大学水準の西洋哲学として知っておくべきことのすべて

哲学は、世界の大学生・知識人の常識です。それは、自分でものごとを考えるために役立つ重要な見方を、いくつも取り揃えている。しかし、では、哲学として何を学んでおくべきか、となると、難しい。道具は、必要十分なだけあればいい。足らないのも困りものながら、道具ばかりで身動きがとれなくなったのでは本末転倒。

このサイトでは、自分でものごとを考えるために必要十分な哲学の知識を提供します。やたら詳しいのが好きなら、人の解説などより、原典の方がよい。けれども、その場合でも、他人の哲学に魂を吸い取られ、自分で考える能力を失ってはいけません。そういう、自分で考えられない亜流の哲学学者があまりに多い。あなたは、そうなってはいけません。ここに書かれたことを使って、自分でものごとを考えられるようになりましょう。

はじめて哲学を学ぼうとする人がとまどうのは、哲学が何の学問か、という問題です。ふつう、生物学なら生物、社会学なら社会というように、その領域に応じた対象がある。しかし、哲学となると、哲の学? 哲って? ということになってしまいます。そのうえ、いきなりソクラテスだの、プラトンだの、遠い国の古い人の話ばかり。そんなおっさん、知らないよ、どうでもいいよ、と思うのも当然。

じつは、哲学の教員たちの多くも、自分が何をやっているのか、よくわからなくなって、哲学者学に陥ってしまっています。有名な哲学者がどうした、こうした、ああ言った、こう言った、その真意はどうだこうだ、とやっているだけでも、まあ、論文は書け、なんとなくどこかの大学に潜り込んで、他の研究者と同様に安泰な給与がもらえてしまいます。文学でも、文学者なんかほとんどおらず、文学者学者の方が多いのと似ています。

奇妙な言い方ですが、昔の哲学者の真意なんか、どうでもかまいません。それより、その哲学者がどう考えていたと思われているか、の方が重要です。つまり、その考え方をその哲学者の名前で呼んでいるだけで、哲学者より考え方の方が重要だからです。それは、スパゲッティナポリタンがほんとうにナポリの料理かどうか、みたいなこと。おいしければ、べつにほんとうはナポリの料理でなくてもかまわない。逆に、ほんとうのナポリの料理でも、いまの私たちにとっておいしくなければ、そんなの知ったこっちゃない。

歴史的な誤解も含めて、多種多様な考え方が、哲学者の名前とともに、哲学にエントリーされています。このようないろいろな考え方を知っておくと、自分で考えるときに誤りが少ない。たとえば、一元主義には多元主義があり、絶対主義には相対主義があり、必然主義には偶然主義がある。だから、自分の考えがどれに属するか気づくことで、それに対する反論や、検証すべき問題点も、すぐにわかるようになる。この意味で、考え方に依存するほとんどすべての学問は、哲学を必要としている。

哲学は、考え方の学です。哲学者の名前は、それぞれの考え方のラベルにすぎません。哲学者の歴史的な研究、その真意など、哲学者学者に任せておきましょう。とはいえ、考え方は、それ以前の考え方の批判から生じてくるものであり、歴史的な順序で学んでいった方が、網羅的に理解しやすいものです。哲学史は、その程度のものとして、考え方そのものを学ぶという目的を見失わないように、これからその全体を概観していきましょう。

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