---------------------------------------------------------------------------- A オッカムとビュリダン
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オッカム(William of Ockham c1285-1349)
ロンドンに近いオッカムで生れ、オックスフォードでフランシスコ会に入り、同地でロンバルトゥス命題集に関する講義を行なった。この講義は斬新な解釈をもって大きな反響を呼び、また、多くの反論を巻起こした。そこで、40才のころ、教授となるにあたってアヴィニョンに召喚され、異端のかどで4年にも渡って取調べを受け、いくつかの点に関して有罪となった。しかし、この間にも、教皇とフランシスコ会との清貧についての論争に関わっており、この結果、破門されて、バイエルン公神聖ローマ皇帝に保護を求め、ともにミュンヘンに移って、以後、教皇と皇帝との政治的対立にも関与することとなる。 しかし、47年、彼の保護者であった皇帝は急逝してしまい、教会との和解を求めたものの、彼も数年にしてペストで死んでしまった。
ビュリダン(Jean Buridan c1315-58)
パリ大学教授をへて、同大学学長となった。
【オッカムのかみそり】
「存在者は必要以上にふやされてはならない Entia non sunt multiplicanda praeter neccessitatem 」という唯名論の原理。つまり、説明原理は、必要最低限のものにとどめるべきである、というもの。「節減の原理」とも言う。オッカムはこの原理によって、かみそりのごとく、難問を解決したとされる。
また、クワインは、現代唯名論の立場としてこのテーゼを取上げ、これによって切り落とされるべきものとして、イデアのように離在するとされる概念を「プラトンのあごひげ」と呼んだ。
【直観的認識/抽象的認識 cognatio intuitiva / abstractiva】
スコトゥス、オッカム
スコトゥスにおいては、認識は、直観と抽象の2つの並行的経路がある。直観的認識は、事物やその形象があることを直接的に認識し、抽象的認識は、その形象がどのようであるかを表象力を媒介として抽象する。
これに対して、オッカムにおいては、認識は、直観と抽象の2つの直列的段階がある。直観的認識とは、直接の感覚的経験によるものであり、知識の基礎である。また、抽象的認識とは、ここからさらに一般的なものを作り出すことであり、ここに普遍が成立する。つまり、普遍は、外界の諸事物を表示する第一直観をさらに表示する第二直観 intentio secundaなのである。これは、物の後の普遍、すなわち唯名論の立場である。というのも、事実としてこの世には個物しか実在しないということは、神はまさに個物それぞれを創造したからにほかならず、普遍は人間知性による概念の他にはまったく実在しないからである。
【ビュリダンのロバ l'a~ne de Buridan】
ビュリダン
[質も両もまったく等しい2つの枯れ草の真ん中におかれたロバは、双方からの刺激がまったく等しいために、どちらも選択できず、餓死するだろう]というたとえ話。
これは、[被造物には自由意志などない]とする彼の決定論の立場を説明するものとされるが、未だ、彼の著作からは見出されていない。
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