれた。自殺など考えられない使命感にあふれた方であった。遺族の無念の気持ち、彼女に世話になったみなさんの気持ちを考えるとしっかり捜査をしてもらって真意を明らかにしてもらいたい」。
  • 2011年4月21日 テレビ朝日
【Jチャン】真実の行方「女性医師変死の謎第3弾」(11/4/21放送)(現在非公開)
  • 2011年11月10日 テレビ朝日
大阪西成女性医師"不審死の真相"(11/11/10放送)(現在非公開)

我々は大阪西成区のある場所で鍵を握ると思われる人物を待っていた。
「あっ来た、来た、来た。今交際をしていたという風に自分で言っている男性がですね、自転車に乗って来ました。えー頭にタオルを巻いた怖そうな男性なんですが。えー彼は祥子先生が自殺をしたという風に言っていまして、家族は自殺ではなく他殺だという風に話をしています」。
自転車の男性A氏と祥子さんの両親がこの日会うことになっていた。祥子さんは自殺だと主張するA氏と他殺だと訴え続けている祥子さんの両親が対面するのはおよそ2年振り。果たしてこの後どんな会話が。





西成区あいりん地区の人々から西成のマザーテレサと慕われていた医師の矢島祥子さん、当時34才。
「何かね話して欲しいということで一言、カメラに一言」。
これは2年前の8月、あいりん地区夏祭りの映像。誰にでも分け隔てなく笑顔で接していた祥子さんは多くの路上生活者たちに生きる勇気と希望を与えていた。
「私の一番大切な人は患者さんと言ってた」。
しかしこれが撮影された3ヶ月後の2009年11月16日祥子さんは西成区を流れる木津川から水死体で発見されたのである。大阪府警西成警察署は当初祥子さんの死を自殺として処理。しかし自殺にしては数々の不審な点が。謎の死からまもなく2年。祥子さんの家族は自宅のある群馬県高崎市から大阪の西成へ毎週のように足を運び、祥子さんの死は自殺ではないと訴え続けてきた。そしてついに今年6月17日西成警察署は祥子さんの死を事件として正式に捜査すると発表、ようやく動き出したのである。それを受け両親は決断する。自ら祥子さんと交際していたと主張するA氏と会い直接疑問をぶつけることに。なぜ遺体発見直後から自殺だと言い続けているのか。するとA氏は祥子さんの両親に。
「他殺という形で追いかけたって犯人は捕まんないよと」。

更に今回我々は祥子さんの死の直前最も身近にいた人物に初めて接触。その人物は祥子さんの死後自らも身の危険を感じ大阪から逃れていた。
これまで沈黙を続けてきた人物がようやく開いたその重い口。
「見ちゃいけないものを見てしまって、どこかに連れさられたんじゃないかと」。
更に祥子さんは何者かに殺されたのではと訴えた。
「だからあの街には近づきたくない」。
謎の死からまもなく2年、西成の34才女性医師不審死に新展開、果たして祥子さんの死の裏側で本当は何が起きていたのか。真実の行方を追った。

大阪市西成区あいりん地区、通称釜ヶ崎、多くの日雇い労働者が暮らしている。2年前この街で一人の女性が謎の死を遂げた。矢島祥子さん、当時34才。あいりん地区の診療所で働く医師だった。2009年11月13日の午後10時頃祥子さんは診療所で一人カルテの整理に追われていたという。そして翌午前4時16分診療所に警報が鳴り響く。警備システムが作動したのだ。30分後警備員が駆けつけたが祥子さんの姿はすでになかったのである。

それから二日後の午前1時、祥子さんは水死体で発見される。現場は診療所からおよそ2.5km離れた木津川の渡船場。更に普段乗っていた自転車が思わぬ場所で発見された。アパートや診療所そして遺体発見場所からも離れた場所。しかも警察への取材では祥子さんの自転車にはなぜか指紋がひとつも付いていなかったという。不可解な点はアパートの部屋にもあった。「ここを触ります。ほこりが全くないんです。これはちょっと気になります」。警察の現場検証で祥子さんの部屋からは、ほこりどころか祥子さん本人の指紋さえ見つからなかったのである。

「矢島祥子さんが木津川のここ千本松渡船場で水死体で発見されてからまもなく2年が経とうとしています。西成に住む路上生活者達のために医師として日々奔走していた彼女の身に一体何があったのか。残された遺族達は悲劇の日から毎日彼女の死の謎を問い続けているのです」。先週木曜日祥子さんの両親は鍵を握ると思われる人物と会い、ある疑問を正すため西成を訪れた。「交際をしていたというふうに言っている男性と話をするために祥子先生のご家族が指定場所に来ました」。5分後その人物が現れた。「来た来た来た。今交際をしていたというふうに自分で言っている男性がですね、自転車に乗って来ました。彼は祥子先生が自殺をしたというふうに言っていまして、家族と彼の言い分は違っているのでそのあたりが今日どういうふうに話し合われるのか」。

その人物は祥子さんと交際していたと主張するA氏。この日両親はA氏に直接尋ねようとしていた。なぜ自殺だと決めつけられるのか。それを聞くため祥子さんの両親は群馬県高崎市の自宅からやって来たのだった。そこは祥子さんが生前暮らしていたアパートの部屋。父、矢島祥吉さんと母の晶子さん、そして二人の兄がA氏と会う直前、家族会議をしていた。両親が初めてA氏と会ったのは祥子さんが遺体で発見された5日後だったという。

父は会った直後からA氏に不信感を抱いた。「我々として食事をしながらお話を始めたんだけどね。最初から何て言ったかというと元、私は赤軍派でしてっていう話なんですよ。最初からそんなあいさつする馬鹿はないだろうと思うわね」。

赤軍派は1970年代よど号ハイジャック事件、後にあさま山荘事件などを引き起こした極左過激派組織だが、A氏はかつてそのメンバーだったと自己紹介。さらにA氏はその時祥子さんから誕生日のプレゼントにもらったという品々を家族に返してよこしたというのだ。

「お誕生日にあげた小さい花束とCDを持って来た。これはもらったものですと言って」。「恋人としての誠実さというのが全く感じられないという一連というので、僕はこの人は恋人でないなっていうこと」。

実は我々も以前A氏を取材していた。その際A氏はこう述べていた。
「私はもう正直に言います。共産主義国の赤軍派でしたから。私ここに来る前に日本とパリを150回位往復する仕事をしていて」。





A氏はかつてフランスの会社を相手に貿易をしていたが、還暦を迎えたのを機に西成のあいりん地区に来たという。そして矢島祥子さんと出会い交際が始まったと我々に述べた。「私は彼女と知り合って彼女とそれこそ彼岸花を見に行ったり。若くないものですから付き合ってんだよとかね、そんなつまらない言い回しをする年でもないわけです」。







さらにA氏には祥子さんの死が自殺だとする根拠があるという。それがこの絵葉書だった。
「出会えたことを心から感謝しています。釜のおじさんたちのために元気で長生きしてください」。

消印は11月14日。投函されたのは西成郵便局管内。くしくも祥子さんの行方がわからなくなった日の消印である。A氏はこの絵葉書を祥子さんの遺書だと思っているという。

「なぜそう思ったか。元気で長生きしてくださいねなんていう文句はあまり使わない用語であるというのと同時に、葉書をもらったのは1回しかなかった、それ。自殺だったと思います」。





そしてこうも述べた。「この前も人殺しって言われましたよ」。「それを俺犯人じゃないよっていうつもりもないし?」。「つもりもない。そんなのは結局何をどうひっくりかえそうと彼女がこの世にいないということははっきりしているわけです」。









祥子さんは自殺したと主張するA氏。しかし祥子さんの両親には自殺とはとても考えられなかった。それには理由が。実は祥子さんの両親は医師で遺体の状況も詳しく見ていた。そして後頭部の高さおよそ3センチのこぶに注目。死の直前、何者かに殴られたのではないかと見ていた。さらに川での水死では起きにくいとされる死後硬直が見られたことから祥子さんは陸上で殺害された後、川に投げ込まれたのではないかと考えていた。これらが両親が祥子さんは殺されたと確信する根拠だった。そして我々にこう訴えた。

「真実は全く言ってない人だと」。

両親にはA氏が祥子さんの死の真相を知っているとしか思えなかった。

「だけどシロではないと」。

さらに今年6月17日西成警察署が祥子さんの死を事件として正式に捜査すると発表したことが両親の背中を押した。両親はA氏と会い祥子さんの死を自殺だと主張する真意を確かめようと決意したのだ。

「基本は今ね捜査に入っているわけ。自殺じゃないよと。事件だよと。そういう中であなたは何を思うのかということをやっぱり具体的にはちゃんと教えて欲しいと」。

果たしてA氏は何と述べるのか。我々は祥子さんの両親とともに約束した場所へと向かった。A氏を刺激したくないという両親の意向で我々は外で待つことに。そして2時間後。

「今、祥子先生と付き合っていたという男性とそして祥子先生のご両親が出てきました」。

果たしてA氏は両親に何と?

「自分がね、だから真実を求めていくというあれはないと。もう死んじゃったからって」。「恋人が死んでいるというのに真実を求めるというのはしないと」。「それは誰かを犯人に仕立てるっていうことだから嫌だ」。



真実を求める気はない。さらにA氏は例え犯人がいたとしても捕まらなくていいと述べたという。



「まあ真相は闇になってもいいんだと」。「彼は本質を何か知っているということですか」。「知っていることは知っている。だけど」


そしてA氏は別れ際、口にした言葉に両親は耳を疑った。

「他殺が壁にぶつかって闇になっちゃうと。他殺という形で人を追っかけても犯人は捕まらないよと」。


他殺で調べても犯人は捕まらない。A氏のこの言葉は一体何を意味するのか。さらに取材を続ける我々に別れたばかりの両親から急を告げる電話が。


2年前の11月16日、大阪市西成区を流れる木津川の渡船場で女性の遺体が発見された。あいりん地区の診療所で医師として働いていた矢島祥子さん、当時34才。その死には未だ数多くの謎が残されている。

祥子さんの両親と別れ西成で取材を続ける我々に突然急を告げる電話が入った。電話は両親から祥子さんの死の真相を知っていると思われる人物が見つかったという。それは当時祥子さんの最も身近にいた人物B氏。警察から事情を聞かれているが、祥子さんの死後自らも危険を感じたため大阪から逃れていた。我々はB氏の元へと向かった。B氏は今も身の危険に怯えていたが取材交渉の結果、絶対に特定されないようにする条件で取材に応じた。

B氏は祥子さんが遺体で見つかった時から自殺ではないと考えていたという。

「近くにいてやっぱりそれは自殺じゃないとずっと思っていました?」。「自殺するような人ではないから。途中でこう仕事を投げ出すような人でもないし、だからみんなを残して自分だけ自殺なんていうのは…」。

これまで2年間沈黙を守ってきたB氏がついに核心に触れる部分に語り始めた。

「どっかに連れ去られたんじゃないかと。見ちゃいけないものを見てしまって…」。

西成のマザーテレサと慕われていた医師矢島祥子さん、当時34才。生前、祥子さんの最も身近にいた人物B氏はおよそ2年間の沈黙を破り我々に語り始めた。そして祥子さんの死は自殺ではないと訴えた。その理由は。

「何かちょっと見てはいけないものを見てしまった可能性とか。色々あるじゃないですか」。「街の中でっていうことですか」。「街の中道端で」。

実は西成のあいりん地区には闇の社会があるとB氏はいう。B氏はボランティアで路上生活者の往診をしていた祥子さんがその途中で見てはいけない光景を目撃したのではないかというのだ。

「道で人が金を受け取っているんですよ。あれはチンピラが見張りをしているんだと」。「見張り?」。「見張り、賭場とか麻薬とかの」。

さらにB氏はこう語った。見てはいけない光景を目撃した祥子さんが何者かに拉致され殺害されたのではないか。そう考えるには訳が。実は祥子さんが遺体で見つかる2日前の2009年11月14日午前4時16分、祥子さんが勤務していた診療所の警備システムの警報が鳴っていた。

「見ちゃいけないものを見てしまって警報が鳴ってしまって。どっかに連れ去られたのじゃないかと。一人で拉致れないでしょうね。だからあの街には近付きたくない」。

その日診療所で何が起きていたのか。我々は祥子さんが働いていた診療所を訪ねた。

「ちょっとお話できないんです」。「先生に直接お話し伺うことはできないんですか?」。「今診察中ですし、ちょっとね、お答えできないということで」。

医師矢島祥子さんの死から間もなく2年。今も祥子さんの遺体が見つかった渡船場には日々花が手向けられている。
  • 2011年11月16日 フジテレビ
  • 2011年12月13日
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